研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

自分が言いたい事を説明するのが面倒くさい。

 

ブログを書き始めるとやる気がなくなる事が多い。

言語化って面倒じゃね?

 

▪︎面倒すぎな理由

1、明確化するのが面倒

言語化が既に面倒。

言語化してみて、意外と手順踏んでるんだなとかの新しい発見はある。

が、それを「伝える」となると、次の手順が発生する。

 

2、分かるように順序を付けるのが面倒

殴り書きじゃ伝わらん。

なので、知らん人が見ても分かるように、順序を追って説明しないといけない。

それが超絶面倒。

 

3、言い方を考えるのが面倒

どんな人が見てるのか分からん。

子供に対するような言い方なのか、目上に対する言い方なのか、後輩なのか、同僚なのか?

それを考えるのも面倒。

 

んで、頑張って考えて作った割に、次の問題が発生。

 

▪︎得られるモノがない

1、相手の情報がないから面倒

言い回しとか、伝えたい事ってのは、その人があってこそ意味がある。

そいつが役に立ったと感じたり、面白かったと感じるからこそ意味がある。

…が、俺は貴方の情報が「何もない」のである。

貴方が何を好きで、何に興味があって、何をやってきたのか?

ヤンキーでケンカと格闘技やってきましたって人に伝わる書き方と、大人しいタイプで勉強とインドア遊びをやってきましたっていう人に伝わる書き方は「全く異なる」。

分からないから伝えようもなく、伝わったかどうかすら分からない。

つまり「何も得るものがない」。

 

2、伝わってるか分かんねーから面倒

リアクションがない。

結局なんだったの?っていう。

 

▪︎文章及びブログは「満足感が全くない」

書いただけ。

暇つぶし。

昔はそれでも何かあると思って書いてたけど、10年やった今は分かる。

「何も無かった」。

ここには何もない。

 

▪︎対象を絞った方が満足感が大きい

誰に、何を、どういう風に、伝えるのか?

そして、その結果「何を得たいのか?」。

楽しく話したいのか?

役に立ちたいのか?

その人の気分を良くしたいのか?

 

絞る事で明確になり、狙った結果が得られる。

万人に向けて、何を言ってるか分からんモノを書いても、誰にも伝わらない。

 

そんな感じ。

 

▪︎あとがき

やべー…また無駄な時間を過ごした。

 

この時間をもっと有意義に使おう。

ただ時間を使い、眼精疲労を蓄積させただけだわ…。

 

これ読んだ皆様も、現実の、もっと意味のある活動に戻りましょう。

こんなモノ見ててもしょうがないです。

 

今すぐ外行って、気分良く過ごし、誰かと話し、やるべき経済活動をやって、メシ食って、酒呑んで寝ましょう。

 

ブログなんて意味ねーよ。

 

もっと意味のある活動は「すぐそこの現実にあります」。

朝なら、今すぐメシ食って外に出ましょう。

昼なら、今すぐ外に出て、散歩しましょう。

夜なら、今すぐメシ食って風呂入って寝ましょう。

 

文章なんて見なくて良いし、書かなくていいです。

そういうのは仕事だけでやってりゃ充分です。

 

以上です。

 

今すぐ現実に戻り、必要な事をやりましょう。

 

 

自分の身は自分で守ろう。

 

「自分の身が最も大事」。

これがマジで大前提。

 

コロナ禍の騒動で分かったと思う。

誰も、医療従事者の方に「辞めろと言わなかった」。

人は「人のために◯ね」と言う。

*特に日本人。しかも自覚的ではなく。

そして、それを「美談にする」。


…いやいや。

まず「自分の身が最も大事」だからね。

コロナ騒動なんて、医療従事者は「いの一番に逃げ出すべき出来事」であって、勤め上げた聖人君子の方が「おかしい」んだから。

普通はまず、そのヤバい状況から「一旦逃げてから」考える方が自然であり、無理がない。

それが出来た上で、「余力」で「人を助ける」という順序だよ。

 

ここを絶対に間違っちゃいけない。

 

▪︎献身や我慢は美徳じゃない

「健康を損なうほど働け」とか「給料が安いけど働け」とか、そういうやつ。

良い人ほど「人のためになるから」という理由で、やってのけようとする。

…いやいや。

「それヤバいやつ」だよ?

自分のできる範囲でやるぶんには、まあ良い。

金持ちが寄付するとか、農家の人が(自分の取り分を確保した上で)安く売るとか。

しかしながら、自分の「分」を超えてまで人に奉仕するのは美徳じゃない。

それを「奴隷」という。

 

▪︎まずは「自分の取り分を確保しよう」

「自分の健康の範囲内で」

「自分が生きていけるだけの取り分」

を、確保する。

「他人にどう言われようとも」。

キツけりゃ逃げていいし、辞めていいし、別の場所へ行けばいいのである。

 

清貧で身体を張ってるのは確かに気持ちいいし、人に誇れる気分になるし、称賛もされる。

しかしながら、そこでやってる自分は、客観的に見て「非常に厳しい」のである。

 

逆に、人に誇れなくても、いい状態で過ごせていれさえすれば、余剰分で貢献する事が可能なのである。

「自分の選択の範囲内で」。

取り分を確保していればこそ、そういう選択が可能になる。

 

▪︎自分の権利は「自分で死守するしかない」

「ここまではやる」

「ここからはやらない」

他人はあなたの状況なんか知らないし、やるべき事を際限なく求めてくる。

「いえ、ここから先はやりません」という選択。

これは「自分で行うしかない」。

他人が慮ってくれて、丁度いいように調整してくれるなんて事は「ほぼない」。

「飛び込め」と言われて「絶対嫌です。バ◯じゃないの?」と普通に言えて、そこから立ち去れる勇気と基準を作る。

 

自分の権利を差し出してまで必要な事なんて、ないのである。

 

▪︎「自分第一」で「よろしくお願いします」

まず「自分」です。

健康もメンタルも。

それを侵してくる人や事は極力排除して下さい。

そういうのは「余剰時間で」やれば、充分です。

その「余剰を確保するために」、徹底的に考えて、行動して、主張しましょう。

まずは「自分」です。

「自分の権利を勝ち取るために行動」しましょう。

嫌な事は嫌といい、健康を害する事柄や、メンタルを害する事(人やコト)からは距離を置きましょう。

他人と分かち合うのは「その後」です。

 

キツけりゃ辞めて良いし、嫌だったら断って良いんだぜ?

 

自分の権利をしっかりと持ち、主張し、確保していきましょう。

 

「自分第一」です。

よろしくお願い致します。

 

たまーにハマる人が現れる、このブログの謎。

 

たまーに(1〜3ヶ月に一回くらい)、凄え読んでくれる人が現れるこのブログ。

*いつもは1日15PV前後なのに、稀に1日100PV超えをするという。

 

個人的には「理由がさっぱり分からん」という。

そこの謎を書いてみたいと思う。

 

▪︎自分では何が面白いか分からない

自分で書いてると「何回も見返して書く」事になる。

何回も読んでるんで、もう分からんという。

あと「自分ではまあ普通だと思ってる」。

なんせ書く時は「自分の知ってる事」を書くわけだ。

新たな発見!とか、そんな発想あったのか!みたいな事は「ない」。

空想物語みたいなやつだと、自分の理想の物語を反映して書くからまた違うのだろう。

単なる雑記ブログ、かつリアルめな考察が好き(実際に使える形にしたい)な筆者の記事だと、もう自分では判断がつかないという。

 

▪︎読者が何を面白がってくれてるかも分からない

「どういう人が」「どういう感情で読んでるか?」が不明。

コメントでうんぬんも、確かにある。

しかしながら、「どういう人が」という部分が、文章だけだと全く分からない。

どんな身なりで、普段の生活の言葉と行動の一致度はどれくらいで、どの程度普段から考えていて、どのくらい正直に生きているのか?

 

例えば、ちゃんとした身なりで、キチンとした考えを持って、他人に配慮ができる人から言われた言葉であれば、真摯に受け止めてキチンと対応したり、説明しようと思うだろう。

でも、身なりも気にしない、その場その場で言ってる事が違う、他人に対しての言葉の配慮もできないような人の言葉であれば、一向の余地もない。

 

つまり「人の言葉が信用ならない」上に「それを確認する手段がない」という二重苦。

 

…まあ、コメントくれた人がブログをやってる人であれば、そのブログに書いてある内容で分かるし、一度でも双方向でやり取りした事があれば、どういう人かはある程度分かる。

 

しかしながら、大多数の通りすがりの人がどういう人で、どう思ってるか、その「信頼度はどれくらいか」など分かるはずがない。

 

分からないし、分かる手段もない。

 

▪︎結果としての「呟きメモブログ

読者の反応を気にしてもしょうがない。

だって分かんないし、分かりようがないんだもの。

ブログとかYouTubeみたいな「反応が分からない媒体」で「モチベーション高くやってる人」は、本当に凄いと思う。

俺はモチベーションがもたないんで、思い付いた時に、思い付いた事を、思い付いたまま垂れ流すスタイルに落ち着いた。

 

そんなんでも…まあ需要があるらしいとだけは分かったのが唯一の幸いかな。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 

「客」は「最後」。重要だけど重要じゃない。

 

今まで最前線の客商売をしていた。

なので「お客様は神様=客がカネを持ってくる=客対応に力を入れよう」が当たり前だった。

…が、今の「ものつくり側」に回った結果、別の事が分かった。

客というのは「最後なんだ」と。

 

▪︎客は「最後」

「全ての工程が終わった上で」の「結果=客」。

客が知ってるのは「最終形態」なのである。

「その手前」に「膨大な試行錯誤があった上で」成立しているという。

 

▪︎客に「渡るまでの工程」が超重要

例えば「ブログ」。

ブログを書き上げるまでに「様々な工程」がある。

1、「ネタ出し」

2、「そのネタを調べる」

3、「書き上げる」

そうして1記事が出来上がる。

さらにその書いたネタを「届ける」という工程がいる。

1、ブログサービス選択

まず「ブログサービス選択」がある。

はてななのか、アベマなのか、楽天ブログなのか?

なんのジャンルで、どこが強いのか?

これを選定する。

 

2、ブログ内競争

ブログサービス内で有名になるのが最も簡単。

この辺りで、ようやく「客の目に触れる」。

変な話しだが「ここまでやって」、ようやく客の目に触れるという「スタートラインに辿り着く」。

記事を作って、サービスを選んで、アップロードしても「客の目には触れない」のである。

「そのサービス内で目立つ」という事ができて、「初めて客の目に触れる」。

…変な話ではあるが、「ここまでやって」から「記事の質を上げ始めればいい」。

だってここまでは「何書いても読まれもしない」のだから。

フィードバックも何もないため、何やってもしょうがないのである。

 

3、Googleで多くにリーチする

さらに「Googleさんに気に入られる必要がある」。

検索で引っかかる事で多くの人に見てもらえる。

 

▪︎客に届くまでの工程を整理

1、ブログのネタ出し

2、記事の下調べ

3、記事を書き上げる

4、ブログサービスに載せる

5、ブログサービス内でウケる方法を試行錯誤しつつ、全体の方向性を決める

6、ウケる方法(読まれる方法)をひたすら試してランキングを上げる

7、Google先生に引っかかり始めるので、載っけても問題ないor気に入られやすいコンテンツ(教材型)に書き直す

7、Google先生で色々な人に届く

という事。

客…つまり「読者」は、6の工程から先「しか」関わらないのである。

 

▪︎客は「重要だけど重要じゃない」

客が関わるのは「ほんとに最後だけ」。

その手前の…

「何を書くか?」

「どう調べるか?」

「どう書くか?」

「誰にアピールするか?」

は、「本人+周りの人が決める事」なのである。

 

「客のために書く」というのは「一見すると素晴らしい」。

しかしながら、自分の工程からすると「ほんのちょっとしか関わってこない」。

その人達に振り回されて、「自分が書きたい事よりも優先する」というのは、「本当に正しいのだろうか?」。

確かに客がいないとアウトプットにならない。

しかしながら、客がいたところで、その手前の工程を楽しめるかどうかは「自分次第」なのである。

 

客は客。

自分は自分。

「上手い落とし所」を見つけられるよう祈っております。

 

 

おっさんになったら気をつけた方がいい事。

 

おっさんというだけで「威圧感がある」という。

若い頃はむしろ欲しくてたまらなかった「それ」。

それが自然に備わった結果として「色々な問題が起きる」。

なので、対策をしよう。

 

▪︎プレッシャーを与えないように振る舞う

普通にそこにいると、変な話「いるだけで(存在感が)ウザい」という状態になる。

なので「意図的に溶け込む」か「存在感を薄くする」のどちらかが必要になる。

そのために3つの行動が必要になる。

 

1、静かにゆったり動く

超基本ながら、超重要な振る舞いとして「音を出さない」。

…それは言い過ぎとしても「静かに動く」。

音はストレスの最たる原因なのは言わずもがなである。

子供ですらちょいちょい問題になっているほどの「ムカつく因子」。

もっと言うと、中高生が騒いでるのをぶっ◯したくなったという経験は、誰しもが一度は通った道。

これを存在感のある大人の男がやったらどうなるか?

これもまた言わずもがなである。

 

さらに、ちょこまか動くのもやめた方がいい。

感覚的に分かると思うが、ちょこまか動いてるのを見ると、落ち着くがなく非常にウザい。

 

つまり大人は、これの「逆をやればいい」。

出来るだけ静かに、ゆったりと…というか慌てずに動く。

それだけで与える印象が凄く変わる。

 

2、周りを見る

おっさんになると、疲れやすいわ、常時あちこち痛いわ、目は見えないわ、耳は聴こえないわで、まあ劣化する。

すると、結果として「周りを見なくなる」。

とにかく「避けない」。

前から人が来てもそうだし、クルマが来ようと、自転車が来ようと、とにかく「その場から動かない」。

周りから見ると「いや避けろよ(どけよ)」と思う。

…が、本人だけは分かってない。

これを極めて客観的に、周囲から見ると「障害物が一個増えたのと同じ」なのである。

「存在感のある障害物」。

これ以上にウザいものがあるだろうか?

なので「周りを見ましょう」。

 

3、先読みする(気を遣う)

2とも連動しているが、とにかく劣化が目立ち始めるおっさん。

周りが見えない事と連動する要素がもう一つある。

それは「周りがどういう意図で動いているのか?」という事。

これに対して「非常に鈍感となる」。

仮に「誰かが忙しそう」だとしよう。

それが「何故なのか?」「どんな理由なのか?」を推察し、答え合わせをする。

余裕がなくなってきたおっさんは、これを「やらなくなるorやる頻度が落ちる」。

結果、状況が分からなくなり、空気の読めない発言が増える。

そしてこれは「元々気を遣ってこなかった人」が陥りやすい所でもある。

若い頃は周りも言いやすいし、大目に見てもらえる部分もある。

…のだが、おっさんになって威圧感が出た結果、「言うのが面倒くさい」。

それでも頑張って言った結果「全く伝わらない」という事も非常に多い。

なぜなら「劣化してる」から。

受け手のおっさんが、それだけの量と質を理解できる状態にないという。

全く伝わらなかったら、次から言われない=面倒な人認定である。

そうならないように、もう少し気を遣った方が得をします。

 

▪︎生活のバランスを考えよう

昔は全方位的に100%の力を使っても、なんとかなっていた。

仕事も人間関係も遊びも、全部こなしてもなんとかなっていた。

しかしながら、おっさんになった現在、全方位80%でも歪みが出るようになっている。

どれかを落とさないと、どれに問題が出る。

仕事を100%にすれば対人関係は50%以下になっちゃうし、対人関係を100%にすれば仕事は50%くらいになってしまう。

どこに力を入れて、どこの力を抜くのか?

 

良いバランスを見つけていきましょう。

 

「若者ウケ」に感じる「押し付けがましさ」。

 

*若い人の定義=10代後半〜20代くらいとする。

 

筆者は今40代に入ったばかり。

ハッキリ言って、もう若い人が「何を楽しいと感じるのか分からん」。

正確に言うと、理論的には分かるんだけど「感覚的に理解できない」。

もう成り上がりストーリーに共感できないし、学生ネタにも共感できないし、暴力モノもイマイチ面白さが分からないし、恋愛モノも一方通行すぎて見てらんないのである。

…と、同時に「若い頃は何も考えてなかったなあ」とも思うわけだ。

 

それを踏まえた上で「若者ウケってなんなん?」と感じる。

 

▪︎若者ウケは「同じ世代が作るモノ」

せいぜい10個差くらいまで。

10代後半狙いなら、20代後半以下の人達で企画&制作する方が絶対に狙い通りのモノが出来る。

20代狙いなら、30代以下の人達で作ると狙い通り出来る。

上述した通り「感覚=フィーリング」が理解出来るのがそのくらい。

筆者だったら30歳以上〜50歳未満くらいの人に向けたコンテンツだったら作れるけど、20代中盤以下の年齢にウケるコンテンツを作るのは無理。

もし万が一ウケたとしても「なんでなのか理解出来ない」。

つまり「再現性がない」。

色々な理由から見て「同世代が作った方がいい」のである。

 

▪︎世代を跨ぐのは不可能

年齢も経験も違うし、感覚も違う。

感覚が違うやつに、感覚の違うモノを押し付けるのは不可能。

特にクルマ業界とかバイク業界とかで顕著に出てる「違和感」がある。

 

▪︎おっさん向けのモノは若者向けにリニューアルなんかしないで、一緒に引退した方がいい

おっさんは、おっさんが面白いと思う事をやってればいいのである。

例えばプリウス

老人特急と言われて久しい。

これは文字通り「60代以上の人が支持している」からである。

*正確には70代前後。

なのに、なんで若者向けにリニューアルすんの??

60代以上に受けてるんだから、そのままで良いじゃん。

同じく「クラウン」。

世代が上がって、クルマを降りる人がメイン層になっていた(80代辺り)所から、急に方向転換して、若者向け(40代くらい)に振ってきた。

いいよ、いらねーよそんなん。

80代の自分達が欲しくて、楽しいと思うモノを、誰に媚びる事もなく突き詰めて作ってくれ。

それで売り上げが落ちてるなら、一緒に滅びれば良いのよ。

40代向けは、その世代の人が、別の車名で作れるように、道を開けてくれるだけで良いのよ。

 

バイクで言うとゴールドウイングとか、ゲームで言うとファイナルファンタジードラゴンクエストとか、おっさんの郷愁を誘うモノはおっさんが作り続けて、そのまま墓場まで持っていけばいい。

 

その間にパズドラとかモンストとか、もっと下のウマ娘とか、新しいモノは出てくる。

*ちなみにウマ娘は、40代以上からすると完全な「女性蔑視」(馬を人間の女性に見立て、しかも「調教する」というのは、普通の感覚からすると頭おかしい)なので、ゲームをやる気すら起こらない。

これも自由にその世代が作れば良くて、それはそのまま40年くらい続いて墓場まで持っていったらいい。

 

ちなみにラグジュアリーブランドはその辺が凄い。

YouTubeとかで流れてくるディオールの広告とかは80年代以前の再現だし、コーチの広告なんかは90年代の再現で、若者に売る気なんて一切ないと思うくらいの割り切りっぷり。

墓場まで持って行く気満々である。

 

なので、爺さんは爺さんが面白いと思うモノを、おっさんはおっさんが面白いと思うモノを、若者は若者が面白いと思うモノだけを「同世代に向けて作れば良い」のである。

違う世代が、違う世代に向けリニューアルとか、まっぴら御免なのである。

 

▪︎まとめ

世代を越えるのは無理。

自分が面白いと思う事をしましょう。

そして「自分と違うものに進出するのはやめましょう」。

そんな押し付けは誰も得しないし、された方も迷惑です。

違う所には違う楽しみがあり、違うフィーリングで動いています。

 

爺さんは爺さんらしく、おっさんはおっさんらしく、若者は若者らしく、他に媚びたりせず、自分が面白いと思う事をして、それを墓場まで持っていきましょう。

「他に干渉しない」。

「自分が楽しい事を貫く」。

「余計な事をしない」。

これが求められているバランス感覚であり、かつ最も楽しくやれる方法なのかと思います。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

「空気を読め」を整理してみる。

 

同じ言葉ながら、使う状況によって「微妙に意味合いが違う」事に気付いたので、整理してみる。

 

▪︎3つの意味

1、雰囲気に合わせろ

皆んなでくだらない事を楽しんでるのに、正論ぶっ掛けて場の空気を冷ましたりとかが代表的。

仕事とか目標が決まってたりする場合は別だが、なんとなく合わせていい空気作っときゃ楽しい場面で「わざわざ言う」のが「空気が読めない」とされる。

 

2、言葉の裏を読め

明らかにつまんなそうなのに「楽しい」と言うとか、状況的に絶対疲れてるのに「疲れてない」とか言う場面が「ちょいちょい出てくる」。

要するに「気を遣って言わない」訳だ。

「そこを察知して対応する」のだが、これは特段難しい事でもなく「普通に考えれば分かる」。

ずっと話しを聞かされて全然喋ってなかったり、1日仕事した後だったり、1日歩き回った帰りだったり、「いやお前分かるだろ」「自分がそれされたらどう感じるんだバ◯が」と。

これが「分からない人」が「空気読めない人」とされる。

 

3、状況を察知しろ

忙しそうな人に「忙しそうだね」と言ったとしよう。

言われた側は「見りゃ分かるだろ」と。

ここで空気の読めない人は「なんで忙しいのか」「何してるのか」と「質問する」。

繰り返すが「相手は忙しい」のである。

忙しい人の時間をさらに奪うような質問をするのが「ダメ」だという事は「バ◯でも分かる」だろう。

空気の読める人は「なんでこの人は忙しいのか」「何をやってるのか」を「考える」。

そして、出てきた答えに対して「軽減するように手伝う」。

家事をしてるから忙しいのか?

買い物に行きたいから忙しいのか?

見たいコンテンツがあるから忙しいのか?

そうであれば、原因になっているモノを手伝えばいい。

家事が忙しいなら、今やってることを代わりにやればいい。

買い物に行きたい場合でも一緒で、今やってる作業を肩代わりすればいい。

見たいコンテンツがある場合でも、今やってる作業を手伝えばいい。

そういう「相手にとって本当に必要な事」を「相手にコストをかけずに辿り着く」というのが「空気の読める人」。

その逆で、相手の状況と負荷が分かりきっているにも関わらず、さらに負担を増やすやり方をする人を「空気の読めない人」という。

 

▪︎状況から感情が読めない人が「空気の読めない人」と言われる

楽しんでる人を不快にさせる。

疲れて不機嫌なのに、それを察知しない。

忙しい人を引き留める。

などなど…。

 

「その状況」「見たまんまの感情」「言われてる言葉」…。

それらから「本来ならこうだろう」という事を予想し、相手の立場に立ち、相手がして欲しい事をする。

その人は「空気が読める」「優秀と言われる」人となる。

逆に、それらの情報から「して欲しい事の逆をする」と「空気が読めない人」となる。

要するに「なんか疲れる人」で、コミュニケーションコストがかかる(伝えるのにいちいち手間がかかる)ので、段々と会話が億劫になってしまう人。

これが「空気が読めない人=怠い人=敬遠される理由」の正体となる。

 

▪︎意見があるなら言えばいい=空気の読めない人

ひろゆきさんなんかが、よく「意見があるなら言い返せばいい」と言う。

これこそが空気の読めない人の代表的な発言。

「言い返さなければ伝わらないコスト」こそが「面倒」なのであり、これこそが「空気の読めない発言」という。

相手が言われて困る事や、言われて分からない事や、言われて気分を害する事を「そもそも言わない」のが、空気の読める=相手に立場に立って考えられる人なのである。

相手をやり込む=相手が困ってる、言い返す言葉がないという事なので、それは非常によろしくないコミュニケーションという事が分かるだろう。

 

なので、色々な意味を込めて「空気の読めない人」というラベリングをするという。

 

まとめ…は面倒だから、ここで終わるw

 

貴方は状況を読めますか?

もしくは「読もうとしていますか?」。

読もうとしているという事は、即ち「相手の立場を理解しようとしている」という事なので、どんな振る舞いをしようともそれは伝わっていると思います。

読もうとしない、思わない人は…まあそれはそれで個性です。

「他人の状況に左右されない」という長所だったりしますので、それを活かせる場所に行ってくださいませ。

ただ、俺の周りには来ないで下さいw

疲れるのでw

 

では、お読みいただきありがとうございました。

 

 

就職は何歳からでもできるが、やる気があるかどうかは別。

 

35オーバーから就活をしてみてよく分かった。

「やる気があれば取ってくれる」。

「やる気があれば」。

ここがポイント。

 

▪︎壁を越えるやる気があるか?

50社受ければ受かるよ。

50回履歴書+職務経歴書を出し、50回会社に足を運び、50回面接を受ける。

落ちるたびに「どうやったら伝わるか?」と「50回繰り返し」、ブラッシュアップしていく。

一回落ちると自分を否定されたような痛みを受けるが、それに耐えながら50回繰り返す。

…さてもう一度問おう。

「やる気はあるか?」。

 

▪︎入ってからも壁がたくさん

嫌なやつは必ずいるし、失敗すりゃ文句言われるし、八つ当たりしてくるやつはいるし、まあめんどい。

それを一個ずつ対応し、乗り越えていく。

さて…ry

「やる気はあるか?」。

 

▪︎筆者は「ない」

志もなければ、やる気もない。

3回ほど正規雇用前提のアルバイトを経験したが、正直「精神が保たなかった」。

え?仕事ってこんな頑張る必要があるの??

しかも、こんな頑張ってこんだけしか貰えないの?っていう。

正直なところ、俺にとっては「カネを稼ぐストレス>カネがないストレス」だった。

肉体的にも精神的にも疲弊して毎日ストレス満載でカネを稼ぐよりも、カネがない不自由を覚えながらも、精神的にも肉体的にも自由を謳歌できる方が楽しい。

個人的にはもう正規雇用で働きたくない。

 

▪︎非正規雇用って、いい制度なんじゃね??

正規雇用の週5出勤8時間拘束のストレスは耐え難い。

しかしながら「半分なら楽しめる」。

嫌なことを言ってくるやつも週3出勤4時間拘束くらいなら我慢出来るし、むしろそのストレスがあるおかげで何もない毎日にありがたみが出て、ハリが出るまである。

個人的にはこの程度が丁度いいストレス。

このくらいで「楽しい仕事」に就ければ、それが到達点な感じがする。

 

▪︎まとめ

就職は何歳からでも出来る。

「やる気があれば」。

50回ほど履歴書を出し、面接をし、3社ほどで働いた結果、筆者としては「2度とやりたくない」です。

筆者はやる気がないので、非正規雇用で充分です。

 

就職したい方は頑張って下さいませ。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

起業が失敗する理由は「やりたい事をやる」から。

 

やりたい事をやるのではなく「求められる事をやる」のが正解。

起業は特に「自分の想いを形にする」というやり方で始める人が多いので、勘違いしやすい。

その辺を例を出しながら、整理してみる。

 

▪︎「求められる事」を基準にする

例えば「芸人になりたい」とする。

求められる事を基準に選んだ場合「学校やクラスの人気者」が「芸人になる」。

これが「自然な流れだと感じる」はず。

そもそもが「面白いと周りから言われる」「それを求められる」という所からスタートしているため、既に周りの評価=求められるモノと一致している。

とんねるずさんやダウンタウンさんなどは「そもそもが学校の人気者だった」というのは非常に有名な話しであり、上の世代のお笑い芸人はそういう人達が多い。

*現役でもヤンキーに人気があった永野さんや、小学校からいじられまくっていたエピソードを持つ日村さんなど「今のまんまじゃん」と思う芸人は多い。

 

そういう感じで「自分が他人に評価される部分」というのを基準に「やる事を選ぶ」のが、無理なく成功するコツ。

話が上手い、聞き上手、カッコいい、絵が上手い…などなど、とにかく「人から求められる事」を基準に選ぶ事が重要。

 

▪︎やりたい事を基準にすると「ほぼ失敗する」理由

上記の芸人をもう一度例に説明しよう。

「芸人に憧れて芸人を目指す」。

これが「ダメな代表的に理由」。

要するに「誰にも求められていない」のだよ。

自分が憧れただけであって、客観的に面白いわけじゃない。

誰からも面白いと言われた事もなければ、求められてもいない事を「職業としてやっていきたい」というのは「さすがに無理がある」と分かるだろう。

いいとこ「作家になる=裏側で面白い事に携わる」くらいで、プレイヤーとして成功する事はまずない。

だって、それで評価されてない=向いてないんだから。

「人に求められない=カネにならない」。

確かに、頑張ってスキルを上げるのも良いかもしれない。

…が、元々が人を笑わせてきて、それを求められてきた人気者と比べて、スタートラインでだいぶ差がある状態から始めなければならない。

さらに、そもそもが「感性が周りとズレてる(だから笑いを共感できない)かもしれない」可能性もある。

周りとズレてるという事は「ゾーンが狭い」という事でもあるため、大衆演芸としては致命的だったりする。

*濃いファンを獲得するには向いてる。

成功するには何が必要かは不明瞭ながら、他人を笑わせてきてない人が人気者になるには「途方もない時間と研鑽が必要になる」という事は、直感的に理解できるはず。

 

そういう「外から見て普通に分かるやつ」というのを大事にする方が、自分の想いを優先するよりも、ラクで確実に結果に繋がる。

 

なので、仕事においての向き不向きというのは「日常生活から分かる事が多い」。

 

▪︎人から「良いよね」って言われるやつを「探す」のがめっちゃ重要

自分が何をやりたいかじゃない。

「人から良いと言われる何か」を「探す」。

もっと言うと「気付く」事。

「パレオな男」というサイトで有名な鈴木祐氏なども、趣味でやってた「文献探し」を元に、健康や食事や筋トレなどを書いたサイトが「パレオな男」として大人気となった。

この「求められる事」を発見したのが元となり、本を出したり、講演会をやったりなど、付随したモノも大きくなっていった。

こういう「人に求められる種」を「大きくしていく」のが「仕事」であると認識する方が、無理なく結果に繋がると思う。

 

▪︎まとめ

やりたい事よりも「評価される事」をやろう。

…が、実はこれ「発見するのが超難しい」。

漫然と毎日を過ごしてると見過ごしまくり。

ある程度狙って「俺って人に何を評価されてんだろう?」と「問う癖」を身につけていかないと、スルーしがち。

評価される事を「探す」、そして「見つける」。

んで、見つけたら「しっかり使う」。

それを大きくしていくと、自然と「仕事になってた」という感じ。

最初っから仕事を探してもダメだし、ましてや自分のやりたい事を全面に出すなんて失敗に向かって走ってるようなもんです。

 

「成功は普通の場所にある」。

 

「種」を「発見して」いきましょう。

 

「キャラ」とは何なのか?どうやって見つけるのか?

 

人気商売をした事がある人にはピンとくるであろうこの用語。

*人気商売=芸人とかブログとかの「人からの評価でメシ食ってる職業」。

 

逆に、そういうことをした事ないには「理解し難いモノ」だったりもする。

 

この「キャラ」というものを説明しよう。

 

*追記

間違って伝わると困るので追記。

この記事で言う「キャラ」は、一般生活での人間関係で求められるキャラとは「全くの別物」とお考え下さい。

一般生活での人間関係で求められるキャラは「ちょっとした引っかかりがあれば充分」です。

同じクラス、同じ部署内、同じグループ内など、限られた人数の中での比較になるため、少し特徴があればそのジャンルですぐ一番となり、凄く面白い人に感じられるからです。

それに対し、人気商売のキャラは「めちゃくちゃ濃くする必要があります」。

例えばネットなら、「ネットにコンテンツを出してる全ての人との比較になるから」です。

つまり、生半可なキャラでは「簡単に上位互換が見つかる」。

そのため、かなり強い「唯一性が必要になる」。

結果として「濃くする必要がある」という。

これが一番の違いであり、自分の身の回り…つまり一般社会で…の「キャラ」と、人気商売での「キャラ」は「一線を画するレベルが必要になります」。

ここで書いてるのは、大量に比較される「人気商売でのキャラの見つけ方」です。

「一般社会でのキャラを見つけるのが難しいというお話しではない」ので、そこだけご留意して読み進めて頂ければと思います。

 

では本題へ。

 

▪︎キャラとは?

キャラは「その人がどういう人かを表すモノ」。

そしてそれが「楽しく周りに受け入れられている」状態。

この状態を「キャラ」と言う。

 

例を出すと…

有吉さんの毒舌とか、

所さんの自由さとか、

ホラン千秋さんの強めな物言いとか。

1発で「その人」って分かるモノで、かつ「それを見て面白いと感じれるモノ」。

 

実はこれ「自然に出来てたものではない」。

普通の人はキャラを「見つける」という作業が必要になる。

 

そしてあまり知られていない事実がある。

キャラを見つける難易度はエグい」。

 

▪︎キャラを探すのは「超難しい」

皆んなに認められるキャラを見つけるのなんざ「奇跡みたいなモノ」。

キャラを見つけるには段階がある。

まずは…

1、自分の持っている「人に評価されるモノ」を探す

超ポジティブとか、ネガティヴとか、偉そうとか、もっと俺を見ろとか、そういう「諸々の特徴」。

これがなぜ「探すのが難しいのか?」。

その特徴が「弱点」だったりするから。

例えば「オリラジ中田さん」。

溢れ出る「俺を見てくれ」という自己顕示欲。

己を「perfect human」と言い切り讃える曲を出し、5時間の独演会をやってのけるほどの「パワー」。

これがめちゃくちゃ面白い。

ポイントとしては、これは「掲示してみて初めてわかる事」だということ。

要するに「自分じゃ分からない」。

実の所、溢れ出る顕示欲が恥ずかしいと思っていた事を「中田さん自身が仰っていた」。

つまり「自分では弱点だと思っていた」。

これ一つとっても、自分で自分の特徴を掴むのは「めちゃくちゃ難しい」という事が分かる。

「人を通して=人に見てもらって掴む」しかなく、しかしながら他人は「よほど面白くないと評価してくれない」。

爆発的に評価される事なんてないから「小さな状態で」探す。

「それを見つける」。

しかも「自分の中から」。

気の遠くなるほどの試行錯誤が必要であり、これを見つけるのはもはや「完全な運」である。

宝くじに当たるようなもんだということを理解していただけるだろうか?

 

2、それをどういう形で「出す」のか?

説明のため、上述の中田さんをそのまま引用させて頂く。

溢れ出る自己顕示欲があります。

じゃあ「それをどうやって面白く掲示するのか?」。

それを「歌にした」のがperfect humanであり、「独演会」にしたのが中田敦彦YouTubeチャンネルである。

単に自己顕示欲をそのままぶつけるのではなく、何かの「面白く感じる形」にして掲示する。

これも上と同じで「いきなり評価されるコンテンツを作れるわけがない」。

「こういう事をすると面白がられる」っていう「小さな種火」を見つける必要がある。

これも「自分で」。

人は教えてくれるけど、それを活かすのは結局のところ自分であり、自分で試行錯誤して見つけるしかない。

運良くコンテンツ作りが得意な人と知り合いでアドバイスを聞けたり、自分を元にしたコンテンツを作りたいと言ってくれる人がいれば、自己探求する必要もない。

しかしながらソロでコンテンツ作りをしている場合や、自分がコンテンツを作る側になっている場合は、自分で試行錯誤して見つけていくしか方法がない。

こちらも発見できるかどうかは「運ゲー」と言っていいレベル。

 

「自分の持っている他人から見て面白いモノ」を見つけるだけでも超絶難易度なのに、それに加えて「それを面白く見せるためのコンテンツ作り」まで見つける必要がある。

 

この時点で無理ゲーなのに、世の中に知られるレベルの認知度を得るにはさらに要素が必要となる。

 

3、「どの場所」へ「どういう形で」出すのか?

perfect humanはENGEIグランドスラム

独演会は中田敦彦YouTubeチャンネル。

*もっと言うと、授業形式の「あの形態」は、しくじり先生で凄く人気だった世界史の授業形態を取り込んでいる。

つまり「どこに出す」のか?

ネタ番組だから「歌ネタで人気になった」し、YouTubeチャンネルだから「独演会」が人気になった。

皆んなに見てもらうには「そこに合ったコンテンツにする必要がある」。

自己を知り、合ったコンテンツの作り方を知り、それをチューニングして「合った場所へ出す」。

いかに「天文学的な確率か」というのがお分かりになるだろう。

 

▪︎ウケるキャラは本質的に「1つしかない」

自分の愛される特徴というのは、大体1つに集約される。

なぜなら「自分自身の特性」と「経験」の集約でしか生まれないから。

中田さんの場合、サイコパス寄りな特性と、小学校の頃に応援団長、生徒会長、学級委員長などを兼務した経験、勉強をめちゃくちゃやってきた経験からなどから「生まれた」のが「あのコンテンツ達」。

その特性は「完全に独自のモノ」。

逆に言うと「独自なモノだからウケる」のである。

他の事をやったら「普通」であり、もっと言うと「他に上位互換がいる」。

「自分じゃなくてもいい」のである。

なので、キャラを「貫く」という決意が必要。

「自分のウケるやり方はこうだな」と思ったら、貫く。

そのウケたキャラというのは「唯一無二の奇跡から生まれたキャラクター」なのである。

そんなものが何個もあるわけがないので、もし見つかったら大事にして頂きたいモノです。

 

▪︎キャラが見つかった人は「超運が良い人」

「自分のこの特性が皆んなに評価されるのかも…」と、理解した人は「勝ち組」。

それは貴方にとっては「再現性のある事」であり、しかも「変わらない特性」。

自分の特性と経験から編み出された「唯一無二のコンテンツ」である。

それは貴方が愛される理由であり、それに準じたやり方をすれば、ずっと人気者である。

偶然でもそれを発見できた人は「大事にして欲しい」。

天文学的な確率でしか見つからないモノなのだから。

 

▪︎まとめ

キャラ=多くの人が面白いと思う振る舞い。

これは自分の弱点であることが多い。

それを上手に「見せる」事で、多くの人にとって「面白いと感じるコト」になる。

 

さらに言うと、これを見つけるのは「天文学的な確率でしか見つからない」。

人の反応を見て、色んなものを作ってみて、色々な場所へ出してみて、とにかく「偶発的に見つけるしかない」。

人と一緒にいても、自分のことで手一杯だったり、弱点だと認識し続けていたり、小さすぎて気付かなかったりすれば「見つからない」。

長い付き合いの人に見抜いてもらうか、小さな事から気付くか、延々と試し続けるか、とにかくキャラを見つけるには「運がいる」。

 

「人気になる」というのは物凄く難しい事であり、一部の運のある人だけが辿り着ける領域です。

逆に、一度見つかった人は「それが唯一無二」です。

その人にとっては再現性があるので、ずっと人気である事は難しい事でもないかと思います。

 

「キャラを見つけるのは超難しい」。

 

この事だけでもご留意頂けると、人気商売をやってる人への見え方も変わるかと思います。

 

お読みいただき、ありがとうございました。