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凡事徹底がなぜ大事なのか?

 

この記事を読もうと思ったら「あいうえお」が理解できなければ、文字そのものが理解できない。

算数〜数学を理解しようと思ったら、「1+1=2」が理解できなければ、全ての数式が理解できない。

何にしても似たようなモノで、どの業界のおいても基礎中の基礎とされるモノを理解していなければ、その先へは進めないのである。

 

▪︎「凡事」は「人によって認識が違う」

当たり前だが、「できる人の当たり前」と「始めたばかりの人の当たり前」は、天と地ほど違う。

業界トップを10年走ってる人の当たり前は、その10年の積み重ねの上に成り立っている当たり前である。

10年間の経験…自身の試行錯誤と業界の推移を全て体験し、使えるモノと使えないモノを選択してきた上での「当たり前」。

これを凡事と言われても違和感があるだろうが、そのトップを走ってる人にとっては凡事なのである。

 

逆に、始めたばかりの人の当たり前は、当然ながら「当たり前が何かすら理解できない」。

何が足りてないかすら分からない状態から試行錯誤して、当たり前だと思うモノを学んで試して取り捨て選択する所からスタートであり、誰かに何かを聞いてもそれが重要であるかどうかの区別すらつかない。

 

凡事の重要性を理解するためには、ある程度の経験が必要というパラドックスがある。

 

▪︎凡事徹底が理解できるようになった時点で、出来るようになっている

ある程度の物事を深く煮詰めた事ある方は分かると思うが、「基本」というのはとても重要。

カッコいいファッションをしたければ、ファッションに対する知識と経験がほぼそのまま服装に跳ね返る。

カッコいいスナップをSNSで拾って、どうやって作ってるか実店舗行って試行錯誤して、数々の失敗を経て、自分に似合うモノを理解して作り上げられるようになる。

バイクやクルマでも、車体設計そのもの以上に、どれくらいの販売台数が見込める(開発費がどれくらいかけられる)か、資材調達をどこからしてくるか、組み立てをどこで行うか、どうやって運搬するかなどによって、商品にかけられる価格と質にそのまま跳ね返ってくる。

クルマのトヨタや、バイクのホンダが他を圧倒する内容を実現出来ているのは偶然ではなく、基礎を徹底して行なっているからである事は、ある程度の経験を積んだ人であれば理解できる内容である。

任天堂…特に宮本さんのゲームタイトルが、頭おかしいレベルの作り込みが成されていて、なおかつ超面白いのも、基礎がしっかりと徹底されているから。

要するに、ちゃんとした物事を行うには「基礎をしっかりと真面目に煮詰めるのが最短である」と芯から理解できた人だけが、凡事最強!これは徹底しないとあかん!となるという事。

凡事の重要性を知っている人が凡事を徹底するようになるのであり、いくら凡事が重要だと説いた所で理解できない人には永遠に理解できない意味だったりする。

 

▪︎まとめ

物事を成すには基礎が重要で、その基礎をしっかり煮詰める事が最短ルートだと知った人だけが「凡事超大事!」と悟る。

その結果「凡事徹底だ!」となる。

逆に、凡事の重要性を理解できない人は、まだそこまでの物事に出会っていないか、経験が足りない。

例えば人生は運ゲーなんだけど、その運を持ってきてくれるモノは何なのか?

本当に大事にすべき「基礎」となるモノは何なのか?

それを発見するために試行錯誤する必要があり、試行錯誤した結果の「凡事」を徹底して行い続ける必要がある。

それは自分で試した人にしか分からないし、そこで分かった事を徹底して行おう思うのも実は本人だけだったりする。

「凡事」は凄く重要。

ただし、それが分かるのは、自分で試行錯誤した事がある人です。

 

お読みいただき、ありがとうございました。