米津の「優しい人」を聴いてたら、思う所があったので、書いてみる。
◾︎女に何を求めるか?
一個前の記事で書いたが、個人的には最初「母親並みの愛を求めてた」。
何を言っても受け入れてくれて、慰めてくれて、励ましてくれて、そこにいてくれる人。
そして、2017年に一度「これを達成した」。
母性の塊みたな女性に、クソほどのワガママを言い、甘え、ほぼ全てを叶えてもらった。
結果「求めてるのはこれじゃない」と分かった。
そこで痛感したのは、女性のありがたさ以上に「自分のクズさ」であり「女に頼る情けなさ」だった。
俺は大好きな女にワガママを言い、ほぼ全てを叶えてもらうだけのどうしようもないクズ野郎である現実がそこにあった。
自分が理想とする、女性に頼り頼られ、むしろ女性のワガママを叶えられる関係とは程遠い現実。
むしろ、なんでも叶えてくれるその女性といるほどに自分の首が絞まる。
自分のクズさを痛感する。
しかしながら、その時点の俺ではどうしようもなかった。
その現実に触れた時、夢から醒めた。
◾︎自分の理想に向かって進んでる
仕事にしろ、なんにしろ、自分が思う理想の状態に向かってる。
自分がしたい立ち振る舞い、能力、状態に向かって。
女絡みに限った話しじゃなく、仕事でも同じ。
今の自分と理想の自分との「差」を「現実として経験した時」に、必要なモノやしたいコトを理解する。
そこで必要だと思うモノに個人差があり、それが性格だと言えると思う。
◾︎俺は、人を通してみる「自分の情けなさ」に耐えられないっぽい
大抵の場合、俺の周囲の人はいつも優しく、温かい。
しかしながら、その優しさにすがるしかない自分の情けなさ、至らなさ、足りなさを感じるのがキツい。
「もっとやれる」とか「自分に見合ってない」とか、そういう事じゃない。
自分の基準点に達してない自分が情けなくて嫌になる。
他の人がどう、というのはあまり関係ない。
自分がしたい振る舞いができないコトにイラつく。
基準点に達していれば堂々と他人と絡めるが、達していないうちは絡みたくない。
そんな感じ。
◾︎結局は「性格」
何を重要だと思い、何を大事にするかは個々人によって違う。
だから、それに向かって進んでいけば良いんじゃないかと思う。
究極的な部分で「人は人」「自分は自分」である。
あなたがしたいコトはあなたにしか分からないし、俺がしたいコトは俺が努力する事でしか叶えられない。
そこに至る道すがらで助け合える事もあるだろう。
それはそれ。これはこれ。
そんな事を考えた昼下がり。