暇だからって見てたら一日8時間とか見てた。
さすがにどうよ?ってんで減らし始めた感想をば。
◾︎注意力
とりあえず、自分がスマホ依存症だってことがハッキリと分かった。
無いと落ち着かねえし、少しの空き時間ですぐに見たくなる。
で、これが普段のどんな場面で出てるか?ってのが本題。
⚫︎意味のある事とない事がごっちゃになる
例えば「夕飯どうしようかな?」とする。
その場合、現代人であれば「スマホで調べる」。
一番楽だし、面白い解決策が出るかもしれない。
しかしながら、スマホが無ければ「記憶から探る」。
外食で気になった店に行くかもしれないし、前から記憶に引っかかってるモノを作るかもしれない。
その記憶に頼るor雑でいいってのが重要。
⚫︎調べるという事は「いちいち情報量が多い」
要するにいらない情報を大量に引っ張ってくる。
ただ「夕飯をどうしようか悩んでただけ」なのに、Googleさんに訊くと大量の自炊の選択肢と、大量の外食の選択肢が表示される。
スマホがなけりゃ10分以内で終わる程度のことを、検索する事によって1時間以上悩む事になる。
確かに選択肢は広がる。
その後でも、作りたいモノや行きたい店に貢献するかもしれない。
しかしながら、そんなのは必要な時に調べればいいだけ。
その結果、不必要な情報を「浴びるほど見ることになる」。
◾︎選択肢が増えるのは良いことなのか?
調べれば調べただけ選択肢が掲示される。
本当に必要な情報ならまだ意味があるだろう。
しかしながら、いらない情報が増えた所で決める手間が増えるだけ。
◾︎自前でフィルターをかける
昔って、なんかするのに凄く手間がかかったのよ。
例えば「検索」。
PCを立ち上げるのに5分とかかる上に、待機状態なんてない。
その上「調べても情報があるとは限らない」。
雑誌や口コミのが情報量が多かったくらい。
んで、しかも「その情報が正確性を欠いてる」っていう。
結局、正しいかどうかは行ってみるまで分かんない。
そういう不正確な状態で長いこと過ごしてきた。
今は調べるのも簡単で、正確な情報が手に入る。
その代わり、圧倒的な情報量を処理しなきゃならない。
超疲れるのよこれ。
なもんで、この時にどうでもいい情報を取り捨て選択する必要がある。
だから、基本的にスマホを見ないとする。
んで、不正確な状態で過ごすのを当たり前な状態にする。
その上でどうしても調べないといけない事だけを調べる。
こうする事によって、自分にかかる負荷を減らせる。
◾︎手軽に刺激が得られて疲れちゃう
欧州サッカーやNBAなど。
以前は深夜枠でちょろっと放送する分を食い入るように見てたけど、今や全試合放送する。
そうすると、地元でやってるサッカーやバスケを見なくなる。
刺激が足りないから。
んで、毎日のようにいい試合を見たくなる。
疲れるまで。
つまんなきゃすぐ休憩するけど、面白いから毎日二時間見てたりする。
結果「ものすごく疲れる」。
こういう、お手軽にハイレベルのものを見れるってのは、なんか破綻してる気がする。
過剰なお楽しみを減らして、現実に戻る時が来たんじゃないだろうか?と。
◾︎手軽な刺激を求めない
敢えて不便にする事で、昔みたいな活力が湧くんじゃないだろうか?
実際、断スマホを数日やってみて、精神的に余裕が出た感覚がある。
スマホ漬けん時はいっつも疲れてた。
コレ、異常なんだな〜って、ようやく分かったよ。
◾︎まとめ
スマホは「過剰な情報量をもたらす」。
どうでも良い事ですら、めちゃくちゃな情報量で迫ってくるんで、選択するだけで疲れちゃう。
その上、本来は手軽に手に入らない刺激が手に入る。
何が?ってのは、もう書ききれないほどある。
その刺激に慣らされると、普段の生活の中で楽しめるはずの刺激が楽しめなくなる。
敢えて不便にする事で全部戻るんじゃない?
っつーことで、断スマホを継続する。
全部一気にやるとキツいから、ゆっくりと見る時間を減らしてく感じで。
かなり効果が期待できそうな予感と体感がある。
ま、気軽に手軽にこの刺激が手に入るのは異常だよ。