能力があれば、人から認められたり、金が稼げたりすると思っていたが、違った。
能力より「人」。
人と上手くやれさえすれば、どこ行っても生きていける。
どんなに能力があってもそれを認める人がいなければ意味がないのである。
逆に、どんなに能力が低くとも、人から望まれる人であれば活躍出来る。
能力ではなく、人。
◾︎能力は「人の感情を良くするために使う」
例えば、ブログの場合。
読んだ人が「役に立った」「また読みたい」「読んでよかった」と「感じる文章」が提供できれば、それが能力として評価される。
そこに必要なのは、能力ではない。
読んだ人が気持ち良くなる、役に立ったと感じる文章であるコト、即ち「感情を起こす文章」であれば良い。
ここが重視なポイント。
どんなに役に立つコトが書いてあっても、どんなに重要なコトが書いてあっても、「読んだ人がそう感じなければ意味がない」。
見た人の感情を起こせれば評価される。
逆に、淡々と事実を述べて100%正しいコトを書いたとしても、なんの感情を起こさないモノは評価されない。
あなたの感情をかき乱し、喜怒哀楽を提供できてこそ「意味」が生ずる。
◾︎世の中は「人で成り立ってる」
決して合理的ではない世界で。
ミスもすれば、間違いもするし、能力のないやつが上にいたり、正しいやつが下にいたりする。
そういう非合理な世界の中で生きているのである。
その中での「能力」とは、いったい何のだろうか?
結果の決まっているスポーツであれば尺度は1つしかない。
しかしながら、他の曖昧さが残るモノにおいてはその「能力」というのは、他人との折衷能力と言っても差し支えあるまい。
モノやコトより「人」。
「人がいればこそ」モノやコトが作れる。
物事よりも「人と上手くさえやれれば」全てが解決する。
◾︎まとめ
社会は「人」。
モノやコトよりも「人と上手くやれればいい」。
会社には仕事しに行くのではない。
「会社の人間とコミュニケーションしに行く」のだ。
仕事なんざ上司や先輩に教えてもらえればどうとでもなるし、カバーしてもらえればどうにかなる。
問題になるのは「教えてもらえないこと」「助けてもらえないこと」だ。
しっかりと人とコミュニケーションしていれば、仕事なんざどうにか回る。
逆に、人とコミュニケーションしていないと、仕事が即回らなくなる。
何故ならそこにいるのも「人」だからだよ。
人と上手くやろう。
変な話し、それだけ重視してりゃ他はいらん。
「人」です「人」。
人とコミュニケーションするコトを第一にやっていきましょう。