研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

女性の「何が凄い」のか?

 

「自分ができないコトを容易くやってのける」事。

ちなみにこれは男性視点からのお話になります。

自分からは絶対に出てこない「思考方法」と「結論」。

物理的にも子供が産めたり、そもそも性器は凹凸で噛み合うようになってたりとか。

それが非常に重要。

「違うから良い」。

 

◾︎自分では出来ないコトが「女性には出来る」

女性と絡むたびに思うが、どう転んでも絶対に自分からは出てこない発想がそこにある。

男性であれば多少珍しい思考方法であっても、基礎の思考方法が似ていたり、その発想に辿り着いた理由も推測できる。

女性には「理解できない」。

絶対に出てこない。

もう根っこから違う。

あと物理的な方で「子供が産める」とかもそう。

それは「とても素晴らしい」。

だって俺にはできないコトだから。

女性は「自分にないモノを持ってる人」なのよ。

自分の能力の延長線上にあるスポーツ選手や学者とは違い、基本的に「ない」。

女性にしかないモノを理解できるようになると、その凄さが同時に理解できるようになる。

 

◾︎男と女は逆だから「上手くいく」

物事に深く直進していく「男」。

物事を浅く多角的に見る「女」。

人に厳しい事を言えるのが「男」。

人に甘く、優しいのが「女」。

実は「その中間点に「ちょうどいいポイント」がある」。

子育てに両親が必要な理由が「それ」である。

片方だけだと極端に偏ってしまう。

両方があって、初めてバランスが取れる。

でも、自分では片方しか持ってない。

女性しか持っていない、「女性にしかない」モノがある。

そういう「自分にはできないコト」を、「容易くやってのける」。

そりゃ尊敬するよねっていう。

 

◾︎だからこそ「意見が合わないのが普通」

だって「違う」んだもの。

むしろ「違うから良い」のであって、全く喧嘩もせず意見のすり合わせも起きないようではおかしい。

どちらかが我慢しているか、男性が女性っぽいのか、女性が男性っぽいのかのどちらか。

どちらにしても、それでは一緒にいる意味はない。

合わない意見を持ち込み、それをすり合わせて実行するから「良いモノになる」。

片方が強硬な姿勢で貫き通すのなら、1人でやってるのと変わらない。

合わない意見をすり合わせるから意味がある。

 

◾︎まとめ

女性の凄さは「「自分(男性)にできないコトを容易くやってのける」事。

女性は女性ならではの、自分(男性)にない感覚を持っている。

自分にできないコトを出来るという「凄さ」。

それがどれほど重要なのかを理解するには、正直なところ「あなたの成長度合いによる」。

若ければ若いほど、さらに失敗した事がない人ほど、自分の意見と出来ることが全てだと思うだろう。

失敗した事があったり、自分で色々考えて頑張ってきた人は、「多角的な意見の重要性」そして「自分に手の届かない領域を、いとも簡単に出来る人の凄さ」を理解できるだろう。

異なるモノの重要性と凄さを理解できる事。

全てにおいて大変でもあり、面白いことでもある。

違うからこそ「女性にしかできないコト」があり、それは「自分にはできない」。

それが「凄い」し「尊敬する」。

だから「女性って凄い」。

 

凄い人には礼儀を尽くす。

そんな当たり前なお話し。

 

岡村さんの失言に思う事。

 

オールナイト日本でやった「矢部の公開説教」を見て、書きたくなった。

思うところを少し。

 

◾︎岡村さんの発想は「一度は誰もが通る道」

ネット界でいう「非モテ」。

一言で表現すると「女性を人間扱いしてない人」。

この人達(過去の俺も含む)が絶対に一度は通る道(発想)が「女は敵」という感情。

直接バカにされたわけでもなく、軽視されてる訳でもないのに、何故か「女は敵だ」と感じる。

この発想からもたらされたのが「貧困女性が増えて風俗に可愛い子いっぱいくるかも」と言う岡村さんの発言。

 

女性を人間扱い、つまり「女性を自分と同じ人間だと考えていれば」そんな発想は絶対に出ない。

困っている人が増えるかもしれない。

そんな状況…つまり、困った人が厳しい夜の業界で働く事が嬉しい?

あり得ないでしょ。

それが普通の反応であり、結婚している人や大事に思う女性がいる(もしくは過去の経験でいた)人は、「え?岡村なに言ってんの?」と思う。

そんな着地点だった。

 

◾︎経験によって「女性の良さ」を学び「尊敬する」ようになる

女性にしかない「良さ」というのがある。

それは「細かい気遣い」だったり、「感情的な視点」だったり、相手を丸ごと愛する「母性」だったりする。

そこで経験する女性相手でしか味わえない「優しさ」や「温かさ」というモノを経験する。

んで、心底から「ああ女性って凄えな」「ありがたいな」「一緒に居てくれて本当にありがとう」と感じる。

そこから「女性への敬意が生まれる」。

見た目がどうとか、身体がどうとか、そんな瑣末ごとが気にならなくなる。

自分にはない優しさや温かさをくれる「この人」に、「キチンと礼儀を持って接しよう」と思うようになる。

敵だと思っていた女性は、実は激甘で、味方で、礼儀を持って接したい人なんだと思うようになる。

 

◾︎男からしか女性に提供できないモノがある

女性にしかないモノをもらい尊敬する様になると、「お返しをしたくなる」。

男性が女性からもらっているように、女性にも男性の魅力を味わせてあげたい。

その答えが、俗に言う「男らしさ」。

チームリーダーとして引っ張っていったり、ハッキリと意見をしたり、ケンカすることも辞さない姿勢でやりたい事を貫いたりとか。

*行き過ぎや相手を省みない行動じゃダメ。その辺の加減は応相談。

女性は基本的に周りと「適合」する。

男性は周りと「折り合いをつける(交渉する)」。

社会性の部分で補完関係になるようになってる。

…が、その辺は筆者が男性なので分からない。

おそらくは女性から見て、俺が自然にやってる「何が」で、キュンとしてくれているモノがあるはず。

…あ〜、あと「セック◯」ね。

これも男らしさと女らしさの持ち合いというか、「違い」が持ち込まれるから「お互いに楽しい」。

女性にしかないモノを味わせてもらい、男性にしかないモノを味わせてあげる。

そういう「WIN-WINな関係」になるようにする事、しようとする事が「敬意を持つ」という事なのではないだろうか。

 

◾︎まとめ

岡村さんの発想は誰もが通る道。

しかしながら、それは経験によって変わっていく。

女性の全てが素晴らしいとまでは言わないし、女性全員が素晴らしいとも思わない。

しかしながら、「敬意を表する女性はいる」し、その「女性らしさ」で、とても良い感情を味わせてくれる人もいる。

そういう女性に「お返ししたい」と思ってからが本番。

何で喜んでくれるのか?

女性が喜んでくれる「ちょうどいい」男らしい振る舞いは何なのか?

割と自然体な自分の中に答えがあったりする。

 

そんなこんなで女性も同じ人間であり、褒められたら嬉しいし、ぞんざいに扱われたら悲しい。

困ってたら助けたい思うし、辛い状態にはなって欲しくない。

そういう「単純なお話し」。

 

岡村さんも逃げずに女性に向かい合って欲しいなあと切に思う。

 

 

女なんて好き好き言っときゃなんとかなる。

 

こんな時だからこその通常運転。

 

これは以前、親交の深かった年上の女性に言われた言葉。

*半分ジョークで。

それでも本当に相手のコトが好きなら、アリな手段だと感じる。

 

◾︎好きな相手を好きになる

しごく当たり前な話し。

「一緒にいて楽しい」「もっと話したい」「遊んでくれてありがとう」「大好き」っつって会う度に言われたらどう感じる?

まあ意識するよな?

一緒にいて幸せだと伝え続ければ、女性は簡単に落ちる。

表現的に不快ならば言い換えよう。

「女性はその想いに応えてくれる」。

だから、好き好き言う(伝える)ことに意味がある。

 

◾︎悪用は騙すのと同じ

あなたのためを思ってと言いつつ、宗教に嵌める詐欺師と同様。

クズというか、詐欺というか、品格がないというか、人格がヤバい。

そういう心持ちだと相手のコトも信用できないし、信頼もクソもない。

 

◾︎真っ直ぐいくなら正攻法が最強

中学生みたいなやつでいい。

駆け引きしたりするだけ無駄。

子供みたいに「好き〜」って言われるのが最も嬉しいし、心が動く。

原点が最強。

 

◾︎まとめ

好きな相手を好きになる。

なもんで、女なんて好き好き言っときゃなんとかなる。

お前が真っ当なやつなら、真っ直ぐ当たって、その想いに応えてくれる人を選ぶ方がいい。

その受け応えがクソな女もいるが、その時はハズレだったというだけ。

駆け引き女は願い下げして、好きに対して真っ直ぐ応えてくれる人を探しましょう。

その辺の「機微」は、このブログを読んでるあなたなら分かる。

 

いや〜家族って大事じゃん?

信頼できる人を見つける事に意味がある訳で、騙して何かしたって意味ないのよ。

 

では、良き結果を。

 

なんかすれば誰かのためになってる。

 

例えばこのブログ。

記事を書けば、誰かが楽しんでくれる。

人数は少ないかもしれないが、確実に楽しんでくれる人がいる。

翻って、何でもいいから行動すれば誰かのためになるんじゃね?と。

 

◾︎なんでもいいから行動する

仕事でも遊びでも。

仕事なら取引先やお客様の役に立つ。

遊びなら一緒にいる人の楽しみになる。

あなたや俺が行動する事によって、その恩恵を受ける誰かがいる。

 

◾︎細かいコトは気にしない

面白いと思ってくれた人と、面白いと思ってるコトをする。

だから、細かいコトは瑣末ごと。

自分が面白いと思うコトを一緒に楽しむ人はいるし、そういう人と同じ時間を過ごす方が楽しい。

つまらないコトを気にかけるほど、つまらないほうに引っ張られる。

面白いと思うコトを行動する方が得。

 

久しぶりだから短めで。

 

◾︎まとめ

何かすれば誰かのためになる。

だから細かいコトは気にせず、自分が面白いと思うコトをする方がいい。

コロナのおかげで、今の生活は有限なんだと強く意識させられた。

数年後、数ヶ月後、同じ生活ができる保証はないのだと。

面白いコト、したいコトをしよう。

そこでの時間を大事にして、今の時間も大事にしよう。

 

 

実は恵まれてる説。

 

なんとなーく思うんだが、お前、実は恵まれてない?

言うほど不幸っつーか、無茶苦茶でもねーんじゃね?という事を一つ。

 

◾︎普通に友達がいて、普通に暮らせるくらいの収入があって、普通にモテないと悩む程度の「余裕がある」

「その普通ってレベル高いぞ」。

世の中には友達作るのにも困る人もいるし、暮らすのに不自由をする人もいる。

そこをある種「悠々とクリアしている」。

職場で会った人や初対面の人と雑談して、合せの会話をする程度には困らない程度のコミュ力がある。

それも普通じゃねーからな。

俺も基本会話に困る事は少なく、初対面の人と雑談するのに困る事は少ない。

おそらくお前もそうだろう。

もう一度言う。

それ、普通じゃねーからな。

そんな接客業向けスキルを天性で備えてるやつは1/10程度しかいない。

 

そして「暮らし」。

今の環境がどうであれ「今の状態で不自由なく暮らせている」。

それも普通じゃねーからな。

衣食住に問題がない収入がある、というかその状態でいる事は「充分な状態」。

 

そして「モテない」。

それが普通だからな。

モテないと思ってるお前に問いたい。

本当に異性との思い出ってないの?

よーく思い出してみて欲しい。

ここを見てるお前なら「必ずある」。

その上でもう一度問いたい。

お前「本当にモテないの?」。

その異性とのエピソードトークを持っているお前が本当にモテないの?

そのエピソードトークって強い方じゃないの?

何に対してどんな悩み方してんの?

目の前の現実の異性との記憶や思い出ではどうなの?

お前の経験では。

本当に悩んでる意味があるのか思い返して欲しい。

 

◾︎「普通に」恵まれてるんじゃね?

世に言う「普通」。

その基準に入るくらいには恵まれている。

何一つ欠けることなく。

…まあ代わりに何一つ突出したモノもないけれど。

普通に恵まれてる。

それはとても恵まれている。

 

◾︎まとめ

「普通=普通に幸せ」。

欠けたモノはなく、しかしながら突出したモノもない。

でも、その状態は不自由がなく、普通に自由。

その状態は恵まれている。

普通というのは非常に高水準な状態。

自分の中の「普通」は、他人にとっては普通ではないかもしれない。

「普通」を大事にしていきましょう。

 

 

ダメなやつはだいたい仲間。

 

気張って、踏ん張って色々やってきたが、無理だこれ。

むしろ、ダメな自分そのままで生きていく方が楽。

ある種、ダメさを自覚し、それを受け入れてる人は…仲間っつったらおこがましいが、素晴らしい人。

ダメさを出せる人って素晴らしいよね、と。

 

◾︎まんまで生きる

ダメだダメだと思う部分がある。

しかしながら、他の人から見たらダメじゃなかったり、共感対象だったりする。

確かに、カッコつけて色々やるのも大事。

それにプラスして、ダメさをもそのまま出してっちゃったほうがいい。

自分のダメさもまた、人を楽しませるコンテンツとなり得る。

表も裏も含めて「その人」。

素のままの持ち物を大事にする。

今までの経験も、考え方も、ダメさも。

そのまま生きるのが最も楽で、最も魅力的。

人には「そのまま」でいい

 

◾︎会いたい人に会おう

自分が好きな人や、自分がしたいと思う事をしている人や、同じ趣味や興味を持っている人と。

怖えけど。

でもまあ自分で選んだ人って大体において仲間なんだよね。

似た趣味趣向と傾向があって、一緒にいて楽しい人。

そうじゃない人もいるけど、そん時はまあしょうがない。

なんとか勇気を振り絞って、一歩を踏み出そう。

 

◾︎ダメなやつはだいたい仲間

俺もまあバイト歴10年、自営業歴5年で「鳴かず飛ばず」という経歴である。

本読みあさって、色々調べまくって、しかしながら上手に行動できなくて、ほぼスネかじりで生きてるという。

自営を諦めて、バイトから出直そうかと思ってる。

1人が長いから微妙に捻じ曲がって、人と話すのが怖えレベルまで行ったりもした。

そんなダメなやつは仲間。

皆んな一回くらい失敗してんだろ?

もういいだろ別に失敗するくらい。

曲がりくねって道を進んでるやつは仲間だ。

あーだこーだやりながら、一緒に頑張って進んで行こうぜ。

 

◾︎まとめ

無理しても無理。

無理しないで、やれる事をやろう。

紆余曲折を経たダメなやつは仲間。

ダメはダメでそのままでいい。

俺もダメなんだし。

そのままでいいから、一緒にちょっとずつ進んで行こう。

 

事象は事実通りに解釈する。

 

「事象を見て、現実通り解釈する」。

これって超重要じゃね?

例えば、サッカーで「失点した」としよう。

その場合「得点をした選手が上手かったのか?」

「DFが下手だったのか?」

「パスした選手が上手かったのか?」

それとも「ボールを失った場所が悪かったのか?」

これを「現実に最も当てはまる形で解釈できる人」。

これが即ち「読解力のある人」。

 

■人によって「解釈が違う」

同じ事象を見ていても、得られる情報量が違うのが起因。

さっきの失点の場合だと「サッカー経験者」と「非経験者」。

この二人が同じ得点シーンを見ても「解釈が大きく異なる」。

非経験者は「憶測」や「見た感覚」などで判断する。

一方、経験者は、自分の経験や知識と照らし合わせて判断する。

そして、現実に近いのは「サッカー経験者」だろう。

それは「より多くの情報をその失点から得られる」から。

 

■解釈=得られる情報量を元に作成する意見

自分が得られた情報がベースにある。

「同じ事象を見て拾えた情報」で作る。

だから、頭の良し悪しが出るし、見ている人にも分かる。

 

■頭が悪い人

「憶測」や「推測」で物事を語る人。

なぜそうなるか?ってのはさっき書いた通り。

「現実から拾える情報が少ないから」。

経験が少なく、事実かどうかの情報も判断できないため、自分の頭で判断できない。

だから憶測や推測に頼る。

 

■頭の良い人

「経験」や「事実」をベースに物事を語る人。

経験があり、もしくは「事実と推測の区別ができていて」、現実に今何が起きているのかを判断できる。

だから、経験や事実をベースに解釈を組み立てられる。

仮に、全くやったことがない事でも、現実的にこれは可能で、これは不可能と選り分けていくので、覚えが早かったりする。

 

◼️他の事でも同じ

恋愛での「フラれた」とか「連絡来ない」とか。

仕事での「怒られた」とか「意見が通らない」とか。

それらは事実としてはどうなっているのか?

こちらから見た解釈ではそうだろう。

しかしながら、相手側から見た解釈ではどう映っているのか?

本当に、今見えているその事実「だけ」なのか?

他の理由があっての「それ」なのではないか?

そういう「事実」をキチンと入れ込んで解釈しよう。

 

■現実は「現実にある」

俺らはファンタジーで生きてるわけでもなければ、小説の中で生きているわけでもない。

確かな「経緯」があり、その成果として「結果」がある。

ちゃんと努力してるやつを、一日で抜く事など「不可能」。

確かな経験や努力や年月の上に「それ」がある。

今の現実をしっかりと見て、今できる事を積み上げていきましょう。

積み上げていく事でしか届かないし、積み上げ始めなければ届くことはない。

「現実」としっかり向き合っていきましょう。

 

 

日本のルーツは「関西」。

 

日本独自というか、日本的な考え方やモノって「関西から生まれてる」なと。

関東って寄せ集めなんだよね。

その辺を関東出身の筆者から少し。

 

◾︎関西は「オリジナル」

自分達が良いと思う事を実行する。

日本人としての自信というか、自負がある。

「別に俺たちがいいと思うんだからこれで良いじゃん」っていう。

いい意味で「他の意見に左右されない」。

「最終的には俺たちが決める」という自負があり、それを実行している。

 

◾︎関東は「寄せ集め」

「誰かの何か」で決める。

アメリカは〜、イタリアは〜、スウェーデンは〜。

日本人である事にプライドはなく、自分たちに自信がない。

他のモノが良いと思えば躊躇いなく取り入れ、他の国がダメだと言えばすぐに意見を変える。

良くも悪くも「主体性がない」。

主体性がないから、周りのモノをどんどん取り入れる。

主体性がない故に発展した、とも言える。

 

◾︎関西は「日本人」。関東は「後追い」

関西は「自分で判断する」。

関東は「空気で判断する」。

日本的な文化や思考は関西にあり、イタリアのようなゴリゴリの土着感と、温かさと、自信がある。

歴史的にも関西から文化が発祥・発展していて、日本のルーツは完全に「関西」。

 

関東はそれのカウンター。

良いモノは須く取り入れ、アメリカのように合理的で、ある種機械的であり、非常にミーハーで、自信がない。

だからこそ、すぐに新しいモノを取り入れるし、新しいコトを試す。

しかしながら、そこには「自分で考える」という、日本的なルーツがない。

「持ってきた何か」で構成される。

 

「日本」とは即ち「関西」と言ってよかろう。

 

◾︎まとめ

「日本」は関西。

関東は寄せ集め。

それぞれの良さもあろう。

…が、基本的な「日本的な良さ」ってのは関西にある。

歴史的なルーツを見てもそうだし、現在でもそう。

良し悪しではなく、どちらが好きか?という事。

自信がない故にいい事もあり、自信があるが故に失敗することもある。

単なる「好き好きの話」という事でひとつ。

 

人が見てくれると「色々な事を考える」。

 

やっぱブログって「ソロ」なんだよね。

目の前には機械(スマホやPC)があるだけだし、スタート時点では誰も見てくれる人がいない。

つまり「人がいない状態で書き上げていくモノ」。

だから「顧客獲得には?」とか「リピーター率は?」とか、目の前の人には使わない言葉を使う。

基本的にはその状態で続けていくモノであり、見てくれる人がいる事を意識して書いているブログは少ない。

 

◾︎見てくれる人がいるか?は「もの凄く重要」

俺も気を抜くと忘れそうになる。

忘れてる時は「酷い言葉使い」であり、「一方的な意見」であり、「画一的な思考」になる。

なぜならそれは「俺の頭の中で完結している物事」だから。

だから、テメーの思い込み通りに物事を判断し、書く。

しかしながら、見てくれる人がいる事を意識すると話は変わってくる。

見てくれる人がいて、その人の立場があって、その人の経験があって、その人の意見がある。

そうなると、俺の画一的で単一で一方的な意見では対応できない。

 

◾︎見てくれる人がいると「他の可能性を考える」

俺のこの見方は本当に正しいのか?

逆から見た場合はどうか?

そもそも「その意見自体の信憑性はどうなのか?」

見てくれる人がいる事で、色々な事を考える。

*どれだけ考えても、俺の残念な頭では全く思い付きもしない事もある

自分一人では鑑みる事すらしなかった事も、そこに人がいる事によって「他の可能性を考える」。

これが個人的には「楽しい」。

 

◾︎人=可能性

あなたがしている事は「あなたにとっては当たり前」。

しかしながら、俺にとっては当たり前じゃない。

逆も然り。

俺にとって普通の事は、あなたにとって特別な事かもしれない。

その「あなたが見せてくれる可能性」が、力になり実現の可能性になる。

そうでなくとも、あなたがいる事で「他の可能性を考える」。

人がいる事で、自分一人では完結していた事が「完結していなかったと知る」。

テメーの頭で考えられる事など少ない。

常に知らない何かがあるという事を意識して書く。

その「知らない何か」は、とてもポジティブな可能性。

人がいる事で、一人では分からなかった可能性や希望に気付く。

 

◾︎まとめ

人がいるから気付く。

一人で完結してても、それは本当の意味では完結していない。

人が一人入れば簡単に崩れる事であり、だからこそ希望がある。

自分で気付かないポジティブな面がある事を意識して欲しい。

それは、人がいないと分からない。

 

見てくれてありがとう。

願わくば、読んでくれたあなたの役に立つ記事でありますように。

 

母性に訴えかける男性は、最終的に「切られる」。

 

母性とは、「可愛い」とか「守ってあげたい」とかって感情。

母性=「子供に感じる感情」。

分かるかな?

母性に訴えかけるという事は「男として見られていない」。

それは子供…つまり、ある種の「格下に見られている」という事。

この状態でアプローチし、仮に成功したらどうなるか?

「男として物足りない」…が、とりあえず「母性を満たす男」として、キープされる。

 

◾︎子供ができたら?

そう。

母性の対象が子供に移る。

母性に訴えかける男は、元々「子供の代わりとして置かれていた」。

つまり「用済み」となる。

大きな子供(男)はもう要らない。

そこに必要なのは、獲物を持ってこれる能力があり、家族を守る事が出来る「男」。

「母性を満たす男はもう必要ない」。

即ち「切られる」。

 

ではどうすれば良いのか?

 

◾︎男が目指す男は「男性として女性から見られる人」

格下じゃない。

可愛くない。

守ってあげる対象でもない。

そう。

「守られたいと思う人」。

この人がいると安心する、この人なら頼れる、この人になら寄り掛かれるという男。

可愛くて守りがいのある男なんざクソ。

自分の足で立って、考えて、ほっとくと次の女を簡単に作っちゃいそうな魅力のある男性。

こいつが一人の女性にコミットするから上手くいく。

格下から母性に訴えかけても、継続は難しい。

 

◾︎まとめ

女性は「母親じゃない」。

「女」なんだ。

女性として扱えるかどうか?

即ち、男性として見られるかどうか?

母性に訴えかけても、大きな子供になるだけ。

大きな子供になったら、本当の子供ができたら切られるぞ。

 

男性として女性にコミットするから上手くいく。

男性的な魅力を磨き、可愛い扱いから脱しよう。

女性に甘えるのも「男として」だ。

子供として駄々をこねたように甘えると、ロクなことにならないぞ。