最近、読者様と絡んで分かった事がある。
「俺が思う」読者様との理想のやり方ってのがある。
要は、読者を敬い、ありがたく感じ、それを表現し、絡む。
「それを制限してるから」気持ちが悪い。
んで、人と絡みたくなくなる。
その辺の心理的動きなんかを。
◾︎気持ち
「心の動き」。
これが面白い方向に進む。
ブログを例に出そう。
読者様ともっと密に絡みたい→
読者様はそうでもない→
寂しい気持ちになる→
丁度いい距離感に戻す→
俺の心が満たされない→
あんまり人と絡みたくない
という順番で進む。
「完全なる独り相撲」。
◾︎解決策
「密に絡みたい旨を示し続ける」事。
そうすっと、同じような距離感で接したい人が集まる。
俺は人と「温かいやりとりがしたい」んだ。
「やればできるよ」「大丈夫だよ」ってやりとりがしてえんだわ。
「お前じゃ難しい」「現実見ろよ」みたいなやつは「死ねよ」って思うんだわ。
それに蓋をしてっから、絶望に沈んだような気分になる。
◾︎自分が理想を示し、自分が最良だと思う人を見つける
つまり「俺にとって最高な人」と繋がればいい。
好きな距離感が同じだったり、俺を面白いと思ってくれるやつだったり、俺が面白いと思った人。
要は「俺にとってそこが最高になるように」全てを選んでいけばいい。
⚫︎先に示す
俺が思う最良の「あなたとの絡み方」があり、それを俺が示す事で「あなたが俺とどう関わっていいか分かる」。
そこで「コイツとは合わねえな」と思えば引き返せばいい。
んで、俺も後を追わない、と。
⚫︎弱い心の向こう側へ
引き返された時に、やっぱダメージを負うのよ。
あ〜これじゃまずかったかな?
もっといい絡み方あったかな?っつって。
しかしながら、そんな感じで俺の心が折れるから「いつまでも理想に辿り着かない」。
俺は俺の理想があって「それでいい」。
それに合致する人がいるまで粘れば「俺にとって最良の人」が見つかる。
その人はその人であり、俺は俺である。
しかしながら、その人の特性と俺の理想が噛み合う事は「ある」。
あなたがつまんねえと感じるならしょうがないし、俺がつまんねえと感じるのもしょうがない。
ただ俺が「主体的に示し続ける」事は出来る。
合わねえならしょうがない。
合う人を探すだけだ。
「そのために頑張る」。
◾︎不安症は他人の価値観に迎合し、自分の心を折ってしまった状態
「自分」を出せない、表現できない。
「自分」がこれがいいと思えなくなってしまった状態を指す。
要するに「他人によって振る舞いが変えられてしまう」状態。
それが「いい方向」であれば良い。
自分が知らなかったもっと楽しい表現方法だったり、より上手く人に伝えられる方法だったり。
しかしながら「悪い方向」であれば、すぐに改めなくてはならない。
そこが合わない場所である事もあるが、それ以上に気持ちを素直に表現し、自分の価値観に沿った判断をする。
誰に何を言われても「折れない」事。
…まあ、ある程度は聞き入れた方がいいかもしれないが、それでも自分が納得したモノだけを取り入れる。
面白くないと思ったら「流す」。
面白いと思ったら「絡む」。
悪い方に影響を受けず、良い方に注力する。
「自分の理想」を基準とし、それに合致する人だけを見てればいいい。
「楽しい事」を頑張ろう。
◾︎まとめ
主体性を取り戻そう。
「自分の理想の形」を示せばいい。
それはなによりも優先される。
んで、その理想に沿った人を見つける。
自分の振る舞いに応えてくれる人、応えてくれなくても凄く面白い人、楽しいやりとりが出来る人など。
そういう人がいるからこそ外に行きたくなるし、外の世界に可能性を感じる。
「可能性を感じるやり方」をしよう。
自分を表現し、自分が楽しい事をし、自分の理想に向かっていく。
その道中で、素晴らしい人に出会うし、楽しい時間が過ごせる。
なんにせよ「自分である事」だ。
他人に影響されるのは「良い方向にだけ」でいい。
悪い方向は意識的に切りとばす。
そっちに合わせても「理想にはたどり着かない」からね。
可能性を信じ、可能性を見よう。
その中に成長と出会いがある。
楽しんで行きましょう♪