研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

自分の振る舞いは「使い分ける」。

 

先輩といる時は、先輩といる振る舞いを。

後輩といる時は、後輩といる振る舞いを。

女性といる時は、女性といる振る舞いを。

子供といる時は、子供といる振る舞いをする。

TPOに合わせた振る舞いをする。

それは即ちその場所でベストな振る舞いをするという事。

 

◾︎振る舞い=礼儀

その時々で、そこにいる人達に失礼のない振る舞いをする。

社会状況でも同じ。

遊びで集まってる時はそういう振る舞いを。

仕事で集まってる時はそういう振る舞いをする。

仕事で集まってるのに、いきなり口説き出したら「何こいつ?」となる。

逆に、遊びで集まってるのに、仕事もかくやというほどガチガチ丁寧でも敬遠される。

遊びは遊びで「楽しく」なるように振る舞う。

仕事は仕事で「協力して」「結果が出る」ように振る舞う。

求めるものも、求められるものも違う。

「その場所にあった振る舞いが必要」。

それが「礼儀」であり、一種の「ルール」とも言える。

 

◾︎使い分けられない人=空気が読めない人

*良し悪しは別。空気が読めないからこそ出来る事もある。あくまでも記号としての表現。

空気が読めない人。

堀江貴文氏が会見でスーツを着なかったような感じ。

社会、即ち「そこにいる人」から何を求められていて、何を応えなければならないのかが理解できない。

そうすると「何あいつ?」となる。

それ以外の事を完璧にやっていても、その部分でケチがつく。

 

◾︎求められるものに応えられる場所が「適性ポジション」

例えば「芸術家」。

求められるのは「強烈な作品」、もしくは「感情を揺さぶる作品」。

例えば、空気が読めない人がいるとしよう。

その人は、芸術系においては自由な作風と強いこだわりで、強烈な作品を作るかもしれない。

周りと馴れ合えないからこそ、痛烈で偏った作品が生まれる。

空気が読める人がいるとしよう。

その人は、人と接する事が向いていて、特に自由裁量で対応が決められるような事に適性があるだろう。

これらは「特性」。

求められるものに応えられる場所へ行こう。

 

◾︎まとめ

自分の振る舞いは使い分ける。

誰といるか?

どの状況にいるか?

即ち、そこで何を求められているのか?

その場所にあった振る舞いをする。

それが「そこにいる人に対する礼儀」。

…まあ、できないならできないで他の事をしよう。

普通の人は振る舞いを使い分けてるよ、という事で。

単一のキャラや方法で押し通そうとするのは不可能であり、不可能であるならそれに合った場所へ行こう。

そんな感じで。