勉強は「社会に合わせる能力を測る指針となる」。
要は、勉強が出来る人=社会性が高い人。
自分の好みに関係なく言われた事をやり、求められてるモノに対して誠実にアプローチし、コツコツとやれる忍耐力がある人。
こういう人は問題を起こさないし、求められた事に対して結果を出すし、真面目に取り組む事が保証されている。
つまり「社会性の高い人であると証明される」。
社会性が高い人(文句言わずに仕事に取り組んで結果を出す人)は、どこの企業でも欲しいので、勉強ができる=需要がある=良い企業に就職できる、となる。
▪︎勉強が出来るとはどういう事か?
1、他人の価値観に合わせられるか?
勉強は別に必要じゃない。
必要とされてるのは「必要とされてるモノに対して真面目にアプローチするかどうか?」。
会社に入って「こんなの必要ないですよ」とか「無駄だなあ」とか「おかしい」と思う事があっても、「全て棚上げして」求められるモノを打ち返す必要がある。
別に俺やお前のルールで社会が動いてる訳じゃない。
「皆んなが必要だと思うモノ」で社会は動いてる。
そこに合わせられる人…つまり「勉強が必要だと言うならやろう」という人が必要とされる。
極論すると、勉強って必要なの?という人は会社にいらない。
そこにはそこのルールがあり、そのルールに合わせられる能力…というか「合わせる努力をする人なのかどうか?」という事が問われる。
その解答としての「勉強」である。
2、忍耐力があるか?
勉強は面白くない。
しかしながら、当然「社会においても面白くない事はたくさんある」。
その面白くないモノに対していかにアプローチし、取り組むか?
面白くないからやらないという理論は個人レベルでは通用するが、社会っつか会社全体のレベルでは通用しない。
面白くない事に取り組める忍耐力があると証明するのが「勉強」。
3、コツコツやれるか?
成績の評価基準。
勉強は積み上げ方式。
要は「一足飛びの解決策はない」。
1+1が分からなければ、連立方程式も分からない。
基礎から応用していかないと分からない。
会社の仕事も同じ。
基礎レベルが分からなければ必要なモノは分からないし、基礎のレベルが理解出来てなければ応用となる全体で必要なモノが分からない。
コツコツやれる人は、基礎から覚えて応用までいけるので、仕事でも結果が出せる。
変な話しほっといても何とかなる。
勉強で結果を出すという事は「コツコツやれる能力の高い人」という証明になる。
▪︎勉強は社会性と能力の証明
「あなたに合わせられます」
「そのルールの中で結果を出します」
という事。
*たまに社会性のない勉強が出来る人もいるが、それはとんでもなく少数派なので今は除外する。
他人の土俵で結果を出せる人=柔軟性がある人はどこに入っても活躍する。
その指針となるのが勉強。
▪︎ちなみに
筆者は勉強が出来なかった。
なんであんな面白くもねー事を、しかも継続的に覚えなきゃならんのかと。
意味ねーじゃん、と。
そりゃそうなのだ。
意味なんてない。
意味があるのは「周りから見て」である。
他人が必要だと思うから意味があって、そのルールの中で結果を出せるから意味があるのである。
そこでは「俺の意見なんて誰も聞いてない」のである。
勉強(学校)というのは、周りが求める事(意味あると思う事)をコツコツ努力して提供出来るか?である。
俺が面白いと思うかどうか?なんてこれっぽっちも関係ないのである。
そしてこれは会社も同じ。
俺が楽しく働けるかなんてどうでも良く、会社のルールに従い、消費者の求めるモノを提供できれば良いのである。
そのためにコツコツやれば結果が出るし、それを無視してやりたい事だけやったらいつまでも結果が出ない。
社会では「必要とされるモノに対して努力する」事。
大事なのは「自分の判断は脇に置いておく」事。
俺が必要な事ではなく、会社が必要だと思ってる事をしないと「結果にはならない」。
そのための勉強、即ち「他人の価値基準での優劣を受け入れる」=「社会性の高さ」となる。
勉強はそれを測る良い指針になる。
▪︎まとめ
勉強=社会性。
要は「他人に基準に合わせて努力し」「結果を出せるかどうか?」。
他人の基準にそれなりに努力して合わせられるやつは、大体どこ行っても大丈夫なのである。
勉強は必要ない。
しかしながら、そいつの社会性を測る良い指針になる事も確か。
社会は、他人と上手くやって、そこで求められる結果を出せば上手く回る。
自分を押し通すやつより、他人の価値基準と上手に付き合えて、波風立てずに結果を出せる人が優れていると判断される。
勉強が出来る人はその資質を持ってる可能性が高いので、社会で評価される。
社会では「自分の価値基準<社会の価値基準」である。
勉強はその資質を測るに良いのではないか?と思った、というお話でした。