研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

仕事も女も上手くいかないのは「同じ理由かもしれない」。

 

「自分の基準で選んでない」から。

 

◾︎自分が選ぶ

仕事も女も。

自分がいいと思う女性にアプローチする事でしか上手くいかないし、そうでないと満足できない。

そのためには、自分が何に惹かれて、何を重視してるのか?ってのを自分で決める必要がある。

自分は何が好きで、どういう相手が好きなのか?

仕事も同じ。

給料なのか、やりがいなのか、人と絡む頻度、事務能力などなど。

その上で自分がいいと思う仕事で頑張る。

自分がいいと思う仕事をやらないと満足できないし、やりがいも感じれない。

 

◾︎自分で主導する

自分の感覚が頼り。

「あれやってみたい」とか「あれ面白そう」とか、そういうのの中に答えがある。

「遠くの何か」を考えすぎなんだわ。

すぐ近くの女、すぐ近くの仕事にもっと注目する。

そんな遠いとこ見てたって「関係ない」。

もっと泥臭く、すぐそこの「息遣いを感じるレベルの近さ」にこそ、求めるモノがある。

 

◾︎社会に遠慮してると死ぬ

もういい年齢だから選べる仕事は〜とか、あの女性は自分じゃ無理〜とか、なんかよく分かんないモノに遠慮してると人生が終わる。

「自分がいいと思った女性は是が非でもモノにしたい」

「自分がやってみたいと思った仕事はやらないと納得できない」

このくらい自分を主体に考える。

社会は「遠慮してると助けてくれない」けど、「前に出ると存外に優しい」。

自分主導で欲しいものを遠慮せずに行動しよう。

 

◾︎まとめ

自分の感性に引っかかったモノは正しい。

社会に遠慮すると死ぬ。

自分の感覚を磨いて、遠慮なくそこに突っ込んでいきましょう♪

 

自信がないのって「今の環境」かも。

 

なんか今の生活に不満があるとすれば、環境かもしれん。

 

◾︎実家暮らしという環境も含まれる

最近まで気付かなかったのよ。

ちょうど親が旅行に行って数日一人だったんだけど、ここで気が付いた。

息ができる。

やっと「ほっ」と一息つけた。

いやこれガチで。

いや、なんつーか、親の目があると「ちゃんとしなきゃいけない」とか「常識に則った事をしなきゃいけない」とか、自分の意見じゃないモノを常に気にしてなきゃいけない。

俺自身は別に、好きにやりたい方なのよ。

読者様は知ってると思うけど。

友人や知り合いは、無職でも犯罪者でも気にしないタイプだし。

しかしながら、親は違う。

俺にちゃんとした人になって欲しいと願ってるし、ちゃんとした人と付き合う事を望む。

んで、実家にいると親の基準に引っ張られる。

幼少の頃からそうやって生きてきたわけだし、このクセは変えらんねえのよ。

 

◾︎自分で好んで従ってるならOK

自分の意思で自分を律してるならいい。

「ここで結果を出したい!」とか、「ここで生きてくために頑張る」ってやってるなら。

それは自分で決めた事だし、その結果で後悔するとしても自分の責任において選択した結果であり、自分で責任を追う事ができる。

 

◾︎従いたくない基準で生きてると「死ぬ」

どこまで行っても満足できない。

だって、他人に従わされてるんだから。

自分の基準は消え…なんなら自分の意見に価値がなくなる。

自分の意見がない方が上手くいくわけだ。

これは無価値と同義。

万が一、その結果上手くいったとしよう。

しかしながら、その基準を認められても嬉しくない。

なんせ自分の価値観はそこにないのだから。

 

◾︎今の自分がどういう環境にいるか見直す

自分の価値観を否定してくるタイプ(理由はどうあれ)と、密接に関わらないといけない時間を過ごしてるなら、見直す必要がある。

*相手が親の場合は「愛ゆえに」価値観を否定してくる。それがむしろヤバい。無理してでも早急に距離を置くべき。

職場の場合は「単純に否定してくる」が、関係性を薄くできる。

ハイハイ言って流したり、会話しなくても意見を通せる環境を作ったり、自分の方が仕事ができるようになるまで粘ってそいつを通さずに意思疎通を可能にしたりできる。

とにかく今の自分が否定されるような環境にいないかどうか?ってのを見直して欲しい。

最も身近で密接な場所にこそ注意して欲しい。

 

◾︎もし見つけたら即回避行動を起こそう

いますぐに対策をする。

実家暮らしなら「家を出る」とか、「カプセルホテルを利用して家にいる時間を減らす」とか。

仕事なら「転職」「もっと役職が上の人とのパイプを通す」「同僚と結託する」など、多様な対策が取れる。

これをやらないと自信が回復しない。

つまり今のままだ。

自信を失う理由って、ほんとにすぐそこにあるぞ。

遠くのどこかじゃなくてすぐそこ。

お前の横の問題が全ての元凶。

 

◾︎まとめ

自信を失う環境はすぐそこにある。

あなたが気にも止めないほど「身近」で「密接なところに」。

マジで怖えぞ。

遠くの何かに向かって対策しても無駄。

今すぐそこにある脅威を取り除こう。

ストレスってのは遠くの何かじゃない。

すぐ近くにある「それ」が発生源。

今すぐ対策しましょう。

 

欲しいモノはちゃんと欲しがろう。

 

微妙にハッキリと欲しがってないんだよね。

なんかこう身の丈に合わせてるっつーか。

欲しいモノは現実に欲しがらないと、実現しない。

 

◾︎現実で買う

例えば「家を買う」。

今、この状態で、本気で「買う」と仮定してみて欲しい。

借金背負って買う気満々だ、と。

この「怖さ」と「期待感」ってのが「現実の重さ」。

この現実の重さをもってして、その上で「欲しい」と言い切り、行動する。

 

◾︎言葉と空想には重さがない

言葉をいくら捻っても現実は変わらないし、空想をいかに練っても現実は変わらない。

現実に、今この状態で突っ込むと決める事でしか「重さが生まれない」。

この重さが現実であり、やる人とやらない人の差。

 

◾︎明確な言葉には価値がない

なんかこう、言葉を紡いでる中で「感情が抜け落ちる」のよ。

ニュアンス的に、欲しいモノ買って、借金背負ってでも行動すれば働く気になんだろって感じ。

…なんだけど、この「ワクワク感」とか「怖さ」とか「踏み出せないところを無理に一歩行く感じ」とか「今の場所から一歩進むために良さそう」とか、色々なニュアンスが入ってるのよ。

その上で「欲しいモノを欲しがろう」っつってるんだけど、なんかそれだけ伝えると「いや、無理だから」って終わっちゃうんだよね。

なんかこう「モヤっとしたものも含めて前に出よう」って感じであって、明確に言葉で言い切れる感じじゃない。

言葉って分かりやすくすると「何かが削ぎ落とされる」のよ。

実際ばもっと「緩く」て、「曖昧な表現も大量に入ってる」。

そういう「割り切れないモノ」こそが、温かさっつーか「人情味」を感じれるモノになる。

文章としてはつまんなくなるけど。

 

◾︎余談

ブログ書いてると気分が悪くなる。

言語能力と不安症は相関関係にあるらしい。

実感としても、感情を明確に言語化しようとするほど気持ち悪くなる。

逆に、ある程度「曖昧」で、緩さを許容した状態で過ごすと気分が良くなる。

なもんで、現実世界での活動が増えるほど「ブログの更新頻度が減る」。

なんか文字読むのも面倒になるし、文字を書くのも面倒になる。

気分が悪くなるのよ。

文書に触れる頻度が多いほど。

逆に、何も考えずに行動してると気分爽快になる。

適度なバランスが重要。

 

◾︎まとめ

欲しいモノは欲しがろう。

そして現実の質量を受け止めよう。

言葉と空想で遊んでたって何の質量も発生しない。

現実に欲しいモノは手に入らないし、行動も伴わない。

行動する「怖さ」と「期待感」やら、色々混ざった感情を抱えて前に出る。

それでしか「今ある場所を広げていけない」。

ま、なんのこっちゃだわ。

明確に表現すると気持ち悪くなるから、敢えてぼかしておく。

んで、ある程度アンニュイな部分を許容する事でメンタルの調子が良くなる。

ま、色々やってみましょ〜。

…あ、ブログの更新頻度落とすかも。

文書書いて不安になって無理してまでカネをもらうよりも、外でしたい事やった方がいい。

 

ちょっと現実で欲しがってきますわ〜。

 

やる事は1つに絞る方がいい。

 

働いて、ブログやって、筋トレやって、遊んで、その上で女作ろうって、あなた超人なんですか?と。

 

どれか1つを重点的にやろう。

 

◾︎人は有限

主に「メンタル」。

例えば、同時に3つの行動ができるとしよう。

やりたい事が「仕事だけ」であるとする。

その場合、会議して、新しい事を覚えて、日常業務をこなすくらいの事ができる。

しかしながら、これを「仕事」「副業」「筋トレ」と同時にやってたとする。

その場合、各一個で手一杯になる。

一個に対して1つの行動しかできないんだがら、新しい事を覚えようと思ったら、今やってる事が犠牲になる。

要は、明らかに無理がある行動計画になってる。

 

◾︎休憩も含めての「やりたい事」

仕事が良いからっつって仕事ばっかやってたら、それはそれでヤバいわけだ。

特に長期で考えないといけないタイプの目標に注意。

「どっか旅行に行く」とか、「その辺を遊びに行く」とかの目標ならいいのよ。

その時間を無理して捻出すれば達成できるから。

しかしながら、「マッチョになりたい」とか「モテたい」とかって、数ヶ月単位の献身が必要。

一個の目標に対してやるべき事が大量にあって、「一回やりました→終わり」って単純に終わらない。

っつーことは、それだけ長期的にストレスがかかる。

他に、新しい事とか負荷がかかる事なんてやってらんねーのよ。

休まないと、ね。

 

◾︎知らず知らずのマルチタスクに注意

自分ではそんなに大それたことをしようとしてないにも関わらず、結果として色んなことをやってないか?

モテるためには筋トレなど必要ない。

何よりも「新しい女に会う事が必要」。

それなのに他のことしてたら「この目標に向かう気力がなくなる」。

…意味は分かるな?

誤魔化してるっつーか、見失ってる。

行動するのは、本当に必要なモノに絞った方がいい。

気付くとブレブレのまま進んでるぞ。

 

◾︎まとめ

人は有限。

マルチタスクは無理。

自分の生活を見直してみよう。

んで、たまにはゆっくり休もう。

 

何もしない時間が「超重要」。

 

空き時間って超重要だわ。

むしろ空き時間を積極的に作る必要がある。

 

◾︎脳の過剰興奮

何かしてるって事は、交感神経を使ってる。

例えば、デスクワークにありがちな「仕事しながら飯を食う」。

本来、メシを食う時って「副交感神経が働く」のよ。

しかしながら、飯を食いつつも仕事してる=脳は働いてる=交感神経優位。

「ながら食いが良くない」って言われるものこの一種。

要は「食って休むはずの現実」と「別のストレス」が同時にかかる。

仕事してんだか食ってんだか分かんなくなって、脳が常に興奮した状態になる。

休憩時間にスマホ見てたりとかも同じで、それじゃ「休憩になってない」っていう。

これが積もり積もって「過剰なストレス」となる。

平たく言おう。

超疲れる。

 

◾︎休む重要性

考えない、やらない時間。

この時間を取る事で「脳が休憩できる」。

ある種「抜けた状態」に移行する。

これで「安心できる」。

…まあこの時間を取るのが難しいのなんの。

「暇だからゲームやろう」とか、「時間あるから筋トレしよう」とか、まあ詰め込んでる。

 

◾︎結果

不安症になる。

常時過緊張の状態に晒されてるわけで、ちょっと不規則な出来事が起きれば対応不能に。

それでも周りを仲間だと思ってれば安心できるけど、見知らぬ場所に放り込まれたら死ぬ。

初対面であがっちまって話せないとか、見知らぬ場所へいくと借りてきた猫化するとかがこれ。

満員電車に耐えきれないし、なんなら周囲に人が多い環境がヤバい。

ちょっとのストレスに過剰反応して、正気を保てなくなる。

 

◾︎パニック障害克服の過程

ちなみにこれ、俺のことだからね。

心理テストの系統でどれをやっても対人不安は出ないし、実際に会話してる人に会話が苦手だと思われることはないんだけど、本人だけが落ち着かないっていう。

パニック障害からも回復してるはずだし、何かがおかしい。

色々考えた結果、過剰に詰め込んでるんじゃないか?と。

不安にならないために、楽しい事を色々と詰め込んでた

ヒマがあれば、スマホゲームやって、心理学を調べたり、本を読んだり、食事を調べたりして、身体に良さそうな運動は全部やって、バラエティ見たり、ラジオ聴いたり、NBA観たり、散々遊んでた。

その結果がこれ。

むしろ「何もない時間から逃げてた」。

無為の時間を過ごしていいんだし、その時間こそが自分の糧となる貴重な時間。

むしろ「無為な時間が必須」と言える。

何もしない時間を作ろう。

そんな焦らなくても生きていけるよ。

 

◾︎まとめ

何もしない時間を作ろう。

ヒマだから楽しい事しようって詰め込んでると、知らず知らずのうちに追い込まれる。

何もしなくていいんだ。

…っつかむしろ何もしない事で道が拓ける。

休め。

上手に。

むしろ「何もするな」。

何もない場所に行って、完全に無為な時間を過ごしてこい。

そして、それを日常化しよう。

意識的に無為な時間を作り、無為な時間を過ごす。

少なくとも週1。

できれば毎日「意識的に何もしない時間を作る」。

この時間は何があろうと全カットすると意図的に決める。

それくらい休憩って重要。

実行するのと同じくらい、もしくはそれ以上の時間を意図的に休憩に回す。

1日4時間程度集中して、それ以外は意図的に落とすくらいでいい。

それくらい貴重なモノだし、それくらい意図して休まないとヤバい。

休憩って超重要。

もっと休憩を意識しましょう。

 

言葉にすると微妙に失われるニュアンス。

 

米津玄師のブログでも書いてあったが、「言葉にした時点で失われるモノがある」。

もっと言うと「言語化した時点で」。

何がどうってのは伝えにくいんだが、ニュアンスが失われる。

 

◾︎言語外の感覚

「ヒマだから何かしよう」とする。

そしたら、とりあえずスマホやネットが浮かんで、それを禁止してるから外に出る事が浮かんで、外に出るのも何処に行くか悩んで、とりあえず決めたそこに行って本当に楽しいのか悩む。

そうこうしてる内になんか面倒になって、家で雑用をしてたりする。

結局、俺は何がしたかったんだろう?的な。

今までならとりあえずスマホ見たり、これからの予定を書き出したり、気になることを書き出したりしてた。

…んだけど、結局それって自分の感情を正確に表してるとは言い難いなと。

 

◾︎こういうのが大量にある

言語化できない大量の情報が。

好みの女性を見た時に「楽しさ」「嬉しさ」「期待感」と同時に、「怖さ」「弱さ」「劣等感」も感じる。

どちらか一方だけじゃなくて、ほぼ必ず全てを感じる。

何回か話していくと、怖さや劣等感が消えていく事もあれば、強まる事もある。

明確に言い切れる事なんてほとんどなくて、必ず安心できる事もなくて、何かをすれば何かの感情が起きる。

これを正確に言語化する事は出来ない。

ほんとに膨大な情報量で、これを正確に把握しようとしたらパンクする。

 

◾︎不確実性を受け入れる

まあ恐ろしく不安定な存在だと。

恐怖はそこらじゅうにあって、期待感もそこらじゅうにある。

自分の体調次第でどっちに転ぶか分かんねーし、相手次第でどっちに転ぶかも分からない。

そういう薄氷の上を歩いてる。

じゃあせめて目に見える、確実に分かる確率が上がる方法を選択していこうって話になる。

 

◾︎そこすら不確実

自分の感情は制御できない。

確率の上がる方法が自分に取って怖い方法かもしれないし、自分に取って向いてる方法かもしれない。

これはもう言語化できるレベルじゃない。

各々に感じるモノがあって、各々の判断がある。

 

◾︎人に対してとやかく言えないという事がようやく分かった

その人が喋る言葉の裏に膨大な情報がある。

自分の思考を全て伝える事はできないし、相手の思考を全て理解することもできない。

ある意味では、言語化してるものは何かが抜け落ちてるとも言える。

正確にその人のその心情を表すものではなく、何かを伝えていて、何かを伝えていない。

もし、それすらも理解したいと感じる相手がいるのなら、それが相性と呼べるモノなんだろう。

 

◾︎まとめ

言語は正確に物事を表さない。

曲がりなりにも言語を操るブログをやってきたお陰で、言語の限界がわかった。

言語で伝えられるのは「表層」であり「文字で伝えられる程度の情報」。

その中で各々に発生する感情という膨大な情報は伝えきれない。

ファッションをカッコいいって感じる感覚とか、音楽を聴いて感じる感情とか、仲のいい友人といる時の感情とか。

そういうのは文字で伝えるのも無理だし、遠隔のコミュニケーションでも難しい。

対面のコミュニケーションでハイタッチしたり、組みあったり、殴り合ったりっていう行動を通した感情表現も含まれるから。

どのくらいの強さでハイタッチして、組み合って、殴り合うのかってのにも情報が乗る。

ネットは確かに便利だが、画面で伝えられる情報量 には限界がある。

そういうニュアンスでもって、気持ちいい、気持ち悪いってなってんのよね。

ま、色々やってみましょう。

合理性なんてクソくらえだし、感情はそんな簡単にコントロールしたり変えられたりしない。

覚悟を決めて、不確実な感情に振り回されながら生きていきましょう♪

 

続・断スマホ

 

これヤベえ。

禁煙と同じくらい効果あるかも。

*現実以外のモノを減らしてる。

本、スマホ、パソコン、テレビ、新聞など、自分の現実と関係ないモノに接触する時間を意識的に減らしてる。

 

◾︎暇な時に「何をするか?」

「今日暇だな〜」とか、「この空き時間どうしようか?」って時。

この時にスマホもパソコンもなかったとしたら?

そう。

外に出るしかない。

「家にいるよりは楽しいだろ」って感じ。

んで、結果的に色んな事をするし、つまんない事も楽しめるようになる。

 

◾︎家と外の択一

凄えシンプルなお話。

家にいるほうが楽しい装置が揃ってたら外に出ないよねっていう。

読書、映画、ゲーム、ネット、テレビなど。

独立の娯楽が成立したら、それ以上に楽しい事がないと外に出なくなる。

社会と隔絶するのは当然と言える。

 

⚫︎強制的に外に出る

家より外の方が楽しい状態になれば、勝手に外に出る。

んで、外に出れば誰かいるし、何かあるし、とりあえず家にいるより楽しい。

なんならもう、家でヒマしてるより仕事してる方が楽しいって状態にする。

実は20年くらい前ってそうだったんだよね。

家に居るより働いてた方が話す人もいるし、遊ぶカネも入るし、むしろ楽しいっていう。

「ヒマだから働く」ってロジックで動いてたし、それで充分だった。

 

◾︎娯楽多すぎ

4年くらい実質ニートやってっけど、娯楽の数がヤバい。

最近だけでも、FateFGOを100時間やってたり、楽天NBAパックを毎日4時間見たりしてる。

洋服だって、ピンタレストやインスタ見てれば本格的なイタリアスタイルが簡単に真似できるから、店舗に行く必要がない。

練りに練って本当に欲しいやつだけ見に行けばいい…んだけど、遠くまで行くの怠いからユニクロで似たスタイルできればいいやって感じになってる。

ヒマ潰しの選択肢が多すぎて、遊びが仕事みたいになってる。

 

◾︎昔はほんと何もなかった。

昼間のテレビなんてつまんねえし、ネットはねえし、ゲームは高い。

スーファミのソフトは8800〜10800円だった。ゲーセンは治安悪すぎ。

学校サボったはいいけど、何もやることがないっていう。

だから、ほんとに疲れてる時は午後から行くけど、基本的につまんねえから学校に行く。

学校行けば、とりあえず誰か居るっていう。

外に行けば誰か居て、家より確実に楽しいから出かける。

これが自然だし、だからこそ社会と関わろうと思う。

 

◾︎まとめ

娯楽多すぎ。

娯楽だけで1日…っつか1年潰せる。

ほっとくと画面に人生を潰される。

意図的に娯楽を絞って外に出よう。

画面の娯楽もいいけど、平穏無事でつまんねえ現実も結構楽しいぞ。

引き続き、スマホとの付き合い方を見直していきたいと思います。

 

 

断スマホを実験中。

 

暇だからって見てたら一日8時間とか見てた。

さすがにどうよ?ってんで減らし始めた感想をば。

 

◾︎注意力

とりあえず、自分がスマホ依存症だってことがハッキリと分かった。

無いと落ち着かねえし、少しの空き時間ですぐに見たくなる。

で、これが普段のどんな場面で出てるか?ってのが本題。

 

⚫︎意味のある事とない事がごっちゃになる

例えば「夕飯どうしようかな?」とする。

その場合、現代人であれば「スマホで調べる」。

一番楽だし、面白い解決策が出るかもしれない。

しかしながら、スマホが無ければ「記憶から探る」。

外食で気になった店に行くかもしれないし、前から記憶に引っかかってるモノを作るかもしれない。

その記憶に頼るor雑でいいってのが重要。

 

⚫︎調べるという事は「いちいち情報量が多い」

要するにいらない情報を大量に引っ張ってくる。

ただ「夕飯をどうしようか悩んでただけ」なのに、Googleさんに訊くと大量の自炊の選択肢と、大量の外食の選択肢が表示される。

スマホがなけりゃ10分以内で終わる程度のことを、検索する事によって1時間以上悩む事になる。

確かに選択肢は広がる。

その後でも、作りたいモノや行きたい店に貢献するかもしれない。

しかしながら、そんなのは必要な時に調べればいいだけ。

その結果、不必要な情報を「浴びるほど見ることになる」。

 

◾︎選択肢が増えるのは良いことなのか?

調べれば調べただけ選択肢が掲示される。

本当に必要な情報ならまだ意味があるだろう。

しかしながら、いらない情報が増えた所で決める手間が増えるだけ。

 

◾︎自前でフィルターをかける

昔って、なんかするのに凄く手間がかかったのよ。

例えば「検索」。

PCを立ち上げるのに5分とかかる上に、待機状態なんてない。

その上「調べても情報があるとは限らない」。

雑誌や口コミのが情報量が多かったくらい。

んで、しかも「その情報が正確性を欠いてる」っていう。

結局、正しいかどうかは行ってみるまで分かんない。

そういう不正確な状態で長いこと過ごしてきた。

今は調べるのも簡単で、正確な情報が手に入る。

その代わり、圧倒的な情報量を処理しなきゃならない。

超疲れるのよこれ。

なもんで、この時にどうでもいい情報を取り捨て選択する必要がある。

だから、基本的にスマホを見ないとする。

んで、不正確な状態で過ごすのを当たり前な状態にする。

その上でどうしても調べないといけない事だけを調べる。

こうする事によって、自分にかかる負荷を減らせる。

 

◾︎手軽に刺激が得られて疲れちゃう

 

 

欧州サッカーやNBAなど。

以前は深夜枠でちょろっと放送する分を食い入るように見てたけど、今や全試合放送する。

そうすると、地元でやってるサッカーやバスケを見なくなる。

刺激が足りないから。

んで、毎日のようにいい試合を見たくなる。

疲れるまで。

つまんなきゃすぐ休憩するけど、面白いから毎日二時間見てたりする。

結果「ものすごく疲れる」。

こういう、お手軽にハイレベルのものを見れるってのは、なんか破綻してる気がする。

過剰なお楽しみを減らして、現実に戻る時が来たんじゃないだろうか?と。

 

◾︎手軽な刺激を求めない

敢えて不便にする事で、昔みたいな活力が湧くんじゃないだろうか?

実際、断スマホを数日やってみて、精神的に余裕が出た感覚がある。

スマホ漬けん時はいっつも疲れてた。

コレ、異常なんだな〜って、ようやく分かったよ。

 

◾︎まとめ

スマホは「過剰な情報量をもたらす」。

どうでも良い事ですら、めちゃくちゃな情報量で迫ってくるんで、選択するだけで疲れちゃう。

その上、本来は手軽に手に入らない刺激が手に入る。

何が?ってのは、もう書ききれないほどある。

その刺激に慣らされると、普段の生活の中で楽しめるはずの刺激が楽しめなくなる。

敢えて不便にする事で全部戻るんじゃない?

っつーことで、断スマホを継続する。

全部一気にやるとキツいから、ゆっくりと見る時間を減らしてく感じで。

かなり効果が期待できそうな予感と体感がある。

 

ま、気軽に手軽にこの刺激が手に入るのは異常だよ。

 

男女間は「性差がウリ」。もちろん「会話」も。

 

巷のアドバイスは「ガチで参考にならん」。

という事で会話編。

 

◾︎男性はアドバイス型、女性は共感型

誰かに相談をするとしよう。

例えば「転職したい」。

男性は「どうやったら就職できるか?」という視点で考え、伝える。

その際、相手の感情はあまり考慮しない。

どうすれば合理的に前に進められて、目的を達成できるのか?

要は、解決するための方法論が上位にくる。

同じ質問を女性に相談した場合。

転職できるかどうかよりも、今何を思ってて、どう感じてるか?ってのが優先される。

要は感情面が最優先される。

今の相手がどうなのか?どういう気分なのか?

それを上向かせるにはどうしたらいいのか?という視点で物事を見る。

…で、モテ論のサイトやブログなんかでは共感トークをしろと言われる。

要は女に合わせろって事。

これが嘘の始まり。

違うんだわ。

男だけじゃ冷たい理論派アドバイスだけになるし、女だけじゃ共感トークで話が前に進まない。

一長一短であって合わせりゃいいってもんじゃない。

 

◾︎一長一短

⚫︎男性

男性は正論と理論を持って前に物事を進めるべくアドバイスをし続ける。

共感とかどうでもいいからマジで。

このブログを見てるような男性社会に順応してるやつは特にそう。

お前が求めているように、解決したいんだ。

問題を。

慰めて欲しいわけじゃない。

こういう場合、男性にアドバイスを求めるのが得策となる。

 

⚫︎女性

女性は感覚と繊細さでもって、感情を満足させる方向に動く。

要は「慰める」。

自分の味方でいてくれて、求めたら受け入れてくれて、ただ大丈夫だよって伝える。

解決しようがしまいが、「いいんだよそれで」って言い続ける。

だから、辛くて現実を受け止めきれない時や、ただ自分の味方でいて欲しいって時は、女性に頼る。

 

◾︎活かし方

もうある程度分かるな?

男性に求めるのは「解決する事」。

あなたが俺に求めてるのも解決する事。

どうやったら解決すんだバカ野郎っていう。

ここでポイントなのは、女性があなたに求めているのも同じだという事。

女性は、共感トークはいつでもできる。

周囲は女ばっかだし、女の周囲にいる男は基本的に女性的。

逆に、信頼できるやつからズバッとアドバイスを貰う機会がない。

必要なだけ毛繕いトークして「大丈夫」って自信をつけて帰るだけ。

だからこそ「あ、こいつは頼りになる(解決してくれる)かも」ってやつに、女性が集まる。

 

女性に求めるのは「慰める事」。

女性には話を聞いて欲しい、共感して欲しい、味方でいて欲しい。

だから、極めて女性的な人には「話を聞いて欲しい」という人が集まる。

男性はアドバイスは容易にもらえる環境にある。

それなりに厳しくても解決してきたやつに話を聞いたりだとか、ケツを叩いてもらったり、引っ張ってもらったりってことが「比較的容易にできる」。

その分、情け容赦ないアドバイス雨あられのように降ってくる。

あれやれ、これやれ、黙ってやれ、なんでできねーんだ的な。

んで、だいたいの場合「折れちゃう」のよ。

男性社会のマッチョルールに順応できない場合は。

そして、女に話し聞いてもらって、慰めてもらって、社会に立ち向かう勇気をもらっていくっていう。

 

◾︎全く逆だから補完関係になる

男性は男性の良さがあり、女性は女性の良さがある。

お互いに自分の持ち味を100%発揮し、足りない部分を補完し合うから、一緒にいる意味がある。

だから合わせに行くと死ぬ。

自分の特徴を活かして、ハッキリと立ち回る方が良い方向に転がる。

 

◾︎まとめ

埋めがたい性差の壁がある。

だが、それがいい

違うものを持ち寄るから意味があるのであり、同じものを持ち寄ったって意味がない。

再三言ってるが合わせに行くと死ぬぞ。

自分の特性を存分に活かす事だけを考えた方がいい。

自分の特徴と、相手に求めるモノをハッキリと出してみよう。

そこに答えがある。

 

できない理由よりも「できる理由」に着目してみよう。

 

不当な自尊心の欠如を認識したやつが陥りがちな罠があったのでご紹介。

 

◾︎できない理由を挙げつらう

自尊心が落ちると「できない理由に着目し始める」。

例えば「女ができない」。

自分はチビデブハゲだから〜的な。

実のところ、できない理由は「誰にでもある」。

背高くて、筋肉質で、知性があって、お洒落で、イケメンで、金持ってるやつなんて、五郎丸かダルビッシュくらいしかいない。

そんなトップ0.000001%を目指さなくても大丈夫だっていう。

 

⚫︎過去歴から「できそうな理由を引っ張ってくる」

何かにつけてできないっていう奴は「認識が歪んでる」。

お前、過去に一度もモテエピソードないの??

なんかこう一個くらいあんだろ。

捻り出してもいいし、脚色してもいいから。

それが一個あったって事は、次に同じ事が起こると考えられる。

ブログでも、誰か1人が面白いと言ってくれたなら、他にも面白いと言ってくれる人がいるという事。

もうベースの考えが「できない理由を探す」に偏ってるんだわ。

そうじゃなくて、今までのお前の人生の引き出しの中からできそうな理由を引っ張ってくる。

 

◾︎自分の可能性を信じる

ちゃんと振り返る。

できるかもしれない目線で。

あ〜あん時は上手くいったな〜とか、あの無茶振りを形にしたんだっけとか、何らかの自信になるエピソードがある。

「なんで忘れてんのそれ?」

一回でもマグレ当たりしてりゃ2回目もマグレ当たりするかもしれない。

上手くいったやり方をなぞるんだ。

上手くいかなかったやり方をなぞってもしゃーない。

 

◾︎成功方法を思い出せ

自分の中にある「いい思い出」を。

何をしたら、どうしたら「上手くいったのか?」。

そして「楽しくなったのか?」。

注目すべきは「こっち」。

失敗した事は活かすべきだが、同じ事をしなければいい。

逆に、成功した事は、もう一度やってみる価値がある。

自分の中の自信を掘り起こそう。

 

◾︎まとめ

できないよりできる理由に着目しよう。

異常に「できない」と感じる場合、冷静に過去を見れてない場合が多い。

平たく言えば認識が歪んでる。

上手くいった事と楽しいことをやればいいんだぞ。

一回でも上手くいったなら、もう一度上手くいく可能性が高くないか?

この辺を認識しましょう。

あなたの過去歴には、目標に繋がる経験が本当にないのか?

できそうな理由はないのか?

 

ぜひ考えて、思い出して欲しい。