バラエティとはなんぞや?という事で、裏側をちょっと書いてみる。
▪︎背景
1、酒のつまみでの「強い話題」としての芸人vsYouTuber
「松本人志さんがいない状態で」の収録である。
ここでポイントが二つある。
1−1、番組側の「強い話題の必要性」
粗品さんは「芸人枠」として出ている。
そこに呼ばれている理由は「強い話題を出してくれ」という事。
強いというのは二つの意味があって「見出しになるような話題」と「笑いを取れる話題」。
これは番組を作る側として考えると理解出来るだろう。
松本さんを失い、大悟さんを代役に立て、色々言われている中での収録。
「結果(視聴率)が欲しい」と思うのは至極真っ当である。
それに対しての粗品さんの回答が今回の話題となったのは流石の一言であり、「求められたことを完璧にこなした結果」であったりもします。
詳しくは後述しますが、見出しになる話題に対しての「芸人vs YouTuber」。
笑いを取れる話題に対しての「宮迫イジリ」となっていて、構成としてもさすがだったりします。
1−2、大吾さんを助けるための「強い話題」の必要性に応えた結果
本来なら全て落としてくれる松本さん。
しかしながら、今そのポジションにいるのがまだ不慣れな大悟さんである。
大吾さんに頼らずとも「話題」となり、「笑い」となる、「完パケの話題」が必要とされる。
「MCに負担をかけないための強い話題」。
そのために「自分が泥を被ってでも面白くしよう」とした。
その結果「こうなった」という。
2、蛍原さんがいてこその「宮迫呼び捨て弄り」
本人がいない所でイジると、言い返すことも出来ない。
しかしながら、本人を目の前に弄れば、言い返すこともできるし、受け身を取ることもできる。
さらに色々な要素があって「呼び捨て」になってる。
この辺はちょっと複雑なので、順を追って説明する。
2−1、宮迫さんを尊敬してるからこその「下げ笑い」
落ちてった先輩をいじると面白い。
これだけだと非常に後味が悪い。
…が「どういう感情で弄ってるのか?」が重要。
前提として「尊敬」がある。
つまり「話題に出す=絶対に笑いにしなくてならない」。
笑ってもらえるからこそ受け身を取れるし、話題に出された方も嬉しい。
もし万が一滑ることがあれば「やられ損」。
それだけは絶対に回避しなければならない。
そのため「このやり方で弄った方がウケる確率が上がるからやっている」のである。
落としたいからやっているのではなく、「ウケる確率を上げるためにこの手法を採用した」というのが真相に近い。
2−2、自分が格下だと思ってるからこその「目上いじり」
先輩が後輩を腐したら、単なるパワハラである。
吉本で完全に確立された先輩に対して、ちょっと売れてる生意気キャラの自分が噛みつきにいく。
その構図が面白いので、あえて強めに噛みつきに行ってる。
2−3、蛍原さんがいるから、本当にヤバい時は止めてくれる
蛍原さんがいることで、本当に宮迫さんが傷つきそうなことを言った場合に「止めてくれる」。
もしセンシティブなところに触れた場合「それは粗品あかんで」で全て丸く収まるため、ギリギリのラインを狙っていけるようになる。
逆にいうと、蛍原さんが笑っていたということは「OKという事」だったりもする。
それは3人の関係性上なのでこっちには分かりにくいが、蛍原さんがOKであればOKなのである。
2−4、ここで話題を出すことで、宮迫さんに対しての世間やスタッフの反応も確認できる
復帰させても大丈夫かどうか?を、周りのリアクションから判断材料にできる。
スタッフさんがOKを出せば復帰できる可能性が格段に上がるため、名前を出す意味というのがものすごくある。
つまりは「優しさ」を十二分に孕んだ選択だったという。
2−5、先輩に YouTuberイジリやめろや!と突っ込まれれば、全ての泥を被ってオチが作れる
「粗品が悪かったんですよ」で全て丸く収まる「隙間」を作った上での話題だった。
周りの人達が気を遣って悪者落ちにしなかったが、最後まで掲示しての話題だった。
2−6、 YouTuberの人達は「イジリの構図」を「かなり深く理解している」
トップYouTuberの方々は、芸人とめちゃくちゃコラボしてる。
つまり「関係性がある」。
特にラファエルさんやヒカルさんは、著名な芸人ほぼ全てとコラボ動画を「複数回」作っていて、芸人がどういう構図なのかを知っている。
つまり「どういう手法で弄って」いて「どういう笑いを作り方をしている」のか。
つまり「どういう感情で弄っているのか?」の背景を理解している。
ひと笑いのためのフェイクパンチであって、本当に思っているわけではない、と。
そのため「おそらくこれを見て気分を害することはないだろう」という前提での「この話題」となったのだろうと推測される。
▪︎粗品さんは「自分が泥を被るつもりだった」はず
上述したが「お前何いうとんねん!」で「全てが丸くおさまった」。
芸人もおもろいけど YouTuberもおもろいわ!で、「粗品の理解がおかしい」という方向で落ちた。
ここで誤算だったのは、出演者に「 YouTubeをやっていない人が多かった」事。
YouTubeをやっていない芸人にとっては、「YouTuberとの関係性がない」。
もう弄っても大丈夫なくらいまで関係性があることや、かなり面白い人たちがいることを「知らない」。
千鳥や山田邦子さん辺りがまさにそう。
つまり、粗品さんが思っていた落ちに向かわず、5年前の対立構造をそのまま出してしまった。
いまだにYouTubeを見ていない人は、YouTubeにどれだけ面白く多彩なコンテンツがあるかを知らないので、まだテレビの方が上だと思っている人も数多くいる。
そっちに引っかかってしまったため「両方とも面白いじゃん」に向かわなかった。
そこに最大の誤算があり、これだけの話題となってしまった誘因があった。
▪︎まとめ
スタッフの「求めるもの」。
演者の「求められるもの」。
人との「関係性」。
バラエティとして面白い語りを作る上での「理解度」。
これらが絡まった上での「あの話題」だった。
不愉快だから言ったわけでもなく、落とすつもりで言ったわけでもない。
笑いを作る上で「必要だったから」やっただけ。
むしろ「宮迫さんへの信頼」
「蛍原さんへの信頼」
「 YouTuberの皆んなに対する信頼」
があった上で
「自分が全ての泥を被れば丸く収まる」
という上で「成り立った話題」でした。
全部を理解するのは非常に難しい構造なので、誤解される方が多く出てしまっている、と。
これを読んだ皆様におかれましては、ご理解いただければ幸いです。
お読みいただき、ありがとうございました。