研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

事象は事実通りに解釈する。

 

「事象を見て、現実通り解釈する」。

これって超重要じゃね?

例えば、サッカーで「失点した」としよう。

その場合「得点をした選手が上手かったのか?」

「DFが下手だったのか?」

「パスした選手が上手かったのか?」

それとも「ボールを失った場所が悪かったのか?」

これを「現実に最も当てはまる形で解釈できる人」。

これが即ち「読解力のある人」。

 

■人によって「解釈が違う」

同じ事象を見ていても、得られる情報量が違うのが起因。

さっきの失点の場合だと「サッカー経験者」と「非経験者」。

この二人が同じ得点シーンを見ても「解釈が大きく異なる」。

非経験者は「憶測」や「見た感覚」などで判断する。

一方、経験者は、自分の経験や知識と照らし合わせて判断する。

そして、現実に近いのは「サッカー経験者」だろう。

それは「より多くの情報をその失点から得られる」から。

 

■解釈=得られる情報量を元に作成する意見

自分が得られた情報がベースにある。

「同じ事象を見て拾えた情報」で作る。

だから、頭の良し悪しが出るし、見ている人にも分かる。

 

■頭が悪い人

「憶測」や「推測」で物事を語る人。

なぜそうなるか?ってのはさっき書いた通り。

「現実から拾える情報が少ないから」。

経験が少なく、事実かどうかの情報も判断できないため、自分の頭で判断できない。

だから憶測や推測に頼る。

 

■頭の良い人

「経験」や「事実」をベースに物事を語る人。

経験があり、もしくは「事実と推測の区別ができていて」、現実に今何が起きているのかを判断できる。

だから、経験や事実をベースに解釈を組み立てられる。

仮に、全くやったことがない事でも、現実的にこれは可能で、これは不可能と選り分けていくので、覚えが早かったりする。

 

◼️他の事でも同じ

恋愛での「フラれた」とか「連絡来ない」とか。

仕事での「怒られた」とか「意見が通らない」とか。

それらは事実としてはどうなっているのか?

こちらから見た解釈ではそうだろう。

しかしながら、相手側から見た解釈ではどう映っているのか?

本当に、今見えているその事実「だけ」なのか?

他の理由があっての「それ」なのではないか?

そういう「事実」をキチンと入れ込んで解釈しよう。

 

■現実は「現実にある」

俺らはファンタジーで生きてるわけでもなければ、小説の中で生きているわけでもない。

確かな「経緯」があり、その成果として「結果」がある。

ちゃんと努力してるやつを、一日で抜く事など「不可能」。

確かな経験や努力や年月の上に「それ」がある。

今の現実をしっかりと見て、今できる事を積み上げていきましょう。

積み上げていく事でしか届かないし、積み上げ始めなければ届くことはない。

「現実」としっかり向き合っていきましょう。