研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

頭が良い人は頭が良いなりの理由がある。

 

恐ろしい事が判明した。

頭が良い人は「頭が良い習慣を習得してる」から、頭が良い。

先天的な頭の良さもあるだろうが、それ以上に「行動が良いから」頭が良い。

それは何か?

「素直に試してみる」という事。

 

◼︎頭が良い人ほど「新しい事をやってみる」

YouTubeで色んな人にコメントをした結果がまさにこれ。

頭が良い人の代表格である、スマブラ産みの親である「桜井さん」や、東大卒のプロ格闘ゲーマー「ときど氏」。

このお二方は、マジで「コメントの意見を拾って動画を作る」。

「こうしたらどうでしょう?」

「これはこっちの方が良いかも」

「こんなのが見たい」

などの意見を「かなりの速度で反映させて動画を作る」。

この「意見を取り入れるスピード」が「マジで異常」。

新しい事で、簡単に取り入れられそうな事は「とりあえずやってみる」という姿勢がヤバい。

新しい事をやってみるから経験とフィードバックが増えるわけで、経験とフィードバックが増えるから「より正確に判断出来るようになる」。

このループによって、頭が良い人は「より頭が良くなる」。

頭が良いと言われる人は「このループを延々と繰り返した結果」頭が良くなったのだと思うに至った。

 

◼︎頭が悪いやつほど人の意見を聞かない

先程も書いたが「色々な人にコメントを書いた」。

結果として「全く意見を取り入れないやつもかなり多くいた」。

こういう人達は、いつまでも…言葉を選ばずに言えば「しょぼい動画」を作り続けていた。

視聴者がくれた「新しい意見」を「全く試さない」。

即ち「今の思考と技術以上のモノは出てこない」のである。

頭が悪い人は、先天的に頭が悪いのではなく「新しい事を試さない」から、いつまでも同じ思考と行動をしているため「進化がない=頭が悪い」。

頭が悪い人は、頭が悪いなりの理由があるのである。

 

◼︎まとめ

頭が良い人ほど素直で、新しい事に対してオープンな姿勢を取る。

その結果、どんどん新しい事を取り入れて進化していくため、結果的に「頭が良い」。

頭が悪い人は「逆」。

いつまでも同じ事を繰り返して進化しないから「頭が悪い」。

ちなみに、頭が良い人のオープンさは思ったよりも異常(褒め言葉)だった。

誰とも分からない他人をコメントを拾って、とりあえず面白そうなら試してみる貪欲さは、本当に凄い。
上では触れなかったが、アイキョウバイクチャンネルの相京さんとか、濱口優の秘密基地のスタッフさんとか、意見を凄く取り入れる人は総じて人当たりも良く頭が良い。

だからこそそこにいるんだな、と非常に納得できる結果でした。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

得意な事は自分じゃ分からないんじゃないか?説。

 

「簡単にできる事」というのは「自分の中では下の方に位置する」。

よって「自分の評価は低い」場合が多い。

しかしながら、他人から見ると「そこに価値がある」という。

このミスマッチにより「自分で自分の得意を判断するのは難しい」という状況が発生する。

 

◼︎もの凄く頑張った事は「強く記憶に残る」

あの時、あんなに頑張って努力した、と。

「頑張った記憶」として、自分にとっては印象深くなる。

それくらい、自分にとっては重要で大切なモノである。

しかしながら、他人から見た場合も同じとは限らない。

 

◼︎特に努力する事もなく評価される事は「あまり記憶に残らない」

なんせ「当たり前にやってただけ」だから。

自分では努力したつもりもなく、頑張ったつもりもない。

よって、自分の中では「特に印象深くもない出来事」として処理される。

こちらは「他人から見た場合は非常に重要なモノ」。

「あの人あれが凄いよね」「あの人のあれが見たい」などなどの評価をもらえる、いわゆる「特技」と言われるモノに近い。

 

◼︎社会評価は「他人が主軸」

なんせ自分は一人しかいないのである。

他人は日本人だけでも1億人いる。

要するに「社会で生きる」=「他人の評価が高い行いをする」という事。

そこで重要なのは、自分が努力してきた大切なモノではない。

自分が当たり前に出来て、自分からの評価は低いが、「他人からの評価がやたら高いモノ」こそが重要となる。

 

◼︎ラクして生きる方が上手くいく

社会においては、自分が当たり前にできる事で、他人からの評価が高い事だけをやってればいい。

その当たり前こそが、他人との関係においては非常に重要なのである。

逆に、努力努力努力、根性根性根性でやってる事など「上手くいく訳がない」。

努力しなきゃ出来ない事=他人からの評価が低い事であり、そんな事に無駄な時間を割いても損するだけ。

ラクして評価される事だけやってる方が幸せになれる。

 

◼︎100個に1個くらいは評価される事があるから「それをもっと大事にしよう」

現実問題として「そんなに良い部分ばかりある訳がない」。

むしろ大半はクソで、いきなり社会的に評価されるレベルのスキルを持っている事もほとんどない。

しかしながら、「あ、なんかこれだけはやたら評価されるな」と言う部分が必ずある。

その一個を見つけた時は「それを大事にしよう」。

それは「そうそう無い事」であり「運良く見つかった他人から評価されるスキル」なのである。

そんな何個もない「とても貴重なモノ」。

この貴重な特徴を「皆んな当たり前に出来るし」と片付けずに、「物凄く大事に扱って欲しい」。

あなたが思うよりも、とても大切で大事なモノ。

しっかりと評価をして取り扱って上げて下さい。

 

◼︎まとめ

自分の得意は自分じゃ理解不能

なんせ、それを「自分では高く評価してない」のである。

むしろ苦手で努力した事の方が大切な記憶になっている事が多い。

それは「自分が頑張った大切な記憶」である。

実は、それと他人の評価とは全く別。

他人から評価される事は大抵の場合「自分にとって普通な事」であり、普通な事として処理される。

特段、特別な事もなく、ごく普通な日常として、なんなら自分では低評価の部類に入る。

その、「自分では低評価だけど、他人からやたら評価される事」こそが、社会ではとても重要。

自分軸で努力して生きるより、他人軸でラクして評価される事をやった方が幸せになれると思われる。

そしてその「評価される事」は、非常に少ない。

だからこそ、自分では当たり前で、他人からの評価が高い「それ」は、とても貴重で重要なモノ。

その貴重で重要なモノをしっかりと活かし、評価が高い事を率先してやっていきましょう。

努力はもうしなくていいです。

「評価される事をやりましょう」。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

PCやスマホのやりすぎで「身体痛い」は「酷使」と「運動不足」の「複合症状」。*改訂版

 

身体痛いと一括りにされるが、別の痛みが同時に起きてる。

そして重要なのは「回復方法が異なる」という事。

「休んでるけど身体痛い」という人は、その痛みの対策が間違ってる可能性が高い。

 

◼︎痛みの種類

1、酷使

要するに「使いすぎ」。

代表的なのは、PC作業時の「眼」「首」「肩」「腰」「股関節」辺り。

じっと同じ場所を見つめ、首を固定し、肩を固定する。

固定するための筋肉が酷使されたため、局所的な痛みが出る。

 

2、かたまって痛い

要するに「休みすぎ」。

ずっと同じ姿勢でいるという事は、動かさない事による痛みが発生する。

運動不足で痛いのと同じ。

PC作業で疲れると、座り直したり、寝たりなどして回復しようとする。

動くとしても、いいとこストレッチくらいで誤魔化そうとする。

すると「歩く筋肉はかたまったまま」となる。

当然、歩く、走る、荷物を持つなどすると、身体に痛みが走る。

 

◼️PC作業は「動きすぎ」と「休みすぎ」が「同時に起きてる」

局所的な使いすぎと、身体全体の休みすぎが同時に起こる。

結果「動いても休んでも回復しない」という鬼のような状況が起きてる。

じゃあどうするか?

 

◼︎回復工程

1、PC作業をほぼ完全にやめる

酷使したパーツは「休む事で回復する」。

目、首、肩、腰辺りが該当する。

身体痛いうちに無理して動くとさらに悪化するため、まずは休んで回復する。

痛みが取れるまで、動きたいと思うまで休む。

40代以上は二日、20代までは1日くらい完全に休むと、ほぼ回復する。

 

2、動く

かたまって痛いのは「動かす事で回復する」。

運動というか、外に出て、立ったり座ったりウォーキングしたりの軽い運動を6時間くらいやる。

要するに、PCとスマホ作業「以外の事」を「外で丸一日やる」と治る。

ここで重要なのは、実は上記1で休んでる間も「身体が痛いのは続く」。

固まってる部分の回復は出来ていないので、当然痛い。

しかしながら、それでも先に休む理由は上記した通り「無理して動くと破綻する」から。

先に休んでから動く。

休んでから、外に遊びに行く。

すると、身体の痛みが改善される。

 

◼️複合でメンタルにくる

PC作業のやりすぎの場合、身体を動かしたいけど休みたいというのが同時に起きる。

すると、身体の反応としてもおかしな状況になるため、まずメンタルにくる。

首関係でも自律神経が乱れやすいので、トリプルパンチ。

そしたら危険信号。

 

◼️回復は三日くらいかかる

まず「PC作業をやめる」

そして「しっかり休む」

次に「身体を動かす」

で元に戻る。

トータルで三日以上かかるので、やりすぎないように注意しておくほうが良い。

 

◼︎回復は「運動する」まで

酷使→休む→身体が固まる→解す

で「完了」となる。

休むで完了じゃない事に注意。

休んだ後に、適度に動いて「解す」まで行うと、体力とメンタルの両面で回復する。

休んで終わりではなく「動くまでがワンセット」です。

 

◼️まとめ

PCやスマホ作業のやりすぎで身体が痛い時は、「酷使」と「固定」が同時に起きてる。

酷使は休む事で治る。

固定は運動する事で治る。

ちなみに、スタンディングディスクとか、運動しながらPC作業やるとかが流行ってるが、根本的な解決にはならない。

確かに「固定の解決」にはなる。

しかしながら「酷使の解決にはならない」。

運動しながら作業しても、普通に首、肩、腰が痛いのは変わらない。

結局は作業時間を減らすのが最も効果的であり、しっかりと休みを取るのが最善。

人間は同じ所で固定して作業するようには出来ていないため、ちょこまか動いて疲れたら休むのが自然なのである。

やたら疲れたな〜という場合、複合症状になってる可能性が高いので、個別に対処して頂けると幸いです。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

男は自信ありすぎ。女は自信なさすぎ。

 

広末のあれを見て、ニコルの旦那を見て、潮田玲子の旦那を見た結果、思い至った要素がある。

「女は自信なさすぎ」

手頃な優しそうな男で妥協しようとする。

 

◼︎妥協=離婚(破局)一直線

それの何がヤバいのか?っていうと「まず離婚(破局)する」という事。

だって「妥協してる」上に「自分の魅力と釣り合ってない」んだから。

それは鳥羽シェフみたいな「真の魅力がある男性が現れた時」に、最も顕著に出る。

矢口のあれもそうだし、思い出せばマジで色んな例が思い浮かぶ。

手頃で何とかなりそうな所で落ち着いても、それ以上が現れた場合は「結局そうなる」のである。

だったら最初から望める最上位を望んでおいて、順に下げてきた方が良い。

 

◼︎遠慮しても誰も得をしない

ちなみにこれは「振られた男性側にとっても凄く痛手な事」である。

妥協で選ばれて、かつ離婚ないし別れを切り出されるのである。

その無駄な時間を返せと。

結果として「誰も得をしない」。

なので、遠慮しないで自分の中で最上位を狙ってった方が良いのである。

 

◼︎男は自信ありすぎ

反面、千鳥の大悟など見てると思う事がある。

「その自信どっから出てくんの?」っていう。

女が浮気しないと思ってんの?

正直「頭大丈夫?」と。

貴方のその相方は「本当に貴方しか見ていないのだろうか?」。

そんなわけねーだろ。

結婚したから、付き合っていたからと言って、その約束は「どれくらいの意味を持っているのだろうか?」。

答えは「ほとんど意味がない」。

その上で、「貴方以上に魅力のある男性はすぐそこにいる」。

貴方がサボっているコミュニケーションの「ツケ」は、「結果」によって審判される。

確かに、努力したからと言って結果がついてくるわけでもない。

しかしながら、お母さんのように裏切らない存在だとでも思っているのなら、物凄く手痛い経験として跳ね返ってくる事は間違いない。

 

◼︎それぞれの考え方

男性=もう少し謙虚になれ。

ポジティブ面しか見ず、理想しか見てないその楽観的な考え方は、手痛い現実として返ってくる。

家族がいるのにクルマを持たずに大型バイクに乗ってるとかいう人もいるが「マジで頭おかしいんじゃねえの?」。

そういう自分の事しか考えない姿勢は、いずれどっかで跳ね返ってくる。

就職にしても、転職にしても、人間関係にしても、「お前が思ってるほどお前は優秀じゃねえから」。

むしろちょっと自信がないくらいの男性の方が、あらゆる人と上手くやれるコミュ力があって、優しさと思いやりがあって、色んなとこで上手くやれる人だったりする。

客観的に見た時に、優秀なのは「ちょっと自信がない人」なのだよ。

 

女性=自信を持て

ネガティブな面ばかり見て、低い所で妥協する。

女性全般に言える事は「貴女が思ってるよりも貴女は優秀である」という事。

やたら低まってるやつが、めちゃくちゃ処理能力高くて、あらゆる事をテキパキやって、色んなやつと絡んでるという事がままある。

お前は何を見て、何を感じて、そんなに自信がないんだと問い詰めたくなる。

自分が思うよりも高い目標を望めるし、もっとやれるという人が多すぎる。

自分が思うよりも一段高い所を狙ってくとちょうど良い。

 

◼︎まとめ

基本的に、女性の方が優秀であり、男性の方が現実を見ない傾向がある。

これは橘玲氏の著書でも書いてあるが「落ちこぼれるのは男性が圧倒的に多い」。

そのぶん上位も男性が多いが、それは何かを犠牲にして成立しているからである。

普通に生活する上で重要なのは、一点突破の能力ではなく「常識的な事をやり抜ける判断能力」。

一点突破で何とかなるのは「運がいい人」、或いは「社会から評価される特殊な人」であり、それは誰かの助けがあって成立する。

一般的な能力としては女性の方が高いが、しかし何故か自信がない。

能力は低いが、低いが故に自信満々な男性。

実に人間は非合理である。

女性及び、自信がない一部の男性は、もっと自信を持って欲しい。

男性及び、自信満々な一部の女性は、もっと謙虚になった方が良い。

 

バランスが重要です。

ありすぎもなさすぎも問題なので、ちょど良い所で落ち着けると最高です。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

頭が良く感じる人と悪く感じる人の違い。

 

頭いい人と悪い人の整理がついたので、書いてみる。

 

◼︎頭いい人の喋り

1、知識を使って喋る

知識とは要するに「比較」と「検討」を使って喋る。

他の商品と比べてどう、他の人と比べてどう…など、目の前のモノに対しての「一定の基準を示す」事ができる人は頭が良く感じる。

 

2、頭を使って喋る

言いたい事を組み立ててから喋り始める。

「これがこうでこうなんですよ」っていうのを、一定値まで「自分の中で仕上げてから」喋り始める。

思いつきで喋り始めると「あの〜」とか「えーと」とかが多発して、非常に頭が悪い印象になる。

逆に、しっかり整理した意見が飛んでくると「頭いい人だな」と感じる。

 

3、相手の立場や視点から喋る

「話が長くなってきましてね、大変申し訳なく思ってるんですけども」的な事。

今相手がどう感じているか?を想像し、相手の気持ちや状況を理解して代弁する。

「そう言われても、やりたくないモノはやりたくない訳で」みたいな。

相手の意見を聞く気があり、「コミュニケーションをしてるんだ」と意識させてくれる人は、頭が良く感じる。

 

4、事実から喋る

実際に起きた事を喋る。

起きそうな事や、起きると思ってる事ではなく「実際に起きた事」。

現実と妄想をしっかり区別出来てると、頭が良く見える。

 

5、次に起き得る事を喋る

スマホをやり過ぎると、節々が痛くなる的な。

「1+1=2」の「2」の部分を言えると、頭が良く感じる。

 

◼︎頭が悪い人の喋り

1、思いつきで喋る

長嶋一茂氏が非常に分かりやすい。

思いつきで喋り始めるから「話が長い」「何言ってるか分からない」「あの、ええとが多い」という三重苦が発生する。

伝えたい事も、伝えたい内容も整理されないまま喋る人は「頭悪い人」に感じる。

 

2、一方的に喋る

相手の話を聞かず、自分のペースで自分が喋りたいだけ喋る。

保険屋とか営業に「非常に多い」。

客が話しを聞いてくれてる訳ではなく「言い返すと面倒だから黙って聞いてるだけ」という事を理解した方がいい。

こちらが喋り始めた時にすらターンを渡さずに喋る人はコミュニケーションをする気すら失う。

こういう人に当たると「非常に残念な頭をしてる人なんだな」と感じる。

 

3、自分の意見が至高だと思って喋る

狭い範囲で生きてる人や、知識がほとんどない人が特に多い。

逆の意見を考えようとすらしないタイプ。

自分が経験したのは白だったから、答えは白と信じて疑わない。

黒の可能性もあるけど、自分が経験したのは白だった…というのが頭の良い人である。

白だったから白なんだと言い張る人は「頭が悪い人」である。

 

◼︎まとめ

頭いい人は喋れば分かるし、なんなら「動画ですら分かる」。

皆んな直感的に判断してるから言語化しないだけである。

頭悪い人はやっぱり「そういう扱いを受ける」し、頭いい人は「そういう扱いを受ける」。

極端に言えば「頭を使ってる人が頭が良い人」であり、「頭を使ってない人が頭が悪い人」である。

 

常時、頭を使っていたら大変だし、疲れてしまう。

しかしながら、常時、頭を使わないのであれば、それは単なるバ◯であり「内容のない事しか喋らない人」となる。

いつでも頭を使えとは言わないが、要所で頭を使って違いを作るくらいはした方が良いのではないか?と。

メリハリがあった方がいんじゃね?という事で締め。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

書くネタはいくらでもあるが、「伝わるように書くのが大変」。

 

「ネタ出しに困るという猛者がいらっしゃる」らしい。

そのために、はてなブログ公式の「お題」なるモノがあるという。

筆者の場合「ネタに困る事はほとんどない」。

しかしながら、記事を書くのが面倒に感じる事が多い。

その辺をちょっと掘ってみる。

 

◼︎ネタ出しは簡単

例えば、最近書こうと思ってたネタだと…

UNIQLOのリネンシャツの素晴らしさを伝える記事」

UNIQLOのジャケット比較」

UNIQLOのフォーマルパンツ比較」

「tmax560とフォルツァは実は大同小異」

「4気筒バイクの素晴らしさ」

「2気筒バイクの扱いやすさと味」

ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムの凄さ」

FF14とティアキン(上記ゼルダの伝説)の比較」

「クールジャパン大使が書いた本についての書評」

などなど、書こうと思えばいくらでも書くネタがある。

しかしながら、重要なのはここから。

 

◼︎ネタを「見る人にどう伝えるかを作るのが超大変」

ネタはネタでしかない。

例えば、UNIQLOのリネンシャツがどう素晴らしいか?

何と比較して、色合いと、素材と、耐久性と、コスパが素晴らしいのかを説明しなければ、見た人は理解できない。

しかしながら、それを説明するのが非常に面倒い。

「カッコ良けりゃ良いじゃん」というのも一つの解答ではあるが、そんな記事を読む価値はほぼない訳で。

要するに「伝わるように説明するために文章を構築するという作業」が「最高に面倒い」。

しかも、伝わった上で面白い必要がある。

なんか「よく分かんねーけど面白い」でも良いんだけど、それでも「面白さを伝えるように工夫せねばならん」ので、中々な手間がかかる。

結果「お蔵入り」というネタが多くなる。

 

◼︎手間をかけても書きたいと思える記事だけ書いてる

面倒な気持ちを超えてでも説明したいと思う商品や理由と出会った時は記事を書いている。

…が、ちょっと面白い事に出会ったくらいだと「これ説明すんの面倒だからいいや」となって記事を書かずに終わる事が多い。

なので、ちょっと面白いくらいのネタでも面倒がらずにキチンと書けば、いくらでも更新はする事ができる。

しかしながら、それは当然「読む人にとって面白く感じない確率が高い」。

ネタに対しての熱量がなく、説明に対しての想いもなく、仕上がりに対しての期待値もない記事を書いた所で、果たして「見る人が面白いのか?」という。

 

◼︎しかしながら「熱量がない記事の方が良い場合もある」

色々書いてきたが…まあ、もしかしたら、あまり熱量のないその「中立な感じ」というか、ちょっとダラけて書いた方が非常に魅力的で、ハマる人もいるかもしれない。

「これがこうであーで…」って言う「うるさい人」よりも、「これなんか面白いよね」っていう「緩い人」の方が「聞いてて(見てて)楽しい」という事は多い。

 

「どちらが正解ということもない」ので、自分に合ったネタだしと書き方をしていきましょう。

 

◼︎まとめ

ネタ出しはラク

ちょっと面白い事を記事にすれば、書く事は幾らでもあります。

それを説明する記事を書く方が100倍面倒い。

なので、それを乗り越えてでも書きたいと思う、「熱量」とか「期待値(面白そうな記事に仕上がりそうな感じ)」がないと、記事にならない。

しかしながら、んな事はどうでも良くて、ただ淡々と記事を書くというのも、実は見ている人にとっては面白いのかもしれない。

「正解はいくつもあるっぽい」ので、自分に合ったネタ出しと記事作りをしていきましょう。

 

あと実験として「3つ持ってるブログの全てに同じ投稿をしてみます」ので、ご了承下さい。

*ブログの対象の読者様が全て違い、リーチできる層(読んで頂ける層)が被らないため、同じ内容でも有益だと思うので。

 

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

 

鳥羽シェフのアレに見る「男性がモテる要因」。

 

鳥羽シェフのアレが世間を賑わせている。

ので、それに乗っかって「男性の魅力とはなんぞや?」という事を書いてみようと思う。

 

◼︎男性の魅力項目

1、筋肉と身体の強さ

男性的な表現で言う「強そうな身体をしてる」人。

例えば「デブ」とする。

同じデブでも「ただ太ってるだけの人」と「ラグビー選手のような感じを受ける人」の2種類いる。

芸人の秋山さんとか平子さんなんかがラガータイプで、デブっていうより「パワーありそう」と感じる人。

鳥羽シェフももちろんラガータイプ。

こっちは女性から見て非常に魅力的に映る。

男性的表現に直すと「お尻の大きい女に魅力を感じるのと同じ」感じ。

筋肉はとても重要なファクターの一つ。

 

2、身長

180cm前後が非常に魅力的に見えると言われる。

こちらは、男性的表現に直すと「おっぱい大きい女性に魅力を感じる」のと同じ。

「170cm以下は人権がない」と言って炎上した女性ゲーマーがいたように、表立って言わないけど非常に重要な要素の一つ。

逆に、貧乳でも気にしない男性が多いように、言う割には気にしないという項目でもあったりする。

そして、鳥羽シェフは180cmちょいである。

非常に魅力的と言える。

 

3、健康度

男性諸子は見落としがちだが「健康でなければ良質な精子が出ない」ため、実はかなり重要なポイントだったりする。

健康度が表れるのは「顔」。

顔色と左右の均整で、栄養状態、睡眠状態、運動量などの包括的な健康状態が測れる。

これに上述の身体の強さを加えると、ちゃんとした飯を食って、それなりの運動をして、しっかりまともな生活をしているかどうか?がハッキリと出る。

20代までは成長ホルモンで全てカバーされるが、30代以降はまともな飯食ってちゃんと生活してるかどうかが魅力と生殖能力に直結してくる。

朝まで酒飲んで徹夜で遊んでカップ麺食ってる人よりも、夜ちゃんと寝て定食のようなバランスのいい食事を3食食って空き時間は散歩してるような人の方が健康で魅力的になる。

そして鳥羽シェフは料理人である。

非常に魅力的な健康度である事は間違いない。

 

4、性格(気遣い)

男性は特にそうなんだが「人の話を聞いてない人があまりに多い」。

筆者はサービス業に10年ほど従事していたため、コミュ力の低い男性と接する機会がほとんど無く、意識したことすらなかった。

*サービス業は基本的に客と話すのも仕事のため、コミュニケーションの取れない人は淘汰される(辞めていく)

しかしながら、他業界に行って思ったのが「あまりにもコミュ不足の男性が多い」事。

コミュ力というか「相手に対して合わせる力」。

何をどうすると相手がどう感じるのか?

これらを想像して行動する力。

これが相手にとって快適なレベルでできる人は、サービス業以外だと「職場で一人いるかどうか?というレベル」だった。

なので結果として、女性と同等レベルで会話と気遣いができるコミュ力の高い男性は「とても魅力的に映る」。

鳥羽シェフは日テレ系で朝やってた「スッキリ」にて、岩田アナと軽妙なやり取りを見せていたため、非常にコミュ力が高く見える。

少なくとも平均的水準よりは「かなり上にいる」。

ここにおいても鳥羽シェフは魅力的なのである。

 

◼︎これらの複合で「男性の魅力」が決まる

1つではなく「複合で決まる」。

身体が強く、身長が高く、健康で、コミュ力が高い男性が非常にモテる。

この4つが一定数を超えている場合、女性と一緒に遊んでるだけで「そういう事」になる。

んで、お互いに魅力的であった場合は抗うのが難しいため、お互い結婚してたりすると色々な問題が起きるという。

 

◼︎では鳥羽シェフはどうか?

身体=強い

身長=180cmちょい

健康度=高い

コミュ力=高い

つまり「とても男性的な魅力がある人」である。

そして、相手は国民的女優。

…まあしょうがないよね、と。

 

◼︎まとめ

鳥羽シェフは超モテる。

相手は国民的女優だった。

ある意味で起こるべくして起きた事故だった、と言えよう。

じゃあどうしたら良かったか?と言うと「グレーで終わらしときゃ良かった」。

人は本能の動物なので「言ってもしゃーない」という領域が確実に存在する

酒飲んでケンカしたとかも同じ領域。

それらを縛って表に出す事は「無粋な事」だし、理解を得られる事でもないのである。

理解を得られないが、しょうがない領域なので、解決策としては「表に出さない」が最適解。

 

鳥羽シェフと女優様におかれましては、特に気にすることなく元の仕事に戻って頂きたいです。

 

そういう事もあるよね、と。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

「顔でモテるやつ」と「性格でモテるやつ」の「違い」。

 

一般的に言われる「モテる人」が、全然モテなそうだと思う事が結構あったので、ちょっと書いてみる。

 

顔でモテるやつは「相手に気を遣わせる」。

性格でモテるやつは「相手に気を遣う」。

同じモテるでも「内容が全く違う」。

 

◾︎男が望むモテる男像は「気を遣わせる人」が多い

庵野監督とか、ウメハラとか、イチローとか、一部でカルト的な人気を誇る、いわゆる「カリスマ」と言われるタイプの人。

顔が良いタイプだと、竹内涼真とか、窪塚洋介とか、小栗旬など、芸人だとハンバーグ師匠とか、藤森慎吾などがカリスマ側。

「独自の世界で独自の結果を出し続ける人」。

その独自性こそがカリスマであり、他との違い。

反面、「普通のことを普通に合わせるという事ができない」ため、周囲の人は徹底的にその人に合わせる必要が出てくる。

こちらが提示するモノを理解して打ち返してくる事は殆どない(その理解力と想像力の欠落こそがカリスマたる所以)ので、コミュニケーションの労力がハンパない事になりがちで苦労する事が多い。

顔が衰えたり、そのカリスマ性を評価しないタイプの人(自分の子供や、顔にこだわりのない同レベルの美人、別の業界の人など)からは「人気がない」というのが特徴で、「一部からカルト的な人気」と評したのはそれ故。

突出した反面、それ以外の部分で多大なる問題を抱えるため、長期的な付き合いだと問題が出やすい。

 

◾︎性格でモテるタイプ

ゲーム開発者の桜井政博さんとか、ヘイスミスの猪狩さんとか、元・日本代表の栗山監督とか。

顔が良いタイプだと、中村倫也陣内智則、見取り図のリリー辺りの人達。

共通してるのは、とにかく「相手に気を遣う」事。

気を遣うというのは「相手が喋りやすいように」「緊張しないように」「萎縮しないように」「らしさが出せるように」と、気を巡らしてコミュニケーションするという事。

要するに「相手がラクになるような行動ができる人」。

もしくは「相手が負担に思う事をしない人」。

相手が言った事にキチンと打ち返し、自分が喋る言葉は分かりやすく、意図をしっかりと打ち出し、キツい言葉は相手を笑わせる意図でしか使わない。

傷つける表現や意図間違いをしそうな言葉は極力排除し、相手が喋りやすいような環境を整えられる人。

長期的に見て快適で、また喋りたいと思えるタイプなので、結果的にモテる。

 

余談だが、相手に気を遣えるという事は「服装や見た目にも気を遣えるのとイコール」である。

相手にとって接しやすいように威圧感のない服装を選び、見た目も綺麗で清潔感があって話しかけやすいような身なりをしていることが多い。

なぜならそれは「相手が快適に過ごせるから」、そして「相手に負担をかけないため」であり、それ自体が気を遣う一環だから。

話しやすい見た目で、話すと快適。

結果として、性別や年齢も関係なく人気があり、モテる人がこのタイプ。

女性側が言う「モテる人」はこちらを指す場合が多く、長期的に女性と上手くやってるタイプはこちらが圧倒的に多い。

 

▪︎顔や特技でモテてるやつも、後に苦労する

それは要するに「ブランドでモテてるのと同じ」だから。

中身じゃなくて「ガワでモテてる」。

話してみたら「あれ?会話できないな」「なんか疲れるな」「めんどくさいな」となり、一気に残念イケメンの烙印を押され、長期的に関係を作れない。

なまじモテてる(結果が出てる)だけに、自身を振り返る人も少ないため、改善されない。

結果「なんか上手くいかない」という所に落ち着く。

その先は個人のスキルとやる気次第で変わるので、伸びる人は伸びるが、いつまで学ばないタイプもかなり多い。

 

▪︎結局「中身があるやつが最強」

中身でモテるタイプは、ごく普通に会話してるだけで結果が出る。

というか「ごく普通に会話できるというスキルこそが最強」と言ってもいい。

会話ができるなら「会話をしながら解決していけばいい」だけである。

特に男性は「かなり勘違いしがち」なのだが、突出した結果や見た目がないと難しいと思ってる人がすごく多い。

そうじゃない。

とりあえず普通に会話ができて、普通に気遣いができるのであれば、もう充分なのである。

その辺のパラドックスを見抜いたやつや、気付いたやつが抜けていく。

 

逆に言うと「気付かないといつまでも周りの意見に振り回される」という事になる。

気付くか、気付かないか。

それこそが真の能力の差と言える。

 

◾︎まとめ

中身でモテるのが最強。

その中身は「気付く事」でしか増えていかない。

ポテンシャルでモテようと、モテなかろうと、基本的に通る道は一緒。

しかしながら、なまじモテるやつは結果が出てるため、そこで止まりがちで、それがつまり残念イケメンとなります。

 

どちらにせよ「気付く」事でしか、前に進みません。

喋るのに困らないタイプであれば、あれこれ考えるより体験してみる方が手っ取り早いです。

 

世間一般でいわゆる「モテると言われる人」が、「どちらのタイプなのか?」。

それに「気付く事」が最初の一歩となります。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

努力が報われる条件。

 

「ジャニーズは努力が9割」とか言う本を立ち読みした。

結果、努力の大事さが書かれていた。

しかしながら、大事な前提条件が抜けてると思ったので書いてみる。

 

◼︎努力の前提条件

1、才能がある事

頭が良いとか、身体が強いとか、顔がいいとか。

個人名で言うと、大谷翔平とか、堀江貴文とか、竹内涼真とか。

*敬称略

身長が高く、筋肉がつきやすい人。

小中学校の頃は教科書読んだだけで理解できるから、勉強した記憶がない人。

中学校以降で自分のファンクラブがあった人。

などなど。

要するに「ベースとしての才能があって」、さらに「向いてる場所での努力」。

大谷翔平がビジネスで努力しても業界世界一にはならなかっただろうし、堀江貴文が野球で努力しても日本一にはならなかっただろう。

「向いてる場所での努力」というのが非常に重要。

 

2、努力を評価してくれる人がいる場合

努力が好きな人、努力を評価する人の下で働いている場合の努力。

要するに「努力を評価して形にしてくれる人がいる」という場合。

努力しました→

それだけ努力してるならチャンスをやろう→

経験値が上がる→

結果になる

という感じ。

努力を評価しない場所で働いている場合は…

努力しました→

で、結果は?→

分かりません→

じゃあ現状維持で

となり、要するに「努力をした所でチャンスはやってこない」。

「努力している事を評価してくれる人がいて」始めて努力する意味が生まれる。

 

◼︎努力単体では意味を成さず、他の事と絡めて初めて意味を持つ

努力は「結果を出すため」か「周囲を納得させるため」のどちらかを満たす事で意味を持つ。

結果を出すためであれば、天分が必要。

運動が苦手だし、身体が小ちゃくて病気がちなのに、アスリートになろうというのは流石に無理があるし、頭が悪いのにビジネスに挑もうとするのは時間の無駄。

 

周囲を納得させるのであれば、それが評価される環境が必要。

一人で努力しててもチャンスはやって来ないし、結果しか評価しない人の下で努力してても無駄。

 

「適切な場所」で「適切な努力をする」事で、初めて意味が出る。

 

◼︎無駄な努力を止めよう

頑張ってもムダな事は確かにある。

筆者の場合、全ブログを合計すると1000記事どころか2000記事くらい書いてるが、バズったと言える記事は1つしかないし、月間のアクセスが10000すら越える事はほぼない。

明らかにそこに「天分がない」というのがハッキリしている。

これは林修先生も仰っている事であり、

「勝てる場所で誰よりも努力すること」

と、非常に短く重要な言葉でまとめられている。

【いつやるか?今でしょ!】林先生のキャリアパス「勝てる場所で誰よりも努力する。それが勝つための最強の法則」 | リクナビNEXTジャーナル

 

これこそがある種の真理であり、色々とやってみたやつが至る結論である。

 

努力は重要ではあるが、努力する場所というのも「それ以上に重要な事」です。

 

◼︎まとめ

努力は意味のある場所でして下さい。

やみくもに頑張ってもムダです。

何にでも努力するのは止めて、重要な場所で一点突破で努力しましょう。

 

意味のある努力になりますように。

 

長所とは何なのか?

 

長所とは「相手にプラスの感情を与えて望まれる部分」。

要するに「褒められるコト」「面白がられるコト」「繰り返し望まれるコト」。

これを総称して「長所」という。

変な話しだが「自分で決める長所は長所ではない」。

「人から望まれる事」が「長所」なのである。

 

▪長所は「人から望まれるコト」にある

例えば、美男美女であれば「見られる事を望まれる」。

カッコいい人や可愛い人を見たい人はいっぱいいて、「それを望まれるから」長所となる。

説明が上手い人であれば、そのプレゼンを見たい人がいっぱいいる。

頭が良い人であれば、その解釈を聞きたがる人がいっぱいいる。

良い人であれば、その人のトークを聞きたい人がいっぱいいる。

 

特徴がどうであれ、「人に望まれるコト」が「その人の長所」となる。

 

▪本人がどう感じるか?は「一切関係ない」

仮に、上述の美男美女が「見られるのが嫌い」だったとする。

しかしながら、多くの人から求められるのは「見られる事」である。

その場合、多くの自己啓発に書かれているように「自分の好きな事をしようとする」と、どうなるだろうか?

多くの人から望まれる「天性たる長所を捨てる事になってしまう」。

分かり難いのでもう一つ例に出そう。

説明の上手い人が「人前で喋るのが苦手」だとする。

しかしながら、望まれるのは「説明するコト」である。

ブログやら動画やらがあるのでそっちを駆使すれば人に会わずに実現可能ではあるが、そういう場すら苦手だとすると、せっかくの長所が台無しである。

それでも別に、その人のキャラや経験が失われるわけじゃないし、やれるっちゃやれるのであるが、多大なるハンデを背負う事は間違いない。

 

「好きな事≠望まれる事」である。

 

▪いいから「人に望まれるコトをしろ」

今まで生きてきて、色々な経験があるだろう。

それにより、好きな事、嫌いな事もあるだろう。

しかしながら、重要なのはただ一つ。

「人から望まれるコト」をする事。

有り体に言えば「俺やお前が何をしたいかは関係ない」のだ。

俺が服やバイクやクルマの記事を書いても、あなたがそれを望まない(なんか面白くない)のであれば、それは「長所ではない」のである。

逆に、こういうごちゃついた記事でも、あなたが望む(なんか面白いと感じる)のであれば、それは「長所なのである」。

んな事よりもちょっと話そうぜと思うなら、それが長所なのである。

それを「俺がどう感じていようとも」だ。

本人が、望もうが、望むまいが、気に入ろうが、嫌いだろうが「それが長所」なのである。

否定しようと、肯定しようと、それがそうなのである。

そうであれば、それを受け入れてやっていく方が、賢くラクに生きれるのではないか?と。

 

もういいから「人に望まれる事をしろ」。

 

こちらからは以上です。