人は、人への判断を「感情でする」。
正しいか?よりも「感情的にどう感じたか?」。
正しい配慮…即ち「尊敬」があり、それに準じた振る舞いをすれば「納得」する。
事実がどうであるとか、システム的に正しいかよりも、「感情的に納得できるかどうか?」。
ここにポイントがある。
◾︎人を優先したいなら「感情優先」
人付き合いを上手くしたい、仲良くなりたいという場合。
つまり「人と上手くやる必要がある場合」。
この時は「感情優先」で。
相手の気分を損なわないように細心の注意を払い、言い回しを考え、相手を立てる事を忘れず、相手のやり方に従う。
そういう尊敬というか「配慮」をし、常に相手の事を敬うような対応をする。
相手が白と言えばとりあえず白で乗っかり、黒といえばとりあえず黒で乗っかる。
とにかく「感情に配慮」する。
◾︎結果を出したいなら「システムで判断」
感情的に正しいコトは、多くの場合「正しくない」。
運動しないデブは不健康で、モテないし、判断力も低いし、能力に劣る場合が多い。
大体の低所得者は、選択肢が狭く、地頭が悪い=自分で調べて行動する資質に欠ける場合が多い。
そして、荒らしコメント(建設的な批判ではなく)を書き込むやつは大体の場合「人生が上手くいってない」。
事実は事実として受け止める必要がある。
では、その「現実を変えるためにはどうするか?」というと「現実と向かい合う事でしか解決できない」。
所得や健康を改善するためには「運動する」「勉強する」「行動する」つまり「今の状況を変えるために動く」。
感情的に気持ちいい事ばかりしていても、それを聞いていても「事実は事実で変わらない」。
宗教に慰められようが、心理学者に気持ち良くしてもらおうが「現実は現実」。
どんなに口当たりのいい言葉でも「目の前のそれは変わらない」のだ。
俺が現状低所得者である事は疑いの余地はなく「この現実を見据えて行動するコトでしか変わらない」。
だから次の職を探し、どうすれば上手くいくか考え、行動している。
酒を飲んだくれて遊んでれば高収入になるなんてコトはあり得ないのだよ。
「現実は現実であり」「行動を変えるコトでしか変えられない」。
しかしながら、それを他人に言うと「自分は違う」「弱者をいじめるな」「感情を害した」とかいう反応が返ってくる(やつがいる)。
それはそれで構わない。
ただ、俺に文句を言ったところで「お前の現実は変わらない」のだよ。
お前に自分の家族があって、高収入な仕事をし、幸せであるなら、俺に文句言う事で暇つぶしくらいにはなるだろう。
しかしながら、何らかの不満があるならば「今の行動を変える事でしか解決しない」。
どんなに耳障りの良い事を聞こうが、異性に慰められようが、どんだけ気持ちのいい事を聞こうとも、「行動しなければ現実は変わらない」。
ただひとつ「この一点を理解しているかどうか?」こそが、現実との境目を分かつ壁を超える力となる。
◾︎「事実」は「気分を害するモノが多い」
上記のような事を書くと、見た人は「気分を害する」だろう。
もし、あなたの気分を害さないように説明するならば、あなたの現状を聞き、あなたの立場に立って「じゃあこれを変えたらこう変わるけどどうだろう?」と「提案する」とは思う。
んで、変えないなら、面倒だから二回は言わない。
しかしながら「事実は事実」なのである。
モテるためには行動するしかなく、仕事をしたいなら行動するしかないのである。
このブログでは、人に気に入られるよりも、徹底して「事実を書く」という事をやっている。
実際の人とのコミュニケーションではこんな言い方はしないし、相手に配慮した伝え方をする。
それは俺とコミュニケーションした人は分かっていると思う。
それを差し引いても、事実は事実なのである。
遺伝で50%以上の能力が決まり、性格も決まるのである。
重要なのは「それを踏まえた上でどうするか?」であり、現実を否定して行動しない事ではない。
◾︎それでも、人と上手くやりたいなら「感情に配慮しよう」
これもまた「事実」である。
対人関係において「人を怒らせて良いことはほぼない」。
すげームカつくこと言われて煽り返す時くらいしかない。
ヒラの状態で喧嘩売っても会話不能になるだけで、ほぼ意味がない。
むしろ「相手といい関係を築き」「こちらの主張を聞いてもらいやすくする」方が、どう考えても有益。
感情にとって有益であれば、ある意味で「事実を捻じ曲げる」のも選択肢に入るレベル。
しかしながら、先程から言ってる通り「事実は事実」である。
糖尿病の改善は「食生活を改善するしかない」のであり、今の状況が良くないのは「行動していないから」である。
「それをどう穏便に伝えるか?」こそが頭を使う部分であり、工夫するに足る「対人スキル」となる。
感情を端折った事実はそれとして受け止めつつ、分かった上で感情に配慮した言い方をしましょう。
▪相手が言っても分かんねえやつだと思った時の選択肢
まずは「それ以上言わない」。
そいつが上手くいかないのは「そいつの責任である」。
俺がそいつの分まで背負う事はできないし、その必要もない。
言っても分からず、伝わらず、改善されないのであれば「そいつはそういうやつ」という事である。
それでも「そいつと一緒にいたいと思うのか?」。
それを上回る長所があれば全然苦じゃないだろう。
それを選ぶのは「こちらの責任」である。
何もかも相手のせいにすることなく、自分で出来る事は自分でやりましょう。
ちなみに、俺が個人的にコミュニケーション取ってる人達は、「長所が上回って」ます。
別に俺の言うことなんざ聞こうが聞くまいがどっちでも良くて、「俺が面白いと思い」「俺がコミュニケーションしたいと思う」から、付き合ってる人達です。
向こうがどう思ってるかは分からないが、少なくとも「俺が決められる範囲においては」文句なしでコミュニケーションしたい人達であり、それはおそらく今後も変わらないです。
◾︎まとめ
人は「感情で判断する」。
しかしながら、感情が正しいとは限らない。
むしろ「間違っていることが多い」。
では「現実はどうか?」。
苦い事の方が多く、感情を害する事の方が多い。
しかしながら「耳障りの良い言葉では現実は変わらない」。
現実が変わるのは「行動した時だけ」。
それを理解してるかどうか?こそが壁を分かつ。
相手が変わらねえ奴だと思った時の対処方法は二つ。
「それ以上言わない」。
改善しようがしまいが「そいつの責任」であり、自分が負える責任ではない。
そして「それでも一緒にいたいと思うか?」。
変わらなくても良くて、むしろ「変わらない方がいい」とすら思える人。
俺は個人的に友人に変わった方がいいとは思わないし、むしろ変わらなくていい。
だって「それが面白くてコミュニケーションしてる」のに、何でも変えてったら非常につまらない事になる。
変えた方がラクになる、より良くなると思う事に関してはアドバイスするが、やるかどうかは相手に任せる。
俺は俺の責任において友人とコミュニケーションしたいからしてるだけ。
相手がどう思ってるかは知らんというか「分からん」。
「相手は相手の想いがある」。
それは俺が関与できる事ではない。
その判断は「感情的」であるだろう。
俺がそうであるように。
「人は感情で判断する」。
そんな感じで。