当たり前とか普通ってのは「皆んなの感覚で決まる」。
要は「自分じゃない何か」で決まる訳であり、「自分が正しいと思ってる何かが普通な訳じゃない」。
その時代における「普通」に「ついていけなくなった時」に、非常識な人とか、おじさんとか、おばさんと呼ばれるようになる。
では、普通はどう変わっていったのか?をば。
▪︎普通の変換
▪︎2000年代
男は男らしく
意見を言わないやつはキモい
ケンカ上等
夜は無法地帯
ある程度の我慢(つまり理不尽)は当然
馴れ合いより強さ
プライベートより仕事
女性(奥さん含む)に優しくするのは弱い人
など。
割と有名なのは「不倫は文化」である。
*発言自体は96年だが、この頃も(ネタ的に)使われてた。
つか、この頃は「治外法権が存在した」。
それは「夜の街」。
この無法ぶりは凄まじく、横浜や新宿など大都市の終電後はマジで身の危険を感じた。
裏の人達が普通に街を歩いてたし、ぼったくりや恐喝もその辺のカラオケ店レベルであった。
*所謂「ヤカラ」と言われる人達
ちなみに、裏の人達に道でぶつかり難癖つけたらATM直行待ったなしだった、という実話がある時代。
今で言う、旧世代的な価値観がメインであり、自分の身は自分で守る時代だった。
▪︎2010年代
男らしさより弱さ
意見は相手から聞き出すモノ
ケンカは場合による
夜の街一斉摘発で闇全体の健全化
理不尽はなんとかしてやり返そう(カメラ撮影とか社内通告を使って)とするのが正義
強さより、人と上手くやれる能力
仕事とプライベートは半々
かかあ天下の方が好ましい
女はむしろ強い
など。
00年カウンターカルチャ的な…っつか、ネット時代突入で隠しておけなくなった数々が露呈し始めた時代。
強さ一辺倒で誤魔化せた時代の終焉と言ってもいい。
だいぶ変化してきたのが分かるだろう。
▪︎2020年代
男らしさより誰とでも対話できる頭脳や柔軟性
意見は「汲み取る」のが優秀な人
ケンカはダメ絶対(特に殴り合い)
夜と昼の境目がほぼ無くなる
理不尽な人は干される
ケンカする人より、上手くやれるコミュニケーション能力が高い人が凄い
男女関係なく優しい人がモテる人
男女差はほぼない
など。
「人と上手くやれる能力」が重視されるようになった。
よりマイルドな方向へ進化。
要は、吉野家のあれとか、ウィルスミスのそれとかが全く支持されない時代になった。
00年代であれば、あれは「男らしい」としてむしろ評価された。
吉野家のあれは男性的で高圧的なジョークとして男性からは支持されただろう(女性からは今と同じで非難殺到だが)し、ウィルスミスも言われっぱなしで黙っていなかった漢気が支持されたのは間違いない。
むしろ何もしない方が、男らしくない、キモいとすら言われただろうと思う。
しかし、現在では「非難の対象となる」。
お分かりだろうか?
時代と共に変化していった「普通」を。
良し悪しではなく「今の常識がそれ」だという事。
これに対応した人が常識的な社会的な人であって、非対応な人は常識のない人or時代遅れな人とされる。
▪︎良し悪しは「外が決める」
常識は皆んなが決める。
「自分ではなく」だ。
今の常識は今の人達の感覚で決まるので、それに合わせるしかない。
皆んなの感覚的な常識を守れる人が社会的な人である。
裏ではある程度何やっても構わないし、自分の感覚を大事にするほうがいい。
しかしながら、外での常識を決めるのは「皆んな」である。
判断基準が外にあるという事を意識してるかどうか?で、常識力が変わってくるだろう。
▪︎外では自分より「人」
人からどう見えるかどうか?が重要。
人から見て話しやすい人であり、常識がある=ルールを守れる人であり、気持ちいい人である事が重要。
自分が何をしたかろうとも、その向こうにいる人からどう見えるか?というのを意識する必要がある。
▪︎「今」に合わせる
筆者自身は00年代の影響が強くあり、ソロ思考、放任思考、無法地帯が当たり前思考。
しかしながら、今の時代にそれを出すと非常識な人となる。
自分がどう感じようとも、「今のやり方」で表出する必要がある。
「自分で考えろよ」と思っても、相手の意見を聞いた上でいくつかの提案を返したり、「こいつ殴りてえ」と思っても、理詰めで追い込むなり、適当にあしらうなりして、回りくどい対応をする必要がある。
要は「社会的に求められている対応が出来る人」が評価される。
もっと言えばそこで生きていける。
今の時代、00年代以前の感覚でハラスメントしたら即死亡。
*というか葬れる手段がある
社会では「今に対応する人」が優秀な人。
▪︎まとめ
自分は自分、しかし「社会は社会」である。
好きであろうがなかろうが、自分と関係ないところで常識というのは決まる。
それはそれ。
これはこれ。
社会においては、社会という村の規範に応じた対応をしましょう。
好きなモノは好きでいいが、それを声高に言う場面かどうか?という事。
個人レベルでは気持ち良さ重視でルールなどどうでも良い(相手さえ納得してればいい)が、社会レベルでは社会の規範優先。
賢く使い分けていきましょう。