研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

常識が嫌いな理由。

 

「押し付けてくる」から。

別にそれがベストな方法じゃなくね?っていう。

 

◾︎価値観の押し付け

勉強ができると〜、いい会社は〜、貯金が〜って類い。

いや、別に「それを満たしてたって何の意味もなくね?」っていう。

貯金があってもつまらない毎日かもしれないし、いい会社に入っても馬車馬のように働くだけかもしれない。

それは別にそれでいいんだけど、俺らの選択肢を狭めないでくれないかな?と。

 

◾︎社会のピアプレッシャー

普通じゃないと価値がない的な。

新卒で入って、20代までで転職が終わって、30代からは役職付きで〜的な。

いや別に30代で転職なんざ「可能」だし、ハロワ行きゃもっと上の40代の転職組みの方々もいるのよ。

*筆者は30代で初正社員転職を経験した。

そりゃ誰もが知る有名企業は無理だよ。

*相応の努力があれば可能

しかしながら、働き場所がないわけじゃないし、とりあえず生きていく事はできる。

 

◾︎俺らを苦しめてるモノは「何か?」

そう常識。

〇〇でなければならない、〇〇をしなければならない、〇〇でなければならない…ってやつ。

よーく考えると「おかしい」んだよ。

30代で転職厳しいって、お前実際やった事あんの?

「俺は大丈夫だったけど」。

*中小企業だが

こういう実際にやった実体験から出てるまらまだしも、やった事ないのに「不安な気持ちから出てる」ってのが、大量にある。

言ってるやつが空想と現実の区別がついてない上に、受け手の自分もそれを判断できない。

それに距離を置くために、一旦社会という常識から少し離れる必要がある。

 

◾︎ニートやらフリーターはその辺で有利

ニートとかフリーターは一旦死の淵を見る。

常識的に考えてこれはできそうで、これはできなそうで、このくらいの選択肢ならあるだろう…と。

社会の常識というピアプレッシャーの中で取り得る最前の選択肢を選ぼうとする。

…が、常識的な選択肢だと「選べる選択肢がない」。

その中で自分の取り得る選択肢を過小評価して、まず一度「完全に自信を失くす」。

ま、簡単に言うと絶望する。

そっから価値観の転換が起きる。

じゃあもう「常識的な生き方は諦めよう」。

もう社会に必要とされないんなら、好きな事して稼ぐ方法を見つけようじゃないか、と。

んで「あれ?他にも生きる道ってあんじゃね?」

「ってか、常識って従わなくても良くね?」

という事に気付く。

 

◾︎一般常識の「外」は存外に面白い

誰にも何も言われず、ひたすら独自に工夫しながら進んでいく。

当たれば自分の手柄だし、ミスっても自分の責任。

怠くて作業しないのも自分のせいだし、調べて工夫した事がハマれば最高に楽しい。

誰かに何かを依存しながら、皆んなでちょっとずつ責任をシェアしてる一般社会人では味わえない。

誰からも指示される事なく、ひたすら己が道に邁進できるっていう。

 

▪でも一般社会も重要

人が集まるには理由がある。

それは多くの人にとって「無理のない場所」だから。

一人でかつかつに切り詰めて結果を出すのも良いが、多くの人と無理なく働くのも選択肢の一つ。

それぞれの良さがある。

 

◾︎まとめ

常識って「押し付けてくる」。

気付くとそこにいて、プレッシャーをかけてきやがる。

それと距離を置く必要がある。

俺が常識を嫌いなのは「自分で判断できなくなる」から。

刷り込まれるのよ。

いつのまにか。

俺は自分自身で判断したい。

故に、距離を置く。

そして、外側は楽しい。

自分の責任で、自分の選択で物事が動くのは最高に楽しい。

これは、ある種の醍醐味と言える。

 

まあ、何を体験するかは自分で決めてくれ。

自分の選択だから辛くないんであって、お仕着せの選択では苦しいだけ。

ある意味では常識に縛られてた方が楽ではある。

ちなみに、常識を外してから常識に戻るというのも選択肢の一つ。

 

ま、選択するのは「あなた」だ。

ベストな選択をして欲しい。

 

感情的に動くのは「良い」のか「悪い」のか?

 

これで、自分が「何を大事にしているのか?」が分かる。

 

◾︎一例

人間、感情的に動いてプラスに働くことってあんまりありません。いや、むしろ全然ありません。ムカついたからその怒りをそのままぶつけたら、人間関係はゼロどころかマイナスになります。

*テキトーに読み漁って見つけたブログより。

 

これを見て「あなたはどう感じたか?」。

 

◾︎自分なのか?他人なのか?

結論から行こう。

感情的に動くって事は「自分を優先する」。

感情を我慢するって事は「他人を優先する」。

 

⚫︎感情ってのは自分のモノ

ごく個人的なモノであり、自分にしか起きないモノ。

その自分のモノを一切加工せずに出す。

周りの目を気にせずに。

それはつまり「自分を最優先にしてる」。

そうすると「ないがしろにされた他人は怒る」。

お前の意見なんざ訊いてねーよって言うようなモノだから。

しかしながら、自分は自分の気持ちを最優先にして行動できてるから気持ちいい。

確かにその人は大事かもしれないが、その人が俺の人生を生きてくれるわけじゃない。

 

⚫︎感情を出さないという事は他人の基準で生きていくと明言してるのと同じ

あなたの基準に従いますよと言ってる。

自分の感情は抑えて、あなたの気持ちを優先し、あなたの基準を採用する。

人とぶつからないようにし、人とうまくやり、人から支持される事だけを考えて生きる。

ん?自分はどこに行ったの?

そう。

「ない」。

もはや自分ではなく、社会の基準に従って生きてる公人と一緒。

 

◾︎人よりコトに注目しよう

やりたいコトをやる。

人からの支持なんざあってもなくても同じ。

上手にコトが運べば「勝手に支持される」し、その時の社会基準に合わなければ除け者にされる。

その時に、何も考えてねえやつらに振り回されてもしょうがなくね?

俺は俺の基準の中で目一杯やって満足してれば「それでいい」。

人なんざコトの中の1つに過ぎない。

もし自分がやりたい事の中に「他人から支持されたい」が最優先に入っているのなら、それでもいい。

…が、やりたい事に他人の支持的要素がないのであれば、社会を気にせず自己満足できるまで走ったほうがいい。

他人は自分の人生の責任を取ってくれない。

そんなのに合わせてたってしょうがない。

人よりコト。

 

◾︎まとめ

感情は自分のモノ。

その感情を出すという事は自分を大事にしているという事。

昔のヤンキー漫画とかで、ここだけは引けない一線があるという描写がある。

これは、この自分の感情を折ってしまったら自分の基準すらも折れてしまうという事。

即ち、他人に屈したという事であり、自分の基準を曲げたという事。

まあ、良いか悪いかは自分が決めればいい。

それでも皆んなと一緒に〜と思うならそれでいいし、自分が満足できる事がしたいと思うならそれでいい。

 

個人的には感情を出すほうがいい。

敵は増えるし、生きにくくはなるが「気持ちいい」。

自分に嘘つかなくていいからね。

人の顔色を伺って、媚びへつらって生きるより全然楽しいし快適。

 

ま、どっちが良いか?だ。

自分で選択して欲しい。

 

「読みにくい」と散々言われた俺が、「読みにくいメリット」を紹介しよう。

 

読みにくい=独自の味

故に「自分の言葉で語る必要がある」。

間違っても「読みやすくしようとしちゃダメ」。

 

◾︎読みにくいならその方向で特化する

なんせ俺は、ブログ1ヶ月目の初コメントが「読みにくい」だった。

精一杯分かりやすく書いてたのよ。

初めて見る人も分かりやすいように、知らない人が読んでも分かりやすいように。

しかしながら無理だった。

いくら頑張って考えても、自分なりに精一杯整理しても読み難かった。

なんせこの記事ですら読みにくいからね。

要するに「俺が俺の書きたいように書くと読みにくくなる」って事。

 

◾︎読みにくいまま出し続けた結果

いつしか割り切って説明しようとしなくなった。

懇切丁寧な言い回しを捨てて、「根幹部分だけ伝わればいい」と割り切った。

そうすると自分の言葉で説明し始める。

何を伝えたくて、何を説明するのか?

この全てを自分で行えるようになった。

 

◾︎読みにくいという事はどこかに自我が入ってる

自分の言葉を持ってるという証。

滅私奉公出来る人は、教科書通りの説明ができる。

事実だけを淡々と伝え、自分の考えを入れずに喋れる。

読みにくいやつは自分の意見がどっかに入ってる。

整理されてなくて、自己矛盾もあるが、意見として入れ込みたい。

その衝動を整理しきれない結果「読みにくい文章」になる。

 

◾︎さあ反転しよう

どっかに自我が入っちまうなら、あえて自我を活かす。

つまり「自分の意見を全部入れ込んじまえ」という事。

半端に説明しようとするから自我が消える。

自我を前面に出して、「俺はこう思う。反論はあるだろうがそれは知らん」と伝える方がいい。

 

◾︎知っておいた方がいい事

1、説明してもちゃんと分かる人は10%くらい

実際、そこまで読者は気にしてない。

クソ怪しいエビデンス(研究論文)を駆使してるブログはごまんとあるが、誰も難癖つける事なく回ってる。

それよりも、自信を持って「こう思う」とか、「実体験としてこうだった」とか書く方がいい。

 

2、長ったらしく正確なものをより、スパッと短いモノが尊ばれる

東電の原子力チームの会見のイメージ。

ミスなく正確に伝えるため、あらゆる事を明言せずにゴニョゴニョと伝える。

あれって、よーく聞いてると分かるが「めちゃくちゃ正確で誠実な受け答え」なんだわ。

分からない事は分からないって伝えてるし、この先の情報で変更するような事に対しては明言しない。

反面、ほぼ確定な情報は全部出してる。

…んだけど、どうにも受け手の印象が悪い。

今のどうなの?大丈夫なの?って答えに対して、誠実に答えると「分かりません」になる。

これをもし「とりあえず大丈夫です」って言って、万が一事故が起きた場合にカバーし切れない。

そこを俺の場合、「80%大丈夫だけど、20%大事故になる可能性があります」って言うようにした。

これとこれとこれが起きる可能性があって、それが起きなければ大丈夫だけど、起きたら死にますと伝える。

うるせーやつは「それじゃダメじゃないか!」って言ってくるけど、それを「知らねーよという事にした」。

まあ、この説明が分かりにくいんだけど。

もういいんだこれで。

分かる人だけが残ってくれればいい。

 

3、IQが10離れると会話にならない

要は「理解できない」。

例えば、ある男性2人が、同じ女性を見て「あの子可愛い」と思ったとしよう。

ある人は「あの髪型にどれくらい手間がかかってて」「あの服装にどれだけこだわりがあって」「どれくらい内面と一致していて」「どれくらい信用できるのか」ってのが分かる。

しかしながら、ある人は「ただ可愛い」としか分からない。

最初の男性は「猫かぶりのちょっと面倒な女かもしれない」と思い、友人に話す。

もう1人の男性は「あの子可愛い!どうやって落とそうか?」と会話する。

そうすると見事に噛み合わない。

最初の男性は、もう1人の男性に正直に伝えると面倒な事になる

よって「おう頑張れよ!」と送り出すだろう。

 

女性との会話でも同じ。

ある人は「女性が不機嫌」というキーワードから、相手が忙しいのか、疲れてるのか、体調が悪いのか、自分への当てこすりなのかの判断がつく。

疲れてるの系統なら、相手を手伝う、優しい言葉をかける、ゆっくり過ごせる事を提案するなどが出来る。

当てこすりであれば、身に覚えがないなら「喧嘩する」、覚えがあるなら「謝る」などの対応ができる。

しかしながら、ある人は不機嫌な女性を見ても「不機嫌なんだ…」としか感じない。

こういうのが積み重なっていく。

同じ情報を見ているのに得られる情報量が違う。

コミュニケーションにならなくなる。

 

よって、俺のブログを見ても「何言ってんのコイツ?」って人と、「あ〜分かるわ」って人に別れる。

理解できる人には分かるが、できない人にはいくら説明しても分からない。

 

◾︎本格的に読みにくくなってきたのでまとめ

読みにくいなら自分の言葉で語ろう。

受け身というか、世間の風に負けて説明しようとしちゃダメ。

分かりやすく書くのは無理なんだから、独特の例えと言い回しを持って「独自の方向に踏み出す」。

懇切丁寧に説明しても分からない人には分からない。

って事は、どんなに読みにくくても気に入ってくれる人もいる。

多数派に媚びるのは諦めろ。

それができるならもっと楽に簡単に生きてるはずだ。

できないから「もがく」。

そして「自分の言葉で語る」。

ハマる人にはハマる。

そういう道に邁進しましょう♪

 

アシュワガンダの記事がバズったから、アルギニンとの比較記事でも。

 

30pv→500pv。

*1日のpv数

バズの規模としてはショボいが、当ブログ最大ヒット記事を超えたっていう。

アシュワガンダってそんなに気になるの??

 

◾︎個人的に肉体疲労に効くサプリ

俺の中のトップ2は「アシュワガンダ」と「アルギニン」。

即効性があるのがアルギニン。

持続性があるのがアシュワガンダ。

 

⚫︎即効性ならアルギニン+シトルリン

どっかにデータが載ってたけど、持続性が非常に短い。

摂取後4時間で血中濃度がマックスになり、そこから急角度で落ちて、約10時間ほどで効果が切れる。

…んだが、その効果が凄い。

筋トレで追い込みすぎて動きたくない時とか、前日に思い切りトレーニングして寝てるしかないってくらい疲れた時に効果を発揮する。

もう少しだけ動けるようになる。

日常の生活くらいは行える程度に。

本当に追い込まれた時の一手はむしろこっちを推奨する。

反面、ちょっと仕事で疲れた程度の疲労には効果がない。

個人的には、誤ってトレーニングで追い込みすぎた時の回復に使う。

10時間あるとけっこう回復するのよ。

その動けない10時間をどうするか?

この最適解がアルギニン+シトルリン

*アルギニン単体だと4時間で効果が切れる。シトルリン配合で10時間持つようになる。

 

⚫︎持続性のアシュワガンダ

ちょい追い込まれた状態が「長く続く」なら、アシュワガンダがオススメ。

職場がガチの肉体労働とか、ベースの健康を崩してたりとか。

アシュワガンダはジリジリ効く。

飲んだ日は全く変わらない。

翌日にちょっと元気になる。

イメージ的には「回復力が増す」。

もしくは体力のベースラインが上がる。

前日までに抜けきれなかった疲労が、アシュワガンダのおかげで回復してる感じ。

ただし注意点として、本当にベースラインが上がったわけじゃない事。

ベースラインが上がった分無理をすれば、また回復できなくなる。

この調整というか、自分の体力を過信せず、調子に乗らずに冷静に把握できるかどうか?

これがアシュワガンダを活かすための分かれ道。

 

◾︎精力剤としては?

アシュワガンダ推し。

なんせベースの体力(回復力)が上がる。

今まで疲労で精力が落ちてたのが、コイツのおかげで復活する。

これを定期的に飲んでれば、とりあえずそっちも回復する。

 

◾︎アシュワガンダは健康的な生活習慣と共に行うと効果が増す

要は誤魔化してるって事。

アシュワガンダ単体だと。

自分の体力が落ちてるのに、それをアシュワガンダでカバーしようとしてる。

問題の「本質」を解決しないとまた同じ事になる。

運動しないで、ジャンクフード食って、酒ばっか飲んでるクソデブになってねーだろうな?

標準体重±3kgに体型を戻して、酒止めて、肉と魚や定食なんかの飯を食って、毎日少しずつ歩いたり、筋トレやスポーツなんかの運動習慣を持つ。

それで始めてアシュワガンダの効果を最大化できる。

「最近体力落ちてきたな。アシュワガンダで〜」ってやつは問題を先送りしてるだけ。

アシュワガンダは魔法の薬じゃないぞ。

分かってる人だけ手を出して欲しい。

 

◾︎まとめ

持続性のアシュワガンダ。

即効性のアルギニン。

ガチで運動してる人は、休養と同時にアルギニンの摂取を推奨。

慢性疲労系の症状に悩んでるならアシュワガンダ。

ただし、根元を断たないと元の木阿弥になる。

慢性的に問題があるって事は、他に見直すべきものがある。

ベストなのは「ちょっとオーバーワーク気味な週がある」とか、「ここ数日は踏ん張りたい」っていう中長期の一時的なストレスがかかる対策に用いる事。

永続するのはオススメしない。

自分の本当の体力が分からなくなってしまう。

セルフモニタリングできないと「謎の不調」に襲われる。

それ謎じゃねーから。

自己判断できてないだけだから。

誤魔化しにはオススメしないが、疲れた時に使用するにはオススメ。

用法用量を守ってお使い下さい。

 

「学校で習う」のと「独自でやる」って全く別。

 

ブログ1つ取ってもその方向が出るってのが面白い。

 

◾︎オンラインスクールに行くかどうか?

学校派は「誰かに習う」。

学校で一律の教育があるように、プロブロガー(10万アクセス以上くらいの人)が主催するスクールとか、バズ部みたいに確実にアクセスが集まる手法とかを「勤勉に学ぶ」。

んで、それを着実に試しながらモノにしていく。

それが教育エリート。

 

◾︎俺みたいな「落ちこぼれ(反社会的なやつ)」は?

途中で嫌になっちゃう。

誰かに習ってその通りに実践するのは。

自分で気になった事をそのまま試したいし、それを咎められるのも面倒くせえ。

要は「規定の枠に嵌められたくない」。

別に非効率でも楽しきゃいいし、やってみたい事はやってみたいのよ。

「皆んなで同じ方向向いて頑張って行きましょう」みたいなやつに距離を置きたいっていう。

 

◾︎独創性はその辺から生まれる…はず

皆んな=社会に迎合しないで作る。

独自の感性=俺がいいと思ったものを突き詰めていくから、オリジナルになる。

この辺は、俺に独創性があるか分からないんで、言及するのを控えよう。

 

◾︎学校派からは「次のコンテンツ」は生まれない

学校派は「皆んなで良いものを作りましょう」っていう感じ。

チェックが行き届いてるから極めて高品質なんだけど、尖ったコンテンツも生まれない。

…なんつーか、個々人の我慢の上にコンテンツが成り立つって感じ。

自分がやりたい事よりも集団の意思を優先して作る。

集団ってのは社会ね。

社会的に今最もウケがいいコンテンツを作るって事。

でもそれじゃ次は生まれないんだわ。

 

◾︎天然で空気読めない人が強い

ズレてる事を自覚してない人。

イケハヤとかはあちゅうとか、最初の段階から皆んなとズレてる。

俺も好きなことやってて多数派に属した事がほとんどないっていう。

少数派に流行った「オンラインサロン」とか「メルマガ」とか、少数派は少数派で流行りがあるんだけど、人に合わせてやったって成功しないよね、と。

イケハヤなんかは早い段階で脱落したし、それがむしろ良かったっていう。

対面のコンテンツが向いてるならそれをやればいいし、苦手なら別のことをすればいい。

結局んところ「自分が思った通りにやってみる」ってのが、その人ならではの強みを作る。

 

◾︎まとめ

教育エリートは「誰かに習って最短で成長しましょう」。

俺みたいな落ちこぼれは「オリジナルの方向を突き詰めましょう」。

…おそらくねー、かかってる手間は同じなんだよね。

エリートが誰かに習ってる時間を、俺は自分でひたすら考え抜いて試してるって事。

で、「上がってくる創作物が全く違う」。

高品質無機質な「無印良品」みたいな品物か、コアで一般人ウケしないけど熱狂的ファンがいるような品物になるかって感じ。

俺は割とコアな商品が好きなんで、今の方向性は合ってると感じてる。

ま、自分がどちらを好きか?だ。

なんでも手間は同じ。

好きな方をやろう。

 

他人に頼ると他人の評価をアテにしなきゃいけなくなる。

 

相談相手が良いと思うかどうか?

要は同意してもらえるかどうか?」が重要になっちゃうよね、と。

 

◾︎他人を噛ませると「他人が入ってくる」

人間ってのは「影響される」。

どんなに自分が正しいと思ってても、違う意見を言われればグラつくし、なんとなく検討してみたりする。

それが一回やそこらならまだしも、毎日顔を合わせる相手になったらシャレにならない。

会社とか、家族とか。

知らず知らずの内に影響されて、自分がドンドン薄まっていく。

 

◾︎孤独の重要性

自分を濃くする。

自分1人で調べて、自分1人で検討して、自分1人で決断を下す。

それの繰り返しで、自分への信頼が増していく。

 

◾︎自分の決断は自分で下すしかない

特に一般的じゃない事柄に関しては。

*起業とか、独立とか、恋愛みたいに大きく個人の趣向に寄っているモノ。

相談したり、色々な人の話を聞くのはいい。

…が、結局のところ「テメーで決断するしかない」。

他人に頼って、他人がいいと思うモノに自分を染めてしまったら、それは他人の意見になる。

それに「自分が心底同意できる事ならいい」。

それはもう「あなたの意見」であり、自分で決断していると言える。

しかしながら、何か気に入らない部分があるのなら、それ従った方がいい。

自分がベストだと思う決断をする。

 

◾︎人の意見は人の意見

人が何をどう言おうと知らん。

自分の中で腹落ちしてるモノが「唯一絶対に正しい」。

もし自信がなくて、自分の意見を言って他人に否定されたら面倒な事になると思うなら、言わないというのも1つの手ではある。

他人に迎合する必要はなく、自分1人で決断する事で満足できる。

 

◾︎1人で決断するクセを付けよう

迷うと「相談したくなる」。

俺はした。

キャリアカウンセリングに行ったし、心底尊敬していて、兄貴と呼んでも差し支えない先輩方の知恵をお借りした。

それでも、結果「ハズレだった」。

俺がしたい事は「社長」というか、「最高責任者」である事がやりたい。

個人事業主でも経営でもいい。

自分が納得できない事はしたくないし、合わない人間に従いたくないし、一緒にいたくないし、あれこれ指示されたくない。

自分の裁量、自分の責任で持って物事を行いたいし、決断したい。

要は「ワガママ」なんだわ。

んで、このまま社会に出ると「協調性がない」って言われてハブられるのよ。

いや、お前みたいに思考停止して仕事してる方がよっぽどだわと思う。

かくして、俺はもう一般社会人とは分かり得ないと悟ったわけだ。

 

◾︎分かり合えないなら自分の道を進もう

俺、先週まで就職してたのよ。

もうやめちゃったけど。

その1週間で「分かり合う事も歩み寄れる事もない」と分かった。

じゃあもう「誰かに聞くのは止めよう」。

だって、普通の人に聞いたら「100%俺が悪いと言われる」のよ。

「その会社でやっていきたいなら我慢しろ」ってね。

いや、俺はそれがやりたくないのよ。

なもんで独自の道を探す。

これは世間の大多数が敵に回るという事であり、誰かに聞いても答えが返ってこないという事。

上等じゃん。

やってやんよ。

…途中で折れるかもしれないけど。

という事で「自分で決断しよう」。

 

◾︎まとめ

他人に頼ると他人と混ざりますよ〜。

それがやりたい事なら構わないが、やりたくない事だったら結構な痛手になるよ。

んで、もし違ったなら「自分で決断しよう」。

だってもうしょうがなくね?

普通に意見を出したら世間が敵に回る事をしようとしてるんだから。

もとより味方がいない。

…んだけど、それがやりたい。

じゃあ、人に意見を求めるのは止めよう。

自分でやれるとこまでやる。

だってそれが俺のやりたい事だから。

という事で、自分で決断しよう。

 

優しくて能力がない人と、厳しいけど能力がある人のどちらがいいか?

 

凄く残念な事に、俺は昔から「能力のある厳しい人の方が好き」。

能力がなくて優しい人って頼りないのよ。

 

◾︎頼りになるとは?

ミスった時にカバーしてくれる能力。

もしくは、その人の視点が聞きたいと思う人。

「仕事でトラブルになった」とか、「これから何を決断するか悩んでる」とか。

そう言う時に、優しいだけの人は一緒に右往左往するだけ。

違うんだわ。

一緒に右往左往して欲しいんじゃなくて、何らかの指針になるようなアドバイスが欲しい

そういう時「自分ならこうする」とか、「現実的に考えたらこっちがいい」とか、「無責任でも突っ張ったほうがいい」とか。

可能なら自分がやったor経験した話が聞きたい。

それを聞くと、じゃあ「自分ならどうするだろうか?」って落ち着いて考えることができる。

決断するのは「俺」なんだけど、その新しい視点をくれる人ってのが、俺の中で頼りになる人

 

◾︎優しい人は「何もない」

気を使って励まそうとしてくれるのかもしれないし、とりあえずのメンタルを気遣って優しい言葉を投げるのかもしれない。

しかしながら、優しい励ましの言葉では何も解決しない。

何かミスがあったら「良いよ良いよ」じゃなくて、何をミスって何が課題でどう解決するか?ってのがあれば同じミスを起こさないのよ。

それを口だけで同じミスをしないようにね」と言っても意味がない。

 

◾︎優しい人が持て囃される職場

俺を教えてくれた人が「まあダメな人だった」のよ。

釣り合いを取るために、まず最初に褒める。

すっごい優しくて、全然怒んなくて、バカみたいに丁寧に説明してくれる。

聞けばなんでも教えてくれて、何回も同じ説明を分かるまでしてくれる。

雑談力も高いし、年齢層問わずに人気があって、職場の色々な人と話してた。

こういう一件素晴らしい人。

なんだが、仕事で「全く頼りにならない」のよ。

 

⚫︎具体的な内容がない

俺が凄く苦手な仕事があった。

いつも似たミスをして、心底これ苦手なんだなと思うやつが。

しかしながら、それに対しての指摘はなかった。

大枠で「その仕事できるようになった方がいいよ」とはいう。

俺だって仕事ができなくていいと思ってるわけじゃない。

やりたいけどできないから凹んでるわけ。

だから、具体的なミスの内容に言及してくれれば改善できるのよ。

しょうがないから自分でやったけど。

*だいたい同じミスする場所をメモって解決した。

…で、やっぱと言うか何というか、その人は未だにミスをしまくる。

んで、怒られるんだけどあんま気にしてないっていう。

要は自分が改善点を分かってないから人に指摘できないのよ。

 

◾︎能力がある人は指摘できる

仕事ができたり、認知能力が高い人は、今自分がやっている事をキッチリ把握している。

だから今の俺の何がダメで、どう改善すれば問題が解決する(解決に向かう)のかが分かる。

だから指摘して「くれる」。

いいから「これをやれ」と。

そこがもう全然違う。

*あの職場には「いなかった」。俺に友人達には「いる」。

 

◾︎受け手の問題

俺も認知能力が低かった頃は言われている意味が分からなかった。

要は「指摘された事の改善の結果を予想すらできなかった」。

例えば「良いからやってみろ」と言われたとする。

腑に落ちない時は「それができないから困ってるんだ」とか、「そうは言ってもそれは出来る人の特権で…」っつって、やろうともしなかった。

もちろん、やった結果が予想通りになる事もある。

…が、大抵の場合は「思ってるより簡単」だし、的を得ている事の方が多い。

外から見ると分かるんだけど、自分ではよく分からない。

それを自分で認識してないと、せっかく貰った「助言の類い」を全部捨てる事になる。

 

◾︎いい人は毒にも薬にもならない

要するに、自分1人でやってるのと大差ない。

懇切丁寧に説明されたことは調べれば分かるし、ミスった事は指摘されないから自分で気付くしかない。

そのくせ「仕事だけは飛んでくる」っていう。

ただ「ミスったら人から文句を言われる」のと「人とのコミュニケーションコストが増える(意思疎通の手間が増える)」だけ。

あれ?これなら1人で「やりたい事」を試行錯誤してた方が楽しくね?っていう。

そいつと一緒にいるコストより、1人でのびのびやる方がストレスたまんなくて良いよね、と。

いい人って別に必要なくね?

 

◾︎優秀な人が数名いればいい

俺も優秀な方ではないし、偉そうな事を言える立場ではない。

…んだが、自分がスタッフを雇うなら「ミスを指摘し修正できる人」がいい。

自分で考えて、自分で動いて、自分でミスの責任を取る意思があって、自立して動ける人。

マスコットキャラはいらないし、そういう単位で動けるチーム(最大5人程度)がいい。

これがハッキリと分かった。

 

◾︎デカいチームならマスコットキャラがいる

6人以上からは、マスコットキャラがいた方が空気が良くなる。

しかしながら、マスコットキャラを雇うという事は「余裕がある」という事。

大企業で人員的な余裕があって、資金的な余裕もある場合のみ許される。

俺の昔の職場がそうだったが、まあゆるゆるだった。

仕事は2時間集中してやれば終わったし、仕事がある程度終わらなくても翌日の人達がなんとかしてくれた。

*何もやらないと死ぬが。

この時は仕事しない人がいても腹がたつ事はなかった。

むしろ面白いと思ってた。

しかしながら、なにかを真剣にやる時にこんなやつがいたらケンカ必至。

そういうもん。

本気で遊びたい時に、本気じゃないやつが混ざってたらイラつく。

ある程度の規模になったら真剣なやつばかりじゃないので、こういう余裕がいる。

 

◾︎まとめ

優しい人は役に立たない。

むしろ逆。

役立たずだからこそ優しくなった。

自分がミスばっかで人に助けてもらって、人に対して意見ができないから「結果として」優しく感じる。

厳しいやつは「能力に自信がある」。

色々とよく気付くし、自分が同じミスをしないから寛容さがない。

その分、的確な指示が飛んでくる。

自分がそうやって解決してきたし、学んできたから。

良し悪しじゃない。

自分がどちらを好きかどうか?

手っ取り早く解決したいなら、能力のある人に師事した方が早い。

逆に「そこまで頑張りたくない」なら、ひたすら優しい人について行くといい。

職場選びや人間関係にも通じる。

まあ好き好きだよ。

 

自分が好きな事をしよう。

 

失敗と成功を逆に捉えてた。

 

「出来て当たり前」

「出来ないと落ちこぼれ」

的な。

逆。

出来なくて当たり前。

出来たら超凄い。

 

◾︎出来て当たり前なんてモノは「存在しない」

ワンチャンでいい。

「たった一回できればいい」。

失敗こそが普通。

 

⚫︎何かを変える時の「壁」

例えば「食生活」。

これを全部変えるとしよう。

その場合「できなくて当たり前」。

むしろ、鶏肉、プロテイン、野菜だけで過ごせた日があったら超凄い」。

その「たった1日できた」って実績を、少しずつ伸ばしていく。

要は「1日できたんだから他の日もできる」って事。

その頻度を増やしていく。

 

◾︎新しい習慣は一回でも成功したら凄い

筋トレでも「1ヶ月に一回筋トレやった」っていうのでも凄い。

1ヶ月に1回が1ヶ月に2回になり、1週間に1回になっていく。

キッカケは最初の一回。

その一回こそが「成功」。

 

◾︎失敗が当然という前提を置く

食生活を改善したとしても、ついお菓子食っちゃう日もある。

その時に「なんで失敗したんだ?」じゃなくて、「まあ当然だろ。俺だし」って感じで流す。

んで、再び出来る日を増やしていく。

1日できたら「凄い」。

失敗したら「当然」。

これでいい。

会社や学校にいると「できて当たり前」って教えられる。

いやそれ当たり前じゃねーからな。

出来る方が凄いんであって、出来ない方が当たり前。

 

ゆるく生きよう。

 

◾︎まとめ

出来る人が「凄い」。

出来ない人が普通。

失敗が当たり前で、成功が稀なんだと認識しよう。

今までこれを逆に捉えてたから苦しかった。

ガンガンチャレンジして、たった一回の成功を掴み取りましょう♪

 

実際の逆ナン経験。

 

需要が無かったら消す。

こういう話をするのは抵抗があるが、実際に起こり得る可能性があるという事で。

 

◾︎5選

1、職場の上司を通して

俺の直属の上司から「レジの子がお前の番号聞きたがってるんだけど教えていい?」と言われた。

*上司は全部門に関わりがあったので橋渡しになった。

 

2、直接渡された

「これ番号なんで、良かったら」的な。

主に職場と、スキー場。

街中ではない。

 

3、多数いる中で、明らかに俺に話しかけてきた

俺より上の人もその場にいて、俺に質問するような事じゃないのを、あえて俺に質問してきた。

それとなく誘導(誘われるように)したがる感じで近くにいたりって事が多かった。

残念ながら俺はそういう回りくどいアピールが大嫌い。

かなり可愛い子で遊び慣れてそうなタイプだった。

それがまた癪に触ったのと、付き合った後もこんな感じでアピールされたら面倒すぎるので、見て見ぬフリをした。

 

4、こっちが話しかけた後のノリ

普通に別れようとしたら、向こうから番号を聞いてきた。

職場で少し話した人とか、飲み屋でちょっと話した人とか。

 

5、友人を通して

誰か紹介できる男いない〜?ってやつに俺が選ばれたパターン。

裏でどうなってたかは知らん。

…が、ある程度「作為的に選ばれた」と感じてる。

*友人の手前、確認はしてない。

 

以上!

 

◾︎主戦場は「職場」

まあスーパーの店員だったもんで、同じ職場で働いてて見る機会が多い(相手が俺の事を)というのが大きい。

次点で「少しだけ会話がある人」。

どっか行って、ちょっと話したのがキッカケになるパターン。

全くの見ず知らずの状態から「番号教えて下さい!」っていうのは、ガチのイケメンしか無理。

 

◾︎一応気持ちを記す

聞かれた事は非常に嬉しい。

実際、こっちからメッセージしたし、何回かは遊びに行った。

…が、ハッキリ言おう。

つまんなかった。

理由は様々あるが「向こうが緊張してる事」「俺も余裕がなかった事」がメイン。

 

少しずつ進んでいくのがお互いにとってベスト。

急がば回れ

 

◾︎まとめ

チャンスは割とその辺に転がってます。

顔を見る機会が多いのと、軽くでも会話をした事があるってのがポイントになると思う。

見ず知らずの男に声をかけられる女性はごく少数しかいない。

「毎日行ってるカフェで挨拶するようになった」とか、「コンビニで挨拶を交わすようになった」っていうのの延長線上にこれがある。

顔見知りの女性を増やしたり、おはよう〜→雑談くらいの会話をする人を増やしていけば、自ずとチャンスが増える。

参考になれば幸い。

 

 

今の自分にできる選択がベスト

 

もう辞めちゃった企業に入る前に、「キャリアカウンセリング」ってのを受けたのよ。

んで、そこにいた超優秀な人の手ほどきを受けて企業に入った。

*超コミュ強で、前職はどっかのエリアマネージャーだったという女性。

これ、カウンセラーの下駄がなければ受かってないんじゃね?と思ってさ。

 

◾︎今の自分で選択する事が身の丈に合った場所

曲がりなりにも、ガキの頃から色々な経験をしてきてるわけよ。

俺ら全員が。

子供の頃から皆んなと一緒に遊んでるやつもいれば、その枠の外で遊んでるやつもいれば、1人で何かしてるやつもいる。

そういう「自分に合った経験」ってのを積んで、高校生辺りまで来てる。

そうすると大体自分がどこに属しているか?ってのが分かる。

 

⚫︎自身の経験

勉強の順位、対人の状態、体育レベルの状態、自身の好み、属してる集団、などなど。

特に中学校まで。

中学までは雑多に混ざってるから、自身の勉強の順位と興味、対人状態を知るにはいい。

ここで次の高校をどこを選んだか?ってのが、既に1個目の選択となる。

 

◾︎普通に最もパリピがいる

普通って、要は「普通に努力できる」って事。

普通に勉強に対して努力できて、普通にスポーツやって、普通に恋愛すべく努力できる人。

ここが最も美味しい。

普通に皆んなと遊ぶことができて、感覚の共有ができる。

高校の偏差値っつーか「ランキング」ってのがある。

そこで「中間〜ちょい上」とされる辺りのやつら。

ここが最も普通の幸せを享受する。

 

◾︎学校で感じた「感覚」を大事にする

あれは一種の「社会」。

あれに適応できなければ別の道を探すしかないし、適応できるならすんなり企業に入れる。

…なんでこの話を書いたかっつーと、会社で受けた「感覚」に既視感があったのよ。

 

⚫︎なんか知ってる「この感じ」

「あ、馴染めない」って確信するような感覚。

別に誰も俺の事をハブったりしてないんだけど、なんか1枚壁があるっつーか、違う感覚の中で生きてるっていう気持ち悪さ。

馴染めないっつーか「馴染みたくない」。

学校行ってる時も「規則なんだから〇〇しさないよね!」ってやつをぶっ殺してやろうかと思うような場面が多々あった。

揉めたらこっちが悪いになるし、なんだか言い表せない気持ち悪さ。

正義を盾に意見を封殺してくるような。

「皆んなでちょっとずつ我慢しよう」っていうあれ。

すっげえ気持ち悪い。

俺が学校が大嫌いだった理由の1つがこれだったことを明確に思い出したのよ。

俺は特定にグループを持たなかったし、馴染もうとも思わなかった。

そもそも中学3年は午後登校してたしね。

*そこでヤンキーグループに取り込まれそうになって大変だったが。

そういうその頃の感覚ってのが、マジで重要。

馴染めないモノは馴染めない。

それに従って決断するには自分で決めるしかない。

 

◾︎他人の基準では自分が不幸になる

例えば、俺は普通への適性がない。

いわゆる「普通の経験」というモノが著しく欠けてる。

まともに女と付き合ったことはないが、告白は何回かされたし、逆ナン(番号教えて下さい!みたいなやつ)も複数回ある。

しかしながら、いかんせん俺は女嫌い。

会話も合わないし、話題も合わない。

甘い恋愛は嫌いだし、あんまり一緒にいたいと思わない。

その流れっつーか、そういう適性なのに、仮にモテ男の真似をしてモテたとしても全然楽しくないのよ。

今回の就活はまさにそれ。

超優秀なカウンセラーのおかげで受かったが、俺1人の力ではおそらく受からなかった。

俺1人では「受からない」のよ。

受からないって事は向いてない。

本来はそこで終わったはず。

他人の力を貸してもらうって事は、自分の実力以上の結果が出てしまう。

それは今の自分に合ってない結果にもなる。

 

 

◾︎自分の決断は自分でする

俺の経験は俺にしかない。

あなたの経験もあなたにしかない。

俺は小学校でハブられて軽いイジメ状態になった。

これは上記した職場の「馴染めない」のと同じ状態。

その代わり、支持者もいた。

あなたがどういう経験をして、今ここにいるのかは分からない。

しかしながら、その経験はなんらかの必然性があって起きてる。

あなたの特徴がなければ起きない出来事。

そういう経験を元に決断できるのは自分だけ。

「俺を知ってるのは俺だけであり、あなたを知っているのはあなたしかいない」。

どんなに自信がなくても、どんなに他の基準に頼りたくなっても、それは絶対にオススメしない。

自分の経験を元に自分で決断する。

それがどんなにか細い糸であっても。

自分の性格に合っていて、今の自分の身の丈に合っているもの。

それは自分で決断する事でしか手に入らない。

 

◾︎まとめ

自分の決断は自分でしよう。

自分の性格を知るのは自分しかいないし、自分の身の丈を知れるのは自分で決断した時だけ。

一般に言われる事と逆。

失敗しないために自分で決断する。

自分で思いつく発想、可能性から選択をする事で、自分に合ったものになる。

ここに他人を噛ませると、自分の実力以上の場所に行けたり、自分と違う尺度での発想になってしまう。

それは自分に合わないものになる。

自分の尺度、実力、発想の中から決断する事。

これしかない。

自分の責任は自分で負って進んでいこう。

自分を絶対の尺度として生きよう。