研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

世界は「人で回ってる」。アプローチは2つ。「人に対して努力する」か「モノに対して努力する」か?だ。

 

仕事は人が作り、お金も人が作り、社会のシステムもまた人が作る。

「人が主体」。

そこで、結果を出す方法は2つあると思う。

 

ひとつは「人と仲良くやる」コト。

「人を最上位に置いた生き方」。

芸人とか、人情味のある人とかそういうタイプ。

人と協力し、分からない事は教え合い、助け合い、飲みに行き、一緒に騒ぎ遊びながら、感情を軸とした一定のルール(筋を通すとかの裏ルール含む)を尊重しながら生活する。

 

もう一つは「モノを提供する」。

「人よりモノを中心とした生き方」。

ジョブズや前澤のような「便利なモノを提供する事で利益を得る人」。

あとは、米津や村上春樹などの「モノ作りで感情を提供する人」。

人と協力するよりも「自分がしたい事の方が上」で、人と衝突することを厭わず、しかしながら、人のためになるモノを実現するために努力を惜しまない人。

どちらの方が良いかは個人の価値観による。

 

ただ一つ言えるのは「人がその中心にいる」という事。 

 

◾︎全ては「人に始まり人に終わる」

人の役に立つモノや人ほど人気があり、社会的地位も高い。

基本的に社会のモノは「人が主体」で構成されてる。

社会で人の興味を引くのは、主に3種類に分けられる。

1、「人が使うと便利でラクなモノ」

クルマや情報家電など。

2、「人をいい気持ちにさせるモノ」

映画や小説や音楽、その他全てのエンタメ。

3、「人をいい気持ちにさせてくれる人」

芸人や、周りの人気者など。

つまり「人の利便性や気分を上げるモノを提供する事=社会的地位が高くなる」という事。

 

▪「人」に寄るか「モノ」に寄るか?

人に気持ち良さを提供する方法はいくつかある。

主に「人が得意」か「モノが得意」かだ。

今目の前の人を気持ち良くさせる方がラク=人に寄った人

自分の作品で人を気持ちよくさせる方がラク=モノに寄った人

別の言い方をしよう。

人が好きなのか?

モノやコトが好きなのか?

だ。

人と話すことにさほど抵抗がなく、人を楽しませるのには作品を作るよりも「コミュニケーションを取る方が手っ取り早い」と感じる人は、引き篭るよりも「人と話す機会を多く持った方がいい」。

逆に、人と話すのが苦手だったり、文を書く事や、絵をかく事、音楽を作る事などが人と話すよりも楽しいという人は、「作品を作る事で人を幸せにする方がいい」。

ラクなほうで努力するほうが当然簡単で、結果も出る。

 

◾︎人に対して努力をするか?モノに対して努力をするか?

ひとつは「人に対して理解を深め、誰とでも上手くやる方向で努力をする」事があげられる。

人一人の力は偉大である。

なんせ自分と同じくらいの能力を持った人が、もう一人いるわけだ。

世の中には何事にも先人が存在する。

自分より出来る人に教えてもらう方が早い。

仮に自分より下であっても、協力すれば自分二人分である。

全てにおいて一人でやるよりも効率が良い。 

 

もう一つは「モノに対して努力をする」事があげられる。

芸術家タイプはこっち。

人よりもモノに対しての造詣を深め、誰にも真似できないところまで到達する。

物事を深める事に全てを費やし、その力で人を楽しませる。

 

▪個人的な意見

作品で人を楽しませるのめんどくせえ。

喋った方が絶対早え。

楽しませるために文章書くのはめんどいし、YouTubeのコンテンツ作んのもめんどいし、音楽作るのも面倒。

ぶっちゃけた話、俺の全力接待プレーを決めれば、ほぼ100%あなたをいい気分にさせる事が出来ると思う。

俺が接待に全力を尽くして人を楽しませられなかったことは、正直言って今までにない。

あなたと深く会話をすれば、間違いなくあなたにあった方法で、あなたを気持ちよくさせられる。

あとたぶん、これを見てるお前も「そっちタイプ」だと思う。

お前、実は接待プレー超得意だろ?

あと毎度このブログで出してるけど「のんのんさんも超絶接待プレー持ち」で、のんのんさんと絡んだ幾人もの社長が餌食になっている実態がある。

*褒め言葉

 

「合わない事は止めましょう」

「得意なことをしましょう」。

 

▪まとめ

世界は人が中心。

その「人」に対して気持ち良さを提供する。

では、自分はどういう風に「気持ち良さ」を提供するのか?

人と会って、話して、身振り手振りのコミュニケーションで気持ち良くするのか?

何かしらの作品を作り、それによって気持ち良さを提供するのか?

どちらでもいい。

どちらでもいいが「得意なことをしよう」。

接待プレーが得意なのに、モノ作りをしていても結果には繋がらない。

 

人とどう繋がるか?

その中で自分が一番得意なことは何か?

 

次の会社では接待プレーを決めまくってきます。

 

PS5は最悪の場合、来年まで品薄の可能性がある。

 

三月中には手に入るだろうと思ってたら、余りにも見通しが甘かった。

仮に「Switchと同数の需要があると仮定するならば」来年まで手に入らない可能性がある。

 

◾︎Switchは2410万台出荷

*2020年4〜12月の出荷台数

その内、日本での台数は「500万台」。

今は販売店に在庫があるため、50万くらい余ってるとして「450万台」。

つまり、「普通に買えるようになるまでに」450万台が必要だった。

しかも「3年目で」だ。

*厳密には9月時点で買えたため300~400万台あたりが目安になるが

欲しい人は既に買っていての台数がこれ。

なもんで、最悪の場合は普通に買えるまでに「400万台は必要」という試算が成り立つ。

 

◾︎PS5の生産台数は「750万+1750万台」

発売〜2021年3月までが750万台。

来年度の2021年4〜2022年3月が1750万台。

つまり、2022年3月までで「計2500万台」。

そして、日本の割り当ては1/10。

つまり「最大でも250万台」。

来年度いっぱい使っても、必要数に届かない計算になる。

最悪の場合、来年3月まで買えない可能性もあることになる。

 

◾︎Switchほど爆発はしないと思うが、楽観はできない

Switchは、Wiiの時と同様に「ゲームをあまりやらない人も買ってる」。

乃木坂メンバーすら買ってるレベルで、一大ブームだったと言っても良かろう。

PS5で同じ事が起きるか?というと「起きないと思う」。

PS5は新規需要というよりも、既存ユーザー+筆者のような復帰ユーザー(PS4は持ってないけどPS5は買いたい人)までしか購入しないと思う。

しかしながら、「思うだけ」でもある。

ないとは思うが、Switch並みの需要を叩き出した場合には、最悪の状況も想定内となる。

 

◾︎転売屋が世界規模

品薄に拍車がかかるのは「転売屋が世界規模になってる」という事。

アメリカで買ったやつを日本で転売したり、日本のやつを中国に持ってったり、多様すぎる売り方になってる。

*実際に楽天では海外で購入されたデジタルエディションが並んでる

つまり「世界規模で品薄が解消されないと転売屋が消えない」。

もし日本で需要が落ち着いたとしても、それが海外に高値で出荷できる限り、日本のPS5が転売屋に買われ続ける。

結果として「しばらく品薄は解消されない」。

 

◾︎PS5がヤバそうな理由のまとめ

Switch並みの需要があった場合、2022年3月までいっても「需要に満たない」。

そして、「転売屋は世界規模」のため、世界規模で需要が満たされない限り「日本市場のPS5は品薄のままになる」。

結果「PS5は品薄が解消されない可能性が高い」。

ワクチン後のコロナ次第でもあったりもするし、Switch並みの需要はなく即収束するかもしれない。

しかしながら最悪の場合、2年後の今くらいにならないと買えない可能性がある。

 

なもんで、欲しい人は待ちに入るよりも、今買えるように全力を尽くす方が良さそう。

少なくとも、来年までは待っても買えない可能性が高い。

 

確かに未来はどうなるか分からない。

PS4を持ってる人は、2年後まで様子見するのも1つの手段として持っておくのも良いかもしれない。

 

今PS5を手に入れるには、相応の努力が必要なコトは間違いない。

覚悟していきましょう。

 

お世話になってる常連さんへの「御礼」。

 

ちと最近、自己中が極まった記事ばかり書いていたことを反省した。

なので、しっかりと「お世話になってる方々への御礼」を書いてみようかと。

 

▪コミュニケーションしてくれて、ありがとう。

「対話してくれてありがとう」の方が正しいかも。

そのお世話になってる方(々)とは「話すと心が軽くなる」。

なんつーか、しっかりと相手を気遣い、相手の言い分を聞き、自分の意見を入れつつも、とても優しい言葉を返してくれる。

その人にとっては普通なのかもしれない。

しかしながら、その普通に触れていると、非常に心が温まると同時に軽くなる。

何て言い表していいか分からないが、非常にありがたい。

その経験をさせてくれる「あなた」に「御礼申し上げます」。

 

▪お世話になってる方とは「対話」をしたい

双方向で出来るやつ。

一方通行なブログの文章とかじゃなくて。

なぜなら「あなたの意見が聞きたい」から。

俺が言った何かに対して、あなたが言うその何かが「とても楽しい」。

もしくは「あなたが発信するその何か」がとても楽しい。

「あなたが言う何かが楽しい」から「あなたの言葉が聞きたい」。

そしてそれは、俺にとっては「ご褒美」とすら言えるモノであり、非常に楽しくありがたい時間。

「あなたの意見を聞く時間はとても楽しい」です。

ありがとうございます。

 

▪お世話になってる方のためなら滅私奉公で構わない

俺のいらんプライドやこだわりは簡単に改められます。

なぜなら、あなたの機嫌を損ね、かつあなたに利する合理性もない意見であれば、それは全く必要のないモノだから。

俺は、話していて楽しいあなたに「気持ち良く会話してもらう事」、そして「得をしてもらう事」の二点にしか興味がありません。

悩みには新しい視点や解決策を掲示したいし、出来るだけ気分よく会話して欲しい。

そのために必要ないモノを改める事には抵抗がなく、より良くしていきたいです。

よほど非合理なことを言われれば別かもしれないが、基本的にはあなたに合わせてより良くしていきたいと思っています。

 

▪御礼まとめ

コミュニケーションして頂き、本当にありがとうございます。

あなたと話す時間はとても楽しく、その気遣いと優しさに触れるたびに心が温まり軽くなります。

一方通行で何かをするよりも、対話する時間の方が楽しい。

「あなたの意見を聞けること」それ自体がありがたい事であり、そのお時間を取っていただけることに感謝しています。

「話してくれてありがとう」。

あなたがいる事、あなたと対話できることに格別の感謝を。

ありがとうございます。

人間不信になったと気付いた。

 

ネット上の経験で。

ネット上はクズやクソ野郎どもの宝庫で、ネガティブなやりとりが日常茶飯事。

このブログのコメントの半分は誹謗中傷だし、YouTubeなどの中立な場所で書いたコメントにつく返信も半数以上がネガコメ

何かを調べればネガコメが目に付くし、とかくネット上は「ネガティブな感情のやり取りが多すぎる」。

とくに「よく知らない他人とのやり取りで」。

 

この結果、「あまり他人と関わりたくなくなった」。

人と喋っても、すぐ文句言われんじゃねえか、批判されんじゃねえか、クソみたいな事言われんじゃねえかと「反射的に思うようになった」。

当然ながら、そんな人と喋りたくないし、絡みたくないし、意見など聞きたくない。

そんな人は少数しかいないと分かってはいる。

…が、そういう誹謗中傷を頻繁に目にし、また自分に向けて書かれた経験をすると「傷つく」。

こんな痛い思いを頻繁にするなら、人と関わらずに生きていきたいと思うようになる。

 

正直なところ、このブログのコメントはもう見たくない。

いざ開いて、見たコメントが誹謗中傷だった時の「痛み」。

書いたあなたには分からないだろう。

言い返したところで意味もなく、ただ書かれたコメントに痛みだけを覚えるその経験。

耐えられない。もう二度としたくない。

 

もちろん「良いコメントも来る」。

勇気が湧くような、嬉しさとやる気が出るコメントもたまにはある。

そういう時は、ブログをやっててよかったと思う。

 

しかしながら、嬉しいコメントか傷つくコメントかは「見るまで分からない」。

俺はもう傷つきたくないし、称賛や優しさを見るよりも、痛みを回避したい方が強い。

 

▪現実では「目の前の人に傷つく事は言わない」

その人が傷ついて痛みを感じているのを見て「自分も痛みを感じる」から。

自分が痛みを感じた事があれば、相手が痛みを感じているのも分かるだろう。

そのままゴリ押しで意見を通せば、衝突、或いは嫌われることは確実。

自分が痛いことをされたら、同じことをすれば相手が痛がるという事が分かる。

結果、相手が痛がることはしないようになる。

相手が嫌いな奴であれば意図的にそうする可能性はあるが、普通の状態で他人に痛みを感じさせる事はまずしなくなっていく。

 

▪ネット上は「相手が見えないから出来るディスコミュニケーションで溢れてる」

相手の痛みが分からないから煽り続けられるし、傷つくことも平気で書ける。

その文章にどれだけ傷つき、どれだけのダメージを負ってるか、書いた人には分からない。

俺が書いてる時はあなたの姿は見えなくて、どう感じてるか、どう思ってるかは分からない。

だからこそ好きなことを自由に書けるが、それは即ち「責任を負っていない」という事でもある。

 

▪「発言の責任」がない

例えば、目の前で「俺があなたを煽った」としよう。

その場合「あなたはキレて殴りかかってくるかもしれない」。

それは「あなたの当然の権利」である。

突然気分を害されたあなたは、突然気分を害することを言ってきたクズ野郎に不満を表する権利を持つ。

本来「言葉を発する」というのは「そういうリスクを負っている」。

俺が言った言葉で、誰かが何かを感じ、その結果としての「行動」がある。

目の前で褒めれば気分が良くなるし、クソみたいなことを言えば気分が悪くなる。

ネット上だけはその責任がない。

俺は俺の意見を一方的に投げっぱなしで逃げられる。

俺の意見であなたがどんなに気分が悪くなろうと、目の前に俺はいない。

逆に言えば、あなたの意見で俺の気分がどんなに害されようと、目の前にあなたはいない。

荒らしのクズ野郎が目の前にいたら、取っ組み合いは確実。

絶対にそのまま帰らせることはない。

しかしながら、ネットではそれができる。

言いっぱなし、煽りっぱなし。

これは「現実世界では絶対にない事」であり、ネットでのコミュニケーションの特異性と言える。

 

▪ネットは「人間不信になる」

傷つくことを相手に平気で伝え、その責任を取らず、逃げられる。

「そんな意見ばかりを目にするし、自分もその対象になる」。

そして、いつの間にか「自分もそっち側になってる」。

傷つけられて、痛みを抱えきれなくて、他人に同じ事をし、そういう循環の中で「他人を遠ざけていく」。

自分の意見を言えば誹謗中傷され、その誹謗中傷から身を守るために他人を誹謗中傷する。

「この悪循環から抜け出そう」。

ネットは人の悪意が増幅し、可視化される構造を持つ。

 

▪目の前の人間は「自分と同じ人間」

誹謗中傷されれば痛みを感じ、肯定されれば嬉しい。

自分と同じように傷つき、怒り、喜ぶ「人」。

尊重されたら嬉しいし、気遣いされたら嬉しいし、感謝されたら嬉しい。

そんな自分と同じ「人」。

人間不信になった今、改めてそれを意識して、「責任を持った言葉を伝えていこう」と思った。

 

現実世界の「あなた」はどういう人なのだろう?

まだ傷ついた心が癒えてないから、あなたに会いたいとは思わないけど、同じように痛みを感じ、嬉しさを感じる「人」なのだろうと思う。

 

「人」に会いたい。

ネットじゃなくて。

感情をやり取り出来て、気遣いと配慮と尊重をもってコミュニケーションできる「人」と。

 

そんな事を強く思う。

 

仕事は人に認められることをしないとダメっぽい。

 

趣味は「自分のため」。

仕事は「人のため」。

ここをキッチリ線引きしないとおかしなことになる。

 

▪仕事は「人に認められて成立する」

くり~むしちゅ~上田、バナナマン設楽、千鳥大悟も言っていた印象的な言葉がある。

「最終的にお客さんが笑う事が正しく、お客さんを楽しませるためにやってる」と。

この三名は、売れなくて腐っている時期があり、いわゆる「身内ウケ」に走った時期があるとも語っている。

くっき~然り、オードリー若林も然り、数多の売れている芸人が「お客さんに受ける事」よりも「芸人から評価される事」に重点を置いていた時期があった。

当然ながらその時期には「売れていない」。

お客さん…即ち「見てくれる人」あっての芸人であり、見てくれる人が楽しめなければ「認めてもらえない」。

そこから思い直し「お客さんに望まれている事をやろう」「お客さんを笑わせる事を第一に考えよう」となり、今の場所に辿り着いた。

当たり前と言えば当たり前だが、しかしながら「それを本気でやろう」と思うには、結構な年月が必要だったりする。

 

▪好きを仕事にするにはいくつかの条件がある

またちょっと別の話で、ユーチューバーを原点とした今も続く流行りで「好きなことで稼ごう」というモノがある。

これには条件がある。

1,人から望まれる事

例えば「スポーツ選手」。

八村などが代表的だが、本当に跳びぬけた身体能力がある人は、小さな頃から「勧誘が来る」。

「うちのチームに入ってくれ」

「うちの部活に入ってくれ」

「選抜に出てくれ」

「うちの学校に来てくれ」

など。

つまり「人から望まれる」。

その競技をやることを「周囲から望まれる」。

バンプオブチキンなどもそうで、インディーズデビューシングルを周りの人に聴かせたところ、びっくりするくらい色々な反応が返ってきたという。

 

失敗する例は、当然「逆」。

「自分が好きなだけ」で「周囲から認められていない」。

自分が好きでやっていて、それを仕事にしたい人。

もちろんその場合は「周りから望まれていない」状態でのスタートになる。

その状態でやっている「それ」は、誰にも評価されず、ただ趣味で行っているモノにすぎない。

周りから認められるモノを作るしかないが、それに合わせられるかは「才能」になる。

 

2,嫌いな事もやる

イチロー氏が言っていたが「好きなことだけでは対価はもらえない」。

広告活動のようなこともしなければならないし、野球だけやってればいいというわけではない、と。

確実に「好きじゃない事」もやる事になる。

 

▪仕事と趣味は完全に分けたほうが良い人もいる

好きなことは誰にも邪魔されず、自分の好きなコトだけ、好きなだけやりたい、という人。

俺がそうなんだが「自分が大好きでやっている事は他人から口出しされたくない」。

自分が興味あるところだけ、自分が飽きるまで、自分勝手にやりたい。

他人の干渉は煩わしいだけで、助言も求めてなければ、上に行きたいわけでもなく、ただすら自分が興味ある事だけをやりたい。

こういうタイプは好きを仕事にしない方がいい。

「他人に認められるためにやる事」と「誰にも干渉されない自分本位の空間」は、完全に分けた方がいい。

 

▪他人に認められるためには「自分はいらない」

上述した「八村」や「バンプオブチキン」並みのとびぬけた才能…即ち「周囲から望まれる特徴」がない限り、「周りに合わせる必要がある」。

つまり「相手が望むものを提供する」。

俺がしたい何かではない。

「あなたが望む何か」を提供する。

これを読んでるあなた(方)に意見を訊き、このブログの何がダメで、何が良くて、何があればもっと見たいと思うのか?をひたすら試す。

俺が書きたい何か「ではなく」、「あなたが見たい何か」。

ここに俺の意見はいらず、ただひたすら「読んでくれてる人が満足するコンテンツを作り続ける」。

 

▪認められるためにする事は「自分が犠牲になる」

ただひたすら「あなたのために書く」。

あなたには認められるだろう。

しかしながら、「俺は面白くない」。

当然だよね。

だって「俺がやりたい事が一切入ってない」んだから。

ちなみに、このブログは「俺が楽しいから書いてる」。

「あなたに認められるために書いているのではなく」だ。

カネをもらってるわけではなく、対価を貰っているわけでもない。

つか「いらない」。

対価を貰って息苦しくなるくらいなら「このブログは閉鎖する」。

自由に、今書きたい事を、好きなだけ書く。

苦情など無視し、称賛も一歩引いて受け止める。

 

仕事は仕事で「滅私奉公」。

趣味は趣味で「自分本位」。

 

しっかりバランスを取っていきましょう。

 

▪まとめ

仕事は「他人に認められる事で成立する」。

人が自分に望むことを提供する。

そこに俺の意志は必要なく、ただひたすらあなたが望むものだけを提供し、また利用したいと思ってもらう事で対価を得る。

好きを仕事にするには「人から認められる圧倒的な才能」、あるいは「滅私奉公の精神」がいる。

趣味は趣味として他人干渉を受けたくないタイプであれば、仕事と趣味は完全分離がオススメ。

「仕事は他人のためにする」。

「趣味は自分のためにする」。

 

今している「それ」はどちらなのかを意識しながらやっていきましょう。

 

一番重要なのは能力よりも「人と上手くやるコト」。

 

能力があれば、人から認められたり、金が稼げたりすると思っていたが、違った。

能力より「人」。

人と上手くやれさえすれば、どこ行っても生きていける。

どんなに能力があってもそれを認める人がいなければ意味がないのである。

逆に、どんなに能力が低くとも、人から望まれる人であれば活躍出来る。

能力ではなく、人。

 

◾︎能力は「人の感情を良くするために使う」

例えば、ブログの場合。

読んだ人が「役に立った」「また読みたい」「読んでよかった」と「感じる文章」が提供できれば、それが能力として評価される。

そこに必要なのは、能力ではない。

読んだ人が気持ち良くなる、役に立ったと感じる文章であるコト、即ち「感情を起こす文章」であれば良い。

ここが重視なポイント。

どんなに役に立つコトが書いてあっても、どんなに重要なコトが書いてあっても、「読んだ人がそう感じなければ意味がない」。

見た人の感情を起こせれば評価される。

逆に、淡々と事実を述べて100%正しいコトを書いたとしても、なんの感情を起こさないモノは評価されない。

あなたの感情をかき乱し、喜怒哀楽を提供できてこそ「意味」が生ずる。

 

◾︎世の中は「人で成り立ってる」

決して合理的ではない世界で。

ミスもすれば、間違いもするし、能力のないやつが上にいたり、正しいやつが下にいたりする。

そういう非合理な世界の中で生きているのである。

その中での「能力」とは、いったい何のだろうか?

結果の決まっているスポーツであれば尺度は1つしかない。

しかしながら、他の曖昧さが残るモノにおいてはその「能力」というのは、他人との折衷能力と言っても差し支えあるまい。

モノやコトより「人」。

「人がいればこそ」モノやコトが作れる。

物事よりも「人と上手くさえやれれば」全てが解決する。

 

◾︎まとめ

社会は「人」。

モノやコトよりも「人と上手くやれればいい」。

会社には仕事しに行くのではない。

「会社の人間とコミュニケーションしに行く」のだ。

仕事なんざ上司や先輩に教えてもらえればどうとでもなるし、カバーしてもらえればどうにかなる。

問題になるのは「教えてもらえないこと」「助けてもらえないこと」だ。

しっかりと人とコミュニケーションしていれば、仕事なんざどうにか回る。

逆に、人とコミュニケーションしていないと、仕事が即回らなくなる。

何故ならそこにいるのも「人」だからだよ。

 

人と上手くやろう。

変な話し、それだけ重視してりゃ他はいらん。

「人」です「人」。

人とコミュニケーションするコトを第一にやっていきましょう。

 

人間関係は「合わせられる人が上」。

 

森喜朗氏や二階氏など、失言が相次いだ事でお分かりになるだろう。

世間に合わせられない人には、対外的なトップは務まらない。

というのも「合わせられる人の方が能力が上」だから。

森さんや二階さんみたいに「周りに合わせてもらってる人じゃダメ」なのよ。

 

▪長く同じ場所にいる人は「合わせてもらう事でやっている」

同じ職場で長くやっている人は「天狗になってる」。

そこでは人間関係が出来ているため、自分が正しく、偉く、大抵の事は水に流される。

昔の俺もそうだったが、10年も同じ職場にいると「仕事はできる」し「たいていの人間は知り合い」だし「店長や支部長クラスとも交友関係があり」、さらに「自分がどんなキャラかも知れ渡ってる」。

結果、どうなるか?

大抵の事は「俺が言ってることが正しくなる」。

パワハラ紛いの事をしても俺の主張が通りやすいし、よほどのことがない限り注意されない。

周りはある種の味方ばかりだし、相手の方が悪いという事で不問になりやすい。

では「この状態で外に出たらどうなるだろうか?」。

 

▪外は「知らない人しかいない」

知らない人とやっていかなければならない。

例えば、俺の仕事で「あなたに説明しなければならない事があった」としよう。

そこでは、俺がどんなに仕事が出来ようが、どんな人間であろうが、どんなキャラであろうが、そんな事は「あなたは知った事ではない」。

俺が何年仕事していようが、先輩であろうがなんだろうが、知った事ではない。

俺に求められるのは「知らないあなたに合わせた丁寧な説明ができ」その結果として「あなたに納得してもらう」コト。

*この記事は仕事じゃないので「分からなければ分からないで良い」ため、丁寧に説明する気はないが。

内輪の天狗になってるみっともないジジイがトップを張り、ロクな説明もできない結果が「これ」である。

 

▪合わせられる人が「明確に上」

一般的な人間関係でも同じ。

「合わせる力がある」という事は…変な話しだが「相手が下」という事でもある。

力量が上の人間が下の人間に合わせる事は可能だが、下の人間は上の人間に合わせられない。

子供に合わせて会話する事が出来るのは、子供の理解力に合わせた語彙を選び、話の順序を組み立てられるから。

逆に子供が上ならば、一気にまくしたてられて、何を言ってるのか理解不能になるだろう。

「会話をリードする」という事は、相手に合わせながら、かつ流れを失わない様に会話できるからそうなる。

つまり、「俺が」「あなたに合わせた説明をする」という事は、相対的に俺が上でなければ不可能という事である。

 

▪「あなたが」「俺に合わせて読んでくれてる」という可能性もある

二年ほど前まであらゆるところで「読みにくい」と言われてきた筆者である。

その分かり難さと粗雑さは折り紙付きであり、さらに読者に全く合わせようとしない姿勢も相まってのこのブログである。

「それを読み解きつつ読んでくれてるあなたの方が明らかに格上」という事も、当然あり得る事である。

その辺は曖昧ではある。

…が、俺が合わせようとしないのに対応してる方というのは、相当な技量の持ち主であると推測される。

 

▪まとめ

ちゃんと説明できる人は頭がいい。

それは「相手に合わせた説明ができる」から。

自分より技量が上の人に合わせることはできないが、下の人であれば合わせる事ができる。

 

あと一つあり得る可能性は「あなたの能力が高い」という事。

こっちが合わせる気ねえのに、あなたが自分で補完して合わせてくれる。

その場合は「あなたが上」であり、俺はあなたに合わせてもらう事でなんとか成立している。

今のところそれを判別する術はないが、なんとなく空気的に分かるモノでもある。

 

確実に言えるのは「合わせられる人は能力が高い」。

人に合わせられるのは、合わせたい人よりもスキルが上だから。

相手をよいしょして、気持ち良くして、信頼を得たのち、最後の選択はあなたが決められます。

そんな現実。

 

本日もお読みいただき、ありがとうございました。

 

自分の頭で考える必要はないのかも。

 

社会で人と上手くやっていく上で重要なのは「相手が望むモノを提供できるかどうか?」だと思う、今日この頃。

 

▪相手が自分に求めるモノを提供する

例えば、新人が入ってきた、とする。

そこで求められるのは、誰よりも低姿勢で、いつも挨拶をし、何言われてもとりあえず受け入れて笑って過ごし、言われたことは一回で覚える。

そういう模範的な新人像を体現すれば、とりあえずは「好ましく映る」だろう。

そこで求められているのは「俺ではなく」、「相手にとって都合の良い人材」。

つまり「自分が何をしたいか?」よりも、「相手が何を求めているのか?」。

要するに「自分の頭で考える必要はない」。

 

▪自分の頭で考えずに合わせる方がいい

相手が白と言ったら白に合わせる。

相手が黒と言ったら黒に合わせる。

逆の方が間違いなく効率的で正しいとしても、そこでその人間と上手くやりたいのであれば合わせた方がいい。

怒られたら、俺が悪くなくても謝罪する。

どんなに間違っている事でも相手に合わせる。

そこにはそこのルールと判断があり、一般社会でどう感じようが関係ない。

その場で、その状況で、相手に求められたことを正しく打ち返す。

必要とされてるのは、俺がどう思うか?ではなく「相手が期待してる答え」だ。

 

▪多数が求める答えを打ち返せたら人気者

今の時代に、この場所(ここだとネット)で、多くの人が求めるコンテンツを提供できる人。

自分がしたい何かじゃなくて、相手が見たいと思ってる何か。

相手の何かに応えれば支持されて、それが仕事になる。

 

▪このブログは「俺がやりたい事が主で」「求める答えを打ち返そうと思っていない」

俺が書きたいことを書いてる。

思い付きで、その時に感じた事を。

読者の期待に応えようとは微塵も思ってない。

「読んでくれるのはありがたいし、嬉しい」。

…が、だからと言って自分が書きたいことを曲げてまで期待に応えようとは思っていない。

だから楽しいし、続くし、また書こうと思える。

そんな場所だからこそ、文句を言いたい輩も来るし、色々な意見も来るのだろう。

繰り返すが、ここは「俺の場所」であり「俺が書きたいように書いてる」。

あなたの期待に応えるような事は何もなく、純度100%の俺のわがままで構成されている。

それが凄くラクで楽しい。

社会のように、俺があなたの求めるモノに応えようとすれば、非常に苦しいモノになる。

俺のごく個人的な空間に付き合ってくれてる読者様は奇特としか思えないレベルである。

正直な話し、これからも読んでくれとは言わないし、不快なら去ってくれていい。

それくらいプライベートに近い空間であり、独白に近い内容でやってるという事はご承知おきください。

 

▪社会は「求められる何かに応えれば生きていける」

そこで求められるモノに応える。

カネを得るためにしてる仕事にしろ、そうでないモノにしろ、その場で求められるモノさえ提供できれば生きれる。

一年目に求められるモノ、二年目に求められるモノ、三年目に求められるモノ。

年下に求められるモノ、年上に求められるモノ、下っ端に求められるモノ、〇〇長に求められるモノ。

雰囲気で求められる、体育会系のノリ、文科系のノリ、などなど。

自分の意見など必要なく、ただその場で求められるモノを提供し続けるだけで生きていける。

「自分の頭で考えるよりも、その場で求められる何かに応えるほうが優先順位が高い」。

 

人と何かをやるという事は「自分より他人を上に置く」という事なのだろう。

…ただ、それが正しいかどうかも考える必要はない。

「目の前の人間が求めている事を丁寧に打ち返す」。

それだけを考えていれば、社会では上手くやっていけるはず。

 

このブログは真逆なんだけどね。

それはそれ、これはこれ。

俺自身がやってて楽しい趣味としての存在価値がこのブログにはある。

 

自分と他人のバランスを取りながらやっていきましょう。

ただ、他人と上手くやりたいなら「他人が求める事を打ち返しましょう」。

 

最後に「あなたはおそらく俺を求めてはいないだろう」。

イラつくこともあれば、当たりハズレもあるだろう。

ここはそういう場所です。

芸能人のように職業としてあなたを楽しませるために書いているわけではなく、単純に俺が書きたいから書いてるだけの場所。

最早、ほぼオ〇ニーと言っても差し支えなかろう。

 

役に立つ情報が欲しい、楽しいのが見たいのであれば、他の事に時間を使う事をオススメします。

マジで。

 

ここまで読んでくれた奇特な方がいましたら、ありがとうございました。

 

あなたのコメントは「あなたの知性を表す」。そしてそのコメントは「全ての人が見ている」。

 

コメントするのはもちろん自由である。

このブログだけではなく、YouTubeやニコ動など、様々な所に存在する。

では、そのコメントから「色々な情報が得られる」という事はご存知だろうか?

そしてそれは「あなたの知性を明確に表す」という事も。

 

その前にまず前提からお話ししよう。

 

◾︎成し遂げた事がない(目標を達成した事がない)人ほど、他人を功績で判断する

よく来るコメントの1つに

「何か結果を出したんですか?」

「何かを成し遂げた事があるんですか?」

というのがある。

そういう人達に問いたい。

「逆にお前こそ何か成し遂げたコトがあるの?」。

 

筆者は、ブログでは月刊6万PVまでいき、女性関係では遊び回ってるやつらとは違ってしっかりと関係を築けるようになり、筋トレではバスケのリングを掴めるくらいの身体能力になって体脂肪率10%で腹筋バキバキになったりと、自分が目標としてきたモノは大半達成してきた。

他にも本を100冊読んだ時点で意味ねーから読むのやめたり、ブログはここ以外にも持ってて今まで書いた総記事数は余裕で1000を越えてたりとか、伝えてねーけど色々やってきた経験がある。

それをわざわざ書かないのは、いちいち自慢や吹聴する必要性を感じないから。

いちいち書かねーと分かんねーやつがいるコトに驚きを隠せない。

 

そして、そういう奴らに共通している事がある。

そういう奴ほど努力をした事がなく、物事を達成したことがない、ということ。

何故なら「中身を自分で判断できない」から。

達成したことがないやつほど結果論で物事を語り、判断する。

努力した事ないやつほど、他人の努力を理解できない。

「自分がやった事ないから分からない」。

以前、恋愛した事ないやつほど恋愛にうるさいという記事を書いたが、それと全く同じ。

 

◾︎やった事がある人は「中身が分かる」

努力した事がある人は、相手がどれくらい努力しているのかが分かる。

物事を達成した事がある人は、達成する手段が分かる。

目標にどうやって向かっていき、どれくらいの期間やり、今何をしていて、どうして行きたいのか?が分かる。

つまり「中身を見れば分かる」。

そいつが本当に努力しているのか?

達成するために頑張っているのか?

これらが結果となる前に判断できる。

知らない人からすれば超能力みたいに見えるだろうが、知ってる人からすれば「まあ当然だよね」となる。

 

◾︎他人にうるさくやった事がないやつほど「中身を見ない」から「建設的な意見が出せない」

中身を見ないで文句ばかり言う。

あれはできない、これはできない、結果を出せ、成し遂げたコトあんのか?と。

それが建設的ではないと気付いてすらいない。

 

◾︎やった事ある人や、他人にあまり文句を言わない人は「提案」する。

〇〇だからできない、これを変えたらいい、〇〇の努力が足りないなど、の「建設的な意見」が出る。

 

◾︎意見をいうのは勝手だが「その意見はあなたのレベルを表している」

あなたのその「意見」。

その内容こそ、即ち「あなたのレベル」。

的を得た批判なのか、建設的な意見なのか、単なる荒らしのような無意味な文字の羅列なのか?

それは見ている人には分かっている事。

俺だけではなく、そのコメントを見た全ての人から判断されている。

拙くても優しく響くコメントもあれば、明らかなクソガキが書いたであろうコメントもある。

それは全て「あなたの知性の結実」である。

 

繰り返すが、上述した通り「経験者や知者ほど状況が理解でき、的確なコメントが出せる」。

何にも中身がないコメントは小学生でも出せる。

 

さて、「あなたのコメントは他人にどう読まれていると思いますか?」。

匿名だからいい?

それこそが「あなたの知性を表す」のだよ。

優しい人や、相手の気持ちになれる人や、しっかりポジコメを書く人は「誰に読まれても恥ずかしくないコメント」に仕上がっている。

それは即ち、大多数の人からポジティブに受け入れられるという事」。

 

ネガコメネガコメでも、普通の人はしっかりと内容を見ているし、見られているのだよ。

「匿名かどうかなんて関係ない」。

 

あなたのコメント、思ったより他人に読まれてますよ。

 

副業をやるなら本業で結果を出してから。普通に働くのが一番いい。

 

さんざんブログをやり、成功例を大量に見てきた結果、一つの結論が出た。

「普通に働くのが一番稼げる」。

そして、「本業(既存の仕事)で結果を出せない人は、副業も上手くいかない」。

副業は逃げ道ではなく、結果を出せるやつがさらに追加で報酬を手に入れられるボーナスステージ。

つまり「まず本業を全力で取り組みましょう」となる。

 

▪副業で儲けるには条件が2つある

1,本業に全力で取り組んでいて実績か実力がある

何もない人が成功する世界じゃない。

何か一つの事を極めた、あるいは職業として成立するレベルまで実力を高めた人のみが結果を出せる。

仕事としてやっている商売をネットで自分のコンテンツとして紹介したり(金融とかファッションとか)、趣味としてアホみたいな時間や金額をぶち込んだモノだったりなど。

そういうのが何もなく、本業が微妙だから副業をやりたいみたいな気持ちで何かをやり始めても絶対に上手くいかない。

そういう場合は「本業に全力」で。

目の前のお金を貰える「それ」にキチンと取り組み、誠実に結果を出す必要があるし、それが最短。

 

2,本業並みにガチで副業に取り組む

片手間の副業では結果は出ない。

本業と同じ熱量でやる期間が確実にいる。

そこまでして副業をやる必要があるのか?という所から問いかけてもいいくらい。

正直やんなくていいと思う。

本業で極まって新しいチャレンジが欲しいくらいの理由がなければ、その時間で別なことをした方がいいと思う。

 

▪本業で上を目指す方が最短でラクにカネを稼げる

普通に就職して、普通に働くのが最も稼げる。

普通に働くという事は、もうそこには稼いでる先人達が腐るほどいて、その人達から教えてもらう事もできる。

そしてそこには、もうある程度安定している稼ぎ方があるという事。

「自分一人で稼ごうとするよりもよっぽど簡単で、よっぽどラク」。

 

▪一人で稼ぐのは茨の道というか不可能だし、非効率

何もない場所に何かを作るのは大変だし、そんな必要もない。

今ある場所で学び、学びながらカネをもらう。

学んだ分で効率よく仕事をし経験を蓄積する。

副業はその先。

そこで学んだことを新しい場所に出せばいい。

基本的に一人で何かやるより、既存の何かに合わせる方がラクで効率が良い。

そこには知ってる人が必ずいるし、自分で考える必要もない。

言われたことを確実にやっていくだけで戦力になり、カネも稼げる。

普通に働くのが一番いい。

 

▪まとめ

副業をやるなら、本業で一人前になってから。

本業で結果を出せないのに副業をやっても非効率なだけ。

もっと言うと「本業にしっかり取り組む方が効率がいい」。

副業はどちらかというと「ボーナスステージ」。

副業をやる必要のないくらい本業をキッチリやってるやつが、さらなる高みを目指すために行うモノ。

普通の人がやっても疲れるだけで旨みが少ない。

「普通に働くのが一番」。

次の就職先では本気で取り組みたいと思います。