研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

自分の価格と子供の価値、自殺幇助。

 

やけに感情的な反応が多い「金換算」。

現実的な女の子や、遊んでる男共では当然の如く扱われる「恋愛の値段」も、場所によっては炎上レベルの反応があります。

そんな中、確実に条件に基づいて判断されているのが「社会人」。

社会人には否応なく「値段」がつけられています。

それは「個人で生み出せる金」=「値段」

です。

いかに偉そうな事を言い、格好だけ取り繕っても、実際に金を稼げなければ、家族、子供はおろか、自身の生活もおぼつきません。

無能上司が嫌なら独立か転職をすればいい。

それが無理なら我慢しろ。

当然ながら、競争である以上、勝ち負けが出るのは必然であり、この評価の中で生きて行くしかないのです。

 

◼︎子供の値段

炎上案件その2。

母親にとって、子供はプライスレスでなければならないので、ある意味当たり前の反応です。

母の愛がなければ子供は満足して生きていけません。

 

しかしながら、そこを無理します。

付加価値を除いた価格は、社会に出るまでの子育ての費用と言ってもいいでしょう。

約3000万です。

街を歩いている子供1人が約3000万の価値です。

そこに「将来性」を加えます。

平均的な生涯収入である約2〜4億円をプラスします。

ここで当然ながら、有名校に通っている学生と、底辺校の学生は同価値ではありません。

医者になれれば年収1000万は確定ですし、フリーターでは300万円以下になってしまいます。

それは大学において、ハッキリと違いが出ます。

そうです。「就活」ですね。

それだけの「努力が出来る」そして、同じ時間で結果出せる「能力に長ける」訳ですから、当然同価値ではないのです。

 

◼︎自殺幇助

スイスの自殺ツアーが有名な安楽死…いわゆる「死ぬ権利」です。

上2つで凄く冷静に他人を評価していたにも関わらず、なぜ人が死のうとする権利を奪うのか?

病気や事故障害、精神病などは「当事者にしか分からない」。

家族が反対するなら止めるとしても、赤の他人が何と言おうと知ったこっちゃない訳です。

代わる事も出来なければ、金銭的に助ける事もない。

この先ずっと制度に頼らなければ生きていけないのです。

では制度がない国、もしくは心が折れてしまった人は…?

同様に、金銭的な競争に敗れて、もう親を見送った独り身の人が、万が一「もういいかな」と思ったとしても、それを他人が止める権利はないのです。

高齢者や介護負担の大きい家族が他殺のための〜などの議論もありますが、もしそうだとしてもプライベートな話題であり、他人が口を出す問題ではありません。

生きていけるか、生きていきたいかは本人達が決めるモノで、それに意見することはあっても、選択肢を消す事は押し付けでしかありません。

 

◼︎謎

そもそもが、なぜそんなに他人に生きていてもらいたいと思うのか?

例えばですが、この記事を上げた直後に筆者が死んだとして、ここを見ている「あなた」の感情が動く事は「ない」でしょう。

あーこいつ死んだんだ、くらいです。

それと全く同じ。

自殺幇助反対派は、知り合いならまだしも、会った事のない他人の悩みを知り、状況を知り、苦境を理解し、その後のアフターケアまで責任を持って行うつもりなんですよね?

自分の生活や家族を犠牲にしながら。

今「死にたい」と思っている、その方々の意見を無視してまで。

人1人と分かり合うのはそんなに容易い事で、そこまでの興味があるのか?

…理解不能です。

「自由にさせてやれ」派なので、特に絡む事も言う事もありませんが、そんなに簡単に説得されるなら「死にたいなんて言わない」んじゃないかね。

 

◼︎まとめ

学生時代を越えれば、もうそこは厳然たる格差社会です。

勝つ人もいれば負ける人もいる。

考え方や触れる情報によって、努力出来る人でも負けたり、ただ楽しんでるやつがそこそこの金で生活していたりする。

怪我もあれば病気もあります。

何かがあって「不運な方に入ってしまった時」、もう終わりたいと思っている時に「まだ頑張れ!希望はある!」と言われても、あなたは「どう感じますか?」。

「助けてほしい」とする人は、もちろん全力で助けます。

しかしながら、死にたいとまで思ってる人は…?

 

そっ閉じが「優しさ」になるのではないかと思います。