長所とは「相手にプラスの感情を与えて望まれる部分」。
要するに「褒められるコト」「面白がられるコト」「繰り返し望まれるコト」。
これを総称して「長所」という。
変な話しだが「自分で決める長所は長所ではない」。
「人から望まれる事」が「長所」なのである。
▪長所は「人から望まれるコト」にある
例えば、美男美女であれば「見られる事を望まれる」。
カッコいい人や可愛い人を見たい人はいっぱいいて、「それを望まれるから」長所となる。
説明が上手い人であれば、そのプレゼンを見たい人がいっぱいいる。
頭が良い人であれば、その解釈を聞きたがる人がいっぱいいる。
良い人であれば、その人のトークを聞きたい人がいっぱいいる。
特徴がどうであれ、「人に望まれるコト」が「その人の長所」となる。
▪本人がどう感じるか?は「一切関係ない」
仮に、上述の美男美女が「見られるのが嫌い」だったとする。
しかしながら、多くの人から求められるのは「見られる事」である。
その場合、多くの自己啓発に書かれているように「自分の好きな事をしようとする」と、どうなるだろうか?
多くの人から望まれる「天性たる長所を捨てる事になってしまう」。
分かり難いのでもう一つ例に出そう。
説明の上手い人が「人前で喋るのが苦手」だとする。
しかしながら、望まれるのは「説明するコト」である。
ブログやら動画やらがあるのでそっちを駆使すれば人に会わずに実現可能ではあるが、そういう場すら苦手だとすると、せっかくの長所が台無しである。
それでも別に、その人のキャラや経験が失われるわけじゃないし、やれるっちゃやれるのであるが、多大なるハンデを背負う事は間違いない。
「好きな事≠望まれる事」である。
▪いいから「人に望まれるコトをしろ」
今まで生きてきて、色々な経験があるだろう。
それにより、好きな事、嫌いな事もあるだろう。
しかしながら、重要なのはただ一つ。
「人から望まれるコト」をする事。
有り体に言えば「俺やお前が何をしたいかは関係ない」のだ。
俺が服やバイクやクルマの記事を書いても、あなたがそれを望まない(なんか面白くない)のであれば、それは「長所ではない」のである。
逆に、こういうごちゃついた記事でも、あなたが望む(なんか面白いと感じる)のであれば、それは「長所なのである」。
んな事よりもちょっと話そうぜと思うなら、それが長所なのである。
それを「俺がどう感じていようとも」だ。
本人が、望もうが、望むまいが、気に入ろうが、嫌いだろうが「それが長所」なのである。
否定しようと、肯定しようと、それがそうなのである。
そうであれば、それを受け入れてやっていく方が、賢くラクに生きれるのではないか?と。
もういいから「人に望まれる事をしろ」。
こちらからは以上です。