研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

他にも働く場所はいっぱいあるのに、なぜそれに気付かず我慢しているのか?

 

今のそこ以外にも働く場所はいっぱいある。

 

筆者は2018年に3社、コロナ直撃の2020年に10社受けて、転職を決めている。

2回転職して思ったのが「働ける場所なぞいくらでもある」という事。

それは一般的にはあまり知られていない事なのかもしれない。

 

◾︎「仕事辞めた」というと、似通った反応がくる

代表的なのは、「我慢して残った方がいい」。

もう一つは、「生活大丈夫なの?」。

そして最後は、「働くとこあるの?」だ。

いずれも大丈夫なんだが、経験したコトない人には想像できないらしい。

我慢してまでそこに残る必要はないし、次の働く場所を探せば良い。

生活は、贅沢をしなければ生きていける程度に金銭はある。

余裕ではないがカツカツ貧困生活でもないし、今のまま一生過ごすわけでもない。

それは他の人にしても同じだろうし、他人があれこれ言う必要もない。

 

◾︎なぜ「我慢しなければならないのか?」

結構な頻度で言われる「我慢」という言葉。

その耐える意味を問いたい。

「金銭のために仕事をしてる」なら、それは耐える必要があるだろう。

それは「金銭を貰う」という対価に対しての努力であり、必要な労力。

もしくは「好きなコトで食うために仕事をしている」。

それも「好きなコトで対価を貰うために我慢する必要がある」。

 

しかしながら、金銭的にも大したコトがなく、中身も好きでもない仕事をしているのに「我慢しろ」と言う。

逆に問いたい。

なぜそこで我慢して働いているのか?と。

 

◾︎我慢する「意味」を問う

なぜそこで働くのか?

金銭なのか、好きな対価なのか?

それとも別の何かなのか?

あなたはなぜそこで働き、我慢するのか?

その我慢はあなたが欲しい対価として正しいモノなのか??

きちんと自分に問うてみて欲しい。

 

◾︎まとめ

働く場所はいっぱいある。

仕事辞めても死にはしない。

しかしながら、辞めたと言うと「我慢しろ」と言う。

では、なぜ「あなたはその仕事で」「そこまでの我慢をしているのか?」。

あなたの貰っている対価に見合った我慢なのか?

自分の中で明確な答えが出ていれば、他人に対して我慢を強要することはなく、自分のやりたい事に集中しているでしょう。

今一度、自分に問うて見ていただきたい。

その我慢は正しいコトなのか?と。