「好きな事をしよう」の、逆提案。
◾︎「嫌な事を止める」のと「好きな事をする」って一緒じゃね?
アプローチの違い。
⚫︎好きな事
好きな事って、要するに自分に取って快適な事なのよ。
暇な時間があればついやっちゃうくらい好きで、自分に取って息抜きになるレベルでやれる事。
全然辛くなくて、むしろやらないと落ち着かないレベルのコト。
⚫︎嫌いな事
嫌いな事=快適じゃない事。
やってるとなんか嫌な気持ちになって、頑張らないと達成できないもの。
嫌だけどやれなきゃとか、嫌だけど役に立つからやろうとかがこれ。
⚫︎嫌なことを止めると快適な事が見つかる
自分の生活の中で嫌なことを全部やめて残ってるものが快適なもの。
例えば、筋トレメンドくせえと思ったら止めちゃう。
んで、次に行きたくなるタイミングだったり、次もまたやりたくなる量が、自分にとって快適な運動量。
それでも行きたくないなら筋トレに向いてない。
んで、次に行く。
山登りは快適かもしれないし、ランニングは快適かもしれない。
そこで残ったモノこそが「自分にとって快適なもの」。
即ち、好きなモノだ。
◾︎嫌な事をやってる=好きな事をしてない
まさかの表裏一体。
自分の感覚に正直になって、嫌な事をやめてみよう。
正確に言えば、止める勇気を持とう。
⚫︎止める勇気
「目標を達成したい」「ここまでやったんだし」「〇〇しなきゃ」ってやつには、とても難しい。
なぜなら、それら全てを手放す事になるから。
嫌な事をやめたら目標は達成できないし、今までの経験は無駄になるし、常識を振りかざすやつは敵になる。
目標に向かってる途中でも「嫌なら止める」。
どんなに経験を積んだ事でも「嫌なら止める」。
どんなに常識的な事やルールであっても「嫌ならやらない」。
これらは非常に難しい。
しかも、真面目なやつほど抜け出せない。
幸いにして俺は自己中なので、嫌なやつには嫌だと言うし、常識のルールを尊重する気は無い。
しかしながら、ここを見てる真面目な方々は、相当に抜け出すのが難しいし、心理的な抵抗があると思う。
◾︎オススメはするが強制はしない
そっち側にいた方が「おそらく楽」。
常識に従って、ルールを守って、真面目に生活をする。
そこには、辛さがある代わりに「安全」がある。
常識の外に出るという事は、自分で責任を持つという事。
自分の意思で外に出て、そのリスクを許容するならば良い。
しかしながら、誰かに唆されて外に出たとしたら、そのリスクを許容できない。
嫌な事をしないという事が一つの壁になってるのは、その勇気を試されるから。
勇気がないなら囲いの中にいた方が安全で楽しく過ごせるし、勇気があるなら囲いの外で自由に過ごす方が楽しい。
それも自分の選択であり、自分の性格。
自分がいいと思う方を選択して欲しい。
◾︎まとめ
…面倒い。
1つ上の段落で上手くまとめたから、まとめの項目はオマケで。
このブログも、好きに書き殴るようになってからアクセスが増えた。
俺の感性で俺が好きな事をし、俺が嫌いな事をしなくなって(減らして)から良くなった。
ちなみに、この壁を破るまで3年かかった。
出来る人はすぐ出来るんだろう。
これだけの年数がかかった俺に、こっち側で過ごせる適性があるとは言い難い。
…が、今の方が「気持ちが楽」であり、嫌な事が少ない。
つまりは「快適」であり、これ即ち好きな事。
まあやれるだけやってみるわ〜。
こっち側に来るなら歓迎するしオススメするが、強制はしない。
来るなら自分の意思で来い。
それが「切符」だ。