研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

自分の頭で考えない方がいいっぽい。

 

そこでの「評価」は「そこにいる人達が決める」。

やりたい、やりたくないとか、正しい、正しくないとか、効率、非効率とか。

これらは重要ではあるが「そこで必要とされるモノかは分からない」。

そこにはそこのルールがあり、そこの基準がある。

繰り返すが、それを決めるのは「そこにいる人」である。

どんなに正しくても、どんなに効率的でも、そこにいる人に評価されなければ意味がない。

 

◼︎このブログの評価は「読者様の感想で決まる」

このブログで言えば「読んでくれてるあなたが面白いと思うかどうかが全て」である。

俺が面白いと思う渾身の記事を書いたとしても、読者様がつまらないのであればその記事は評価されない。

逆に、俺にとっては大した事ない記事でも、読者様が楽しんでくれるのであればその記事は評価される。

ここで重要なのは、俺がどう思うかではなく、「読者様がどう感じるか」である。

要するに「ここのルールはあなたで決まる」。

キチンと評価される記事を仕事として書き上げたいのであれば、俺が自分の頭で考えた記事を書くよりも、「読者様が読みたいと思う記事を優先してしっかり書き上げる方が重要」。

その結果として、俺がやりたい事と重なっていれば僥倖であるが、そうでない場合で評価(成果)を得たい場合は、読者様の意見が優先される。

なので、俺の考えよりも「読者様の感触の方が上なのである」。

*余談

このブログは俺が好きな事を自由に書き殴るブログとしてスタートしている。

なので、気持ちいい表現とか、気を遣った表現とかはせず、思った事をまんま叩きつけてる。

しかしながら、世に出すブログとしては失格(読む人の事をあまり考えていないという意味で)であり、それゆえに読後感が良いブログではない。

当然ながら荒らしコメントも来るし、さらには基本的に自分の考えを書き殴ってるだけなので、読者様の評価(反応)を気にしていない。

結果として「感情を害する可能性が高い記述になってる」ブログであり「一般社会に出していい表現ではない」です。

ここだけで許される特殊なモノであり、独特な世界となってる事をお見知り置き下さい。

 

◼︎評価は「人が決める」

自分がやった「何か」。

その評価を決めるのは「他人」である。

例えば、挨拶しなくても別に平気だし、雑談も得意じゃないし面倒だから無視して、人と食事にも行かない…としよう。

その行動は「自分基準では問題のないモノ」である。

しかしながら「他人基準では大問題の行動」になる。

挨拶もしない、話もしない、誰とも交流を持たない。

そんなやつが職場にいたとして、こいつと上手くやっていこうと思うだろうか?

大半の人は思わないだろう。

その際「自分がどれだけ雑談するのが嫌なのか?は勘案されない」。

雑談する人が他人から評価されるというだけの話しであり、それ以上でもそれ以下でもない。

ただ「やるかやらないか?」であり、その際の細々した条件や感情は、相手には関係ないのである。

 

◼︎「そこで評価される事」がある

例えば、IT系などであれば、細かい挨拶や雑談など抜きで、仕事が出来ればOKという所もあるだろう。

芸術家などであれば明確に「作品>人間性」であり、社会性が乏しくても優れた作品を創出できれば、細かい事は他人がやってくれる。

逆に、接客業などではスキルよりも人間性の方が重要視され、知識やスキルがめちゃくちゃある事よりも、細やかな気遣いやリラックスした雑談ができる「感情的に気持ちいい人」の方が、同僚やお客様から評価される。

要するに「場所によって求められる事が異なる」。

ある場所で評価されてた事が別の場所では無意味になる事はザラである。

重要なのは「そこの人達に評価される事をする」事であって、「自分の頭で考えた事を実現する事ではない」という事。

練って練って練って出した渾身のアイディアを実現したとしても、そこにいる人達に評価されなければゴミ同然になってしまう。

 

◼︎重要なのは自分ではなく「そこにいる人」

そこにいる人が喜ぶ事をする、そこにいる人から評価される事をする、そこにいる人の役に立つ事をする。

そこにいる人と対話をし、何が評価され、何が必要で、何をすると喜ぶのかを「感じ取る」。

自分の意見ではなく「そこにいる人の意見を優先」し、評価される事をする。

自分がやりたい事という我執が消え、他人の評価に身を委ねてコミュニケーションができた時に、初めてスタートラインに立つのだろうと思う。

 

◼︎まとめ

評価はそこにいる人が決める。

このブログなら「あなた」であり、職場なら職場にいる人であり、それはまた業界によって異なるモノだったりする。

そこで評価される事をするのが重要であって、自分で考えてやりたい事をするのは一切関係ない。

しかしながら、余談で書いた通り、基本的にこのブログは「読者様の評価に合わせて書いていない」。

それは「読者様に合わせると書きたい事が書けなくなるから」であり、我執要素が強く、社会的評価をほぼ無視したブログとなっている。

ある意味で反社的であり、気分を害した誰かに訴えられたりなんだりしてもおかしくないタイプの記事を連発してる。

最近ちょっと個人的に色々あって「社会に合わせにいかないとマズイなと強く感じた」ので、皆さんに評価される記述と表現方法で書く記事を増やしたいと思っています。

 

まあとにかく、この記事の評価というのは「あなたが決める」のである。

書いた俺ではなく「読んでくれたあなたが決める」。

あなたが楽しめればいい記事であり、あなたがつまらなければ悪い記事なのである。

良い悪いは別として、そういうもんなのである。

本来であれば、あなたとガッツリコミュニケーションして、何が良くて、何が悪くて、どうするともっと面白くなるか?とやり取りすべきなんだが、正直それを受け入れるキャパと熱量が今はない。

まあどうあれ「そういうモノ」である。

自分がやりたい事を押し付けるよりも、他人が見たいものを少しでも提供してあげれる人が評価される。

とても当たり前で、とても難しい事。

 

発想を転換していきましょう。