一見フェアなためにあるように見える「ルール」。
遅刻はダメとか、残業はいくつまでとか。
買収はダメとか、ぽっと出で勝ちすぎるとダメとか。
ではその「一番最初はどこから始まるのか?」。
それは「強い人」だ。
◼︎強者がルールを決める
会社であれば社長。
組織であれば代表など。
要するに「トップが結果を出すために最も必要なルールを設けよう」というのが発端。
規則を定めて一定以上のクオリティを担保し、それを守れる人間のみを採用する。
遅刻する人、早退する人、休みすぎる人、問題を起こす人などを「組織から排除」し、ルールを守れる一定以上のクオリティを持った人間を雇うためのルールである。
一般的に部長以上は「管理監督者」となり、残業や休日の規定が無くなる。
経営者と同じような立場となり、結果さえ出せれば素行は問われなくなる。
「雇う人を選ぶ」のが職務規定であり、労働基準法である。
◼︎ルールは守るためにあるのではなく「守らせるためにある」
「管理する人がラク」だから存在する。
或いは「既存の権力を守るためにある」。
過去のライブドア事件とかもそうだし、今のレッドブル予算超過問題でのFIAの裁定も同じ。
強者が、ぽっと出の自分を脅かす存在を許さないためにある。
「ルールを守れ」という人は「強い人に従え」と言っているのに等しいという事。
「は?なんでお前なんかの言うこと聞かなきゃなんねーの?」っていう人は、とても正しい感覚の持ち主である。
◼︎ルールは「表向き」守った方が良い
どんなに納得いかなかろうが、とりあえず表面上はハイハイ言っといた方がいい。
そこに居られなくなるから。
そのためのルールであり、そのために設定しているルールである。
ルールを守れないということは一定のクオリティを担保できないという事であり、経営者からしたら必要ない人なのである。
リクルートとかDUDAでやってるCMはク○の極みであり、あんな理由で転職しても同じ悩みにぶつかるだけで何も解決しない。
とりあえず表向きルールを守り馴染んでる雰囲気を出しながら結果も出して、しかしながら可能な範疇でサボりまくって全く従う気がないという状態が理想である。
ルールは守ると損だが、守らないと雇ってもらえない。
ルールの範疇でサボりまくって、適度に結果も出すのがベストである。
強者の理論に真面目に従う扱いやすい人では損するだけ。
ルールルール言う人とは距離を置いて、グレーゾーンを上手く使う、自分の頭で考える賢い大人になりましょう。