人間は何か不完全なモノに感情が起きるんじゃないか?と。
◾︎道具として正しい事と、感情的に欲しいと思う事が「違う」
バイクとかクルマなんかが代表的なんだけど、「道具として正しいモノ」ってのは、「欲しいとは思わない」んだよね。
クルマを道具として見ると、正しいのは「ワンボックス」。
セレナやステップワゴンなんかがそれ。
*日産セレナ
人数が乗れて、背が高いため運転姿勢がラクで、視界性が良く、車体の見切りがいいので運転しやすい。
さらに、そこそこの燃費と居住性と価格の両立。
道具としては非常に正しい。
しかしながら、欲しいとは思わない。
⚫︎感情的に欲しいクルマ
感情的に乗ってみたい、買いたいと思うのは、今年のワールドデザイン賞を獲った「MAZDA3ファストバック」。
このデザイン故に後方の視界性が悪く、背が低く運転時の視界が低いため、情報を拾いにくく疲れやすい。
人数もあまり乗れないし、燃費もあまり良くない。
つまり、道具としてはあまり正しくない。
でも「欲しい」。
凄くカッコいい。
不便なのに。
この不均衡というか、合理性のないところに答えがある感じ。
◾︎不完全な魅力
どこか不完全というか、足りないモノがある方が魅力的なんじゃないか?と。
そして、道具だけじゃなく、人もそうなんじゃないか?と。
周りを見ててもダメンズの方がモテるし、実体験としても足りない部分を棚に上げて女に寄りかかってる時の方がモテるというか反応が良く、助けてもらえる。
個人的にはダメンズを受け付けないため、親しい友人には存在しない(キチンと自立し、自活し、あまり人に寄りかからない友人しかいない)。
…が、教えた事を3回も聞けばほぼマスターし自発的に上達し始める友人達より、10回言っても分かんねーやつが伸びてきた時の方が感情が動くのは分かる。
一緒にいるのは面倒だが、感情は動く。
*厳密に言えば上達の度合いが違いすぎて、理解力や状況に共感できないため、一緒に遊ぶと楽しくないが。
極端だが、ダメな子供の方が楽し…くもねーな。
1回か2回でマスターしてく物覚えの早い子供と一緒にいるとめちゃくちゃ楽しい。
あれ?ブレてきたな。
最初はできないけど、教えるとできるやつと一緒にいると楽しい。
さておき。
「今現在足りないモノがある人」の方が、完璧にできる人よりも魅力がある。
◾︎結果を求めるのか?楽しさを求めるのか?
結果を求めるなら「正しくある必要がある」。
今現在最も完璧で正しい事をした人が、正しい結果を手にする。
これは問答無用の「現実」。
「1+1=2」であり、正しい物事の積み重ねでしか結果には辿り着かない
しかしながら「楽しくない」。
もっと雑で、不完全な「適当さ」の中に楽しさはある。
例えばファッションでは、機能性のカケラもない「スーツ」がカッコいいとされる。
最もカッコいいスーツとは、糸が細く弱く、収納に気を使い、水洗いもできないような、super200以上の糸を使った素材が高級スーツに使われる。
サイズはジャストサイズで、手を挙げると肩が苦しいくらいのサイズ感。
白シャツは白をキープするのが大変だし、革靴がスニーカーに勝ってる部分なぞ1つもない。
ネクタイは首が絞まるだけで見た目以上の価値はない。
コートも保温性はダウンに劣りまくる。
何一つ良い所がないのに「カッコいい」。
「楽しい」ってのはそういうモノなんじゃないか?と思う。
意味のない事に意味があるというか。
あまりに不必要なモノを極めるのもなんだけど、あまりにも正しいモノだけにこだわるのも何か違うんじゃないかと思う。
◾︎まとめ
「正しい物事」が、感情的にも正しいとは限らない。
むしろちょっと不完全で、軽く合理性に欠けるモノの方が感情が動く。
まあバランスですな。
正しい事をしつつ、同時に楽しい事もしていきましょう。