メモ的なやつ。
役に立つ…かもしれない。
▪メモ
1,人と楽しく話せるくらいの負荷で止める
本読んだり、ネット見たり、バイクでどっか遊びに行ったりと、好きな事ばっかしてると「即過負荷になる」。
疲れて他人と話したくなくなる。
他人と関わりたくないと感じる時は、大体において「超過疲労」。
一日をもっと楽に過ごす。
2,仕事は多少つまんないくらいが丁度いい
面白いからって集中すると、簡単に燃え尽きる。
「やりたくねー」と思いながら、無理しない範囲でやりたくない事をやる。
無理して頑張ると死ぬ。
仕方なくやり、集中力がなくなったら即終わる。
そのくらいが丁度いい。
3,自分の得意、不得意を活かすには「他人が必要」
二つの意味がある。
「得意な事を他人に見つけてもらう」コト。
得意な事ってのは、要は「社会で活躍できるスキル」であり、それは「他人が決めるモノ」。
その人がイケメンかどうか決まるのは「他人から見てイケメンだから」であり、自分でイケメンだと思うからじゃない。
自分で頭が良いから頭が良いのではなく、ある尺度で測ったり、他人から頭が良いと言われ「認められる」から、得意な事だと分かる。
そして、その活かし方も「他人が決める」。
その得意な事を羨ましがる人もいて、その羨ましがる人は「その技能の活かし方を知ってる」。
活かし方を知ってる人と一緒に何かをして「自分の能力を活かしてもらわないと」本当に意味のある形にならない。
得意を知るにも活かすにも他人の力が絶対に必要。
▪社会から求められる「俺像」を思い出した
このブログで書いてるような、神経質でキレやすく、ネガティブな事を言い、的確に急所を抉る俺は「誰にも求められていない」。
むしろ社会生活(学生の頃含む)で求められていた俺は、自信家で、自由で、いつも余裕があって、なんかちょっと変わった面白い事をしてて、なんか口を開けば微妙に笑える一言を言う人。
ミスしてもなんか笑える事を言ってうやむやにし、とりあえず楽しそうに過ごしてる人。
こいつに戻るには、今の日常の負荷が高すぎる。
もっとラクしないと無理。
ちなみに、仕事を始めて分かったが、「フリーの生活は存外に楽しかった」。
バイクで行ける範囲の行きたい場所には好き放題行けるし、図書館行けば面白い本が腐るほどあるし、ネットで見れば興味あるモノを延々と追っていられるし、ユニクロと無印とアウトレットと古着屋を駆使すればあまり金をかけずにファッションを楽しめる。
運動もバスケしてりゃ十分だし、基本的に楽しい事しかない。
やりたい放題で一日を過ごしたら、すぐに潰れる程度には楽しい。
楽しすぎるので、セーブしないと余力がない。
他人と楽しく過ごすには、楽しく過ごすための体力がいる。
ある意味で「つまんない生活」というか、つまんない仕事「も」して、余計な体力を使わずに日常を過ごし、「本当に必要な時に使う体力」を取っておく必要があるのかもしれない。
▪「つまんない仕事」も、一つの選択肢
他に優先するモノがあるのなら、仕事で全てを使わない選択肢もあろう。
俺も同じで、どっちかっつーと「仕事<楽しい事(人)」。
仕事ごときで余分な体力を使いたくない。
出来るだけ簡単で、ラクで、人からありがとうと言われる仕事がしたい。
難しくて、めんどくさくて、人(顧客)と会わない仕事なんざ、つまんなすぎてやってらんない。
最低でも、人からありがとうと直接言われる仕事はしたいね。
誰のために何してるのかがハッキリしてる方がいい。
そんな感じ。
▪…で?
書きたい事だけ書いた。
後悔はしていない。
さあ次の仕事探すか~。