他人を肯定的に捉えるから、他人からも肯定されるんじゃないか?と。
◾︎自分の振る舞いが変わる
肯定的に見てる人と、肯定的に見てない人では、当然ながら「全然違う対応になる」。
肯定的に見ていれば、受け入れたり、受け止めたりした返答になる。
しかしながら、否定的であれば、攻撃的だったり、無視したり、意見を否定する返答になる。
同様に、他人を信用していなければ、信用していない振る舞いになる。
何を言われても特に気にせず、感情は無視して事実上のメリットデメリットだけで判断するようになる。
その人を信用していれば、損得よりも感情を優先できる。
そのように「自分が他人(というよりその相手)に対してどう思っているか?」が、そのまま相手への情報として発信される。
◾︎肯定できない人は当然いる
何こいつ?という人はいる。
新しい場所に行っていきなりその人を信用しろと言っても無理だし、理不尽に怒られた相手に対して寛容になれというのも無理。
心を開いていない相手には当然そういう振る舞いになる。
それはそれで当然の事で、肯定を強要されるのはハラスメント行為だし、そういう相手を信用できるようにはならない。
人を肯定すれば振る舞いは変わるが、無理に肯定する必要はないと筆者は考える。
ヤマダ電機では肯定を強要されたが、そんな上っ面な協力関係なんざヘドが出るし、嘘ついてて辛いだけ。
話したくない人とは話したくないし、やりたくない仕事はやりたくない。
我慢して我慢してやるより、ハッキリ態度に出してやる方が良いし、それが受け入れられる環境が良い。
ユニー(昔の職場)では、やりたくない仕事は、皆でやりたくね〜と言いながらやってたし、面倒な仕事は面倒だという態度を出しながらもやってた。
感情に嘘はつかず、それでもやると決めてやってたから辛くなかった。
肯定をできればしていこうという感じで。
◾︎肯定できる人が相性の良い人
話してて「この人良い」「信用できる」「面白い」など、ポジティブな感情が起こる人が相性の良い人。
自然に肯定できる人というのがいる。
そういう人が相性の良い人。
なんだかな〜と思いながら肯定していても、結局のところ自分を騙してるだけで、相手には伝わってる。
気に入らないモノは気に入らないし、つまらないモノはつまらない。
結局はバレるんだから、嘘をつかないで生きる勇気を持って、それが許される場所を見つけたいと思う。
▪追記。「相手がどう思うかは分からない」。
今までの意見は「自分としては」という事。
自分が肯定できる相手でも、相手から見た自分はそうではないかもしれない。
相手は相手の気持ちがある。
それはそれ。
しかしながら、自分が気持ち良くいられる相手が希少なことに変わりはない。
「自分にとって」相性のいい相手である。
相手の気持ちはまた別。
無条件で上手くいくという事ではないのでご注意ください。
◾︎まとめ
人を肯定すれば、人からも肯定される。
それは自分の振る舞いが変わるから。
しかしながら、肯定できない人は当然いる。
俺個人としては、肯定できない事を肯定する必要はないと思う。
嘘をつかず、それでもやると決めたらやればいい。
嘘を強要されたら断る方が良い。
苦しいのに苦しくないと思っても、実際は苦しいわけで。
感情は自分にとっての現実なので、歪めずにストレートに受け取る必要がある。
感情に素直に生きよう。
どうせバレるし、感情的に気持ち良く一緒にいられる人や、仕事をした方が確実に良い。
嘘つくぶんだけ遠ざかると思う。
気持ちいいコトをしよう。
そのために行動しよう。
そのために必要な我慢は甘んじて受け入れよう。
そのために必要な努力も受け入れよう。
気持ちいいコトのために労力をかけよう。