アルピー平子とかが最右翼。
重要なのは「自分の気持ちと相手の気持ちは別」という事。
自分がいくら相手を好きでも、相手が自分をどう思っているかは分からない。
ここで根幹の問題が見えてくる。
▪愛妻家は「自分が相手を好き」としか言ってない
つまり「相手がどうなのか?」という視点がない。
本来ならば「相手から」好き、カッコいい、一緒にいて楽しい、気持ちいいなどの言葉や態度でもって、初めて相手の好意を判断できる。
「その上で」好きと言っているわけではないという事。
ただ「自分が」相手を大事にしてると思ってる。
「相手はそう思っていないかもしれないのに」。
▪好きだから何をしてもいいわけではない
よく「自分が好きなら何してもいい」と思ってるやつがいる。
それ「相手が我慢してるだけ」だよ。
相手の都合も顧みずに予定を決めたり、無理に実行したりする。
突然会いたいとか、3日会わないと我慢できないとか、ああいうやつ。
繰り返すが「相手が我慢してるだけ」。
それは好きではなく、単なるわがままにすぎない。
▪好き=相手に対して犠牲を払えるコト
相手を好きだという事は「そいつに快適な環境を提供するために犠牲を払える」という事。
相手が話したい時に話し、相手がいい都合の時に会う。
相手が好きなモノをプレゼントし、相手が好きな場所へ行く。
自分が話したい時や会いたい時でも、キチンと相手の予定や状況を確認し、無理のない範囲で提案し、相手に選択肢をゆだね確認をする。
「それらを無理のない範囲で行う」。
とにかく、相手が不快に思わない範囲で調整し、自分が不快に思わないくらいの譲歩でとどめる。
先述したが、相手が何かしてくれない、何かをして欲しいと求め続けるのは、好きではなく「単なるわがまま」である。
本当に相手が好きならば、相手が不快に思う事をせず、できるだけ気持ち良く過ごせるように気を遣い、行動してあげる事である。
それが本来の意味での「優しさ」であり「気遣い」である。
うわべの優しさなんざ優しさではなく、あってもなくても構わない程度の単なる「やりとり」でしかない。
▪自称愛妻家は「相手から好かれているのか?」
奥さんから好きと言われているのか?
奥さんは我慢をしていないのか?
「奥さんは自称愛妻家と一緒にいて楽しい人生を送れているのか?」
自称愛妻家は自分の気持ちばかりで相手の気持ちを言う事がない。
離婚すんじゃねえかな?と思う。
▪まとめ
自分の気持ち≠相手の気持ち。
相手から「好き」「一緒にいて楽しい」「気持ちいい」などの言葉や態度がもらえて、初めて相手の好意を判断できる。
好きだからと言って何してもいいわけじゃない。
無理してる分は「相手が我慢してるだけ」。
好き=相手が快適に過ごせる環境を提供するコト
こいつのために犠牲を払えないと思うなら、そいつと一緒にいない方がいい。
最後にこの記事の重要なポイントを。
自分がどう思うかではない。
「相手がどう思うか?」だ。
それは、相手が快適で気持ち良く過ごせ、相手から好きだと言ってもらえて初めて分かる事。
さて、あなたは大事な人に「どう思われていますか?」。
好きだと言ってもらえるなら幸い。
答えられないなら、それはどう思ってるか分からないという事。
それは自分だけの思い込みであり、早急に相手に確認してみると良い。
そのコミュニケーションができないなら、早晩別れることになるだろう。
現実をしっかり見ましょう。
では。