社会で人と上手くやっていく上で重要なのは「相手が望むモノを提供できるかどうか?」だと思う、今日この頃。
▪相手が自分に求めるモノを提供する
例えば、新人が入ってきた、とする。
そこで求められるのは、誰よりも低姿勢で、いつも挨拶をし、何言われてもとりあえず受け入れて笑って過ごし、言われたことは一回で覚える。
そういう模範的な新人像を体現すれば、とりあえずは「好ましく映る」だろう。
そこで求められているのは「俺ではなく」、「相手にとって都合の良い人材」。
つまり「自分が何をしたいか?」よりも、「相手が何を求めているのか?」。
要するに「自分の頭で考える必要はない」。
▪自分の頭で考えずに合わせる方がいい
相手が白と言ったら白に合わせる。
相手が黒と言ったら黒に合わせる。
逆の方が間違いなく効率的で正しいとしても、そこでその人間と上手くやりたいのであれば合わせた方がいい。
怒られたら、俺が悪くなくても謝罪する。
どんなに間違っている事でも相手に合わせる。
そこにはそこのルールと判断があり、一般社会でどう感じようが関係ない。
その場で、その状況で、相手に求められたことを正しく打ち返す。
必要とされてるのは、俺がどう思うか?ではなく「相手が期待してる答え」だ。
▪多数が求める答えを打ち返せたら人気者
今の時代に、この場所(ここだとネット)で、多くの人が求めるコンテンツを提供できる人。
自分がしたい何かじゃなくて、相手が見たいと思ってる何か。
相手の何かに応えれば支持されて、それが仕事になる。
▪このブログは「俺がやりたい事が主で」「求める答えを打ち返そうと思っていない」
俺が書きたいことを書いてる。
思い付きで、その時に感じた事を。
読者の期待に応えようとは微塵も思ってない。
「読んでくれるのはありがたいし、嬉しい」。
…が、だからと言って自分が書きたいことを曲げてまで期待に応えようとは思っていない。
だから楽しいし、続くし、また書こうと思える。
そんな場所だからこそ、文句を言いたい輩も来るし、色々な意見も来るのだろう。
繰り返すが、ここは「俺の場所」であり「俺が書きたいように書いてる」。
あなたの期待に応えるような事は何もなく、純度100%の俺のわがままで構成されている。
それが凄くラクで楽しい。
社会のように、俺があなたの求めるモノに応えようとすれば、非常に苦しいモノになる。
俺のごく個人的な空間に付き合ってくれてる読者様は奇特としか思えないレベルである。
正直な話し、これからも読んでくれとは言わないし、不快なら去ってくれていい。
それくらいプライベートに近い空間であり、独白に近い内容でやってるという事はご承知おきください。
▪社会は「求められる何かに応えれば生きていける」
そこで求められるモノに応える。
カネを得るためにしてる仕事にしろ、そうでないモノにしろ、その場で求められるモノさえ提供できれば生きれる。
一年目に求められるモノ、二年目に求められるモノ、三年目に求められるモノ。
年下に求められるモノ、年上に求められるモノ、下っ端に求められるモノ、〇〇長に求められるモノ。
雰囲気で求められる、体育会系のノリ、文科系のノリ、などなど。
自分の意見など必要なく、ただその場で求められるモノを提供し続けるだけで生きていける。
「自分の頭で考えるよりも、その場で求められる何かに応えるほうが優先順位が高い」。
人と何かをやるという事は「自分より他人を上に置く」という事なのだろう。
…ただ、それが正しいかどうかも考える必要はない。
「目の前の人間が求めている事を丁寧に打ち返す」。
それだけを考えていれば、社会では上手くやっていけるはず。
このブログは真逆なんだけどね。
それはそれ、これはこれ。
俺自身がやってて楽しい趣味としての存在価値がこのブログにはある。
自分と他人のバランスを取りながらやっていきましょう。
ただ、他人と上手くやりたいなら「他人が求める事を打ち返しましょう」。
最後に「あなたはおそらく俺を求めてはいないだろう」。
イラつくこともあれば、当たりハズレもあるだろう。
ここはそういう場所です。
芸能人のように職業としてあなたを楽しませるために書いているわけではなく、単純に俺が書きたいから書いてるだけの場所。
最早、ほぼオ〇ニーと言っても差し支えなかろう。
役に立つ情報が欲しい、楽しいのが見たいのであれば、他の事に時間を使う事をオススメします。
マジで。
ここまで読んでくれた奇特な方がいましたら、ありがとうございました。