研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

どこまで他人に本心を明かすべきか?

 

このブログを他人に明かしているのか?というクリティカルな問いをもらった。

ので、その答えをば。

 

■本音を吐露するかどうかは「相手による」

筆者のブログは基本的にリアルな友人関係には明かしていない。

理由は簡単で「気分を害する可能性があるから」。

このブログは全て俺の主観であり、俺の「一方的な考え」で出来てる。

相互でコミュニケーションできる友人との会話であれば、俺だけ一方的に伝える事はない。

友人が何を重視していて、何を軽視しているのか?

大体はその文脈に合わせて発言する。

その中で「自分と似ていると思えば発言する」し、違うと思えば「相手の気分を害さない範囲で発言する」。

まあ「相手のためになる」と思えば気分を害する発言もするが、基本的には余計なことは言わない。

それは何故なのか?

 

■友人とは「楽しく過ごしたい」

俺が友人と過ごすのは「楽しい時間が過ごせるから」。

俺の意見を聞いてもらえるからでもないし、損益が出るからでもない。

ただ単純に「その人の意見が聞きたくて」「言う事が面白い」から、「その人とコミュニケーションをしたい」。

俺は友人にコミュニケーション「してもらっている」のである。

俺が一緒にいて楽しい人に、気分が悪くなるような可能性のあることをわざわざぶつけたりしない。

「ブログに書くように一方的に意見をぶつける事をコミュニケーションとは言わない」のだよ。

 

■本音が噛み合う人もいる

一個前に好きになった女性がまさにそれ。

徐々にお互い意見を言うようになっていき、お互いの意見を必要としていく関係になった。

もの凄く聡明で、俺が何を言っても的確で適切な意見をくれた。

似たような経験をしていて、苦労もしていて、良い事も知っていて、今ちゃんと現実に生きている人だった。

ちなみに、ここまで噛み合った人は他にいない。

同士と言うよりは先達に近いレベルであり、男女の関係性としてはあまり良くなかったかもしれないが、それは凄く濃密な体験でもあった。

そのくらい噛み合ってないと、軋轢を生む可能性がある。

 

■相手との関係性や理解度などの上に本音の吐露がある

少しづつお互いの事を知り、少しづつ意見を出していく。

「これ同じだね」「これも同じだね」と少しづつ確認していく。

その上で「聞いて欲しい事があるんだけどさ」と言って、本音を切り出していく。

ここでもベースとなるのは「相手の意見が欲しいから言った」という事。

だって誰でもいいわけでしょ?

違うだろ。

「そいつにだからこそ聞いて欲しい」のであり、その「聞いてもらった結果としての意見が欲しい」から、わざわざその人に言う。

誰でもいいならブログで不特定多数に向けてやればいい。

わざわざ言う必要のある相手に言う。

 

■その女性を好きになったのは「俺」であり、相手を操作しようとしたわけじゃない

ここが極めて重要。

「選択権は相手にある」。

俺にできるのは「好きだと伝える事だけ」。

それに応じてくれるかどうかは「女性が決める事」。

ここで感情操作をしようとするから拗れるのであり、だからこそ誰にも相手にされなくなる。

お前の感情はお前のモノだが、相手の感情は相手のモノ。

感情の選択権は「相手も同等に持つ」。

俺がいいと思う事と、相手がいいと思う事は「別」。

「俺があなたの事を良いと思った」のである。

それをあなたがキモいと感じようが、嬉しいと感じようが、それは「あなたの自由」。

俺は、それを「嬉しいと感じてくれる女性を選ぶ」。

その選択の自由が俺にもある。

俺が良い女性だと伝え、相手もいい男性だと受けてくれる人。

極論を言えばそういう女性を探しているのであり、それ以外の女はどうでもいい。

 

■まとめ

このブログをリアルな交友関係で明かすか?

基本的には「明かさない」。

俺は友人と「楽しく過ごしたい」のであり、気分を害する可能性のあることをわざわざ言わない。

しかしながら、「よっぽど価値観が似てる」か、「どうしてもこの人の意見が欲しい」と思う人には「明かす」。

それは「相手との関係性の上に成り立つ」。

見ず知らずの誰かに無差別に言うのならブログで明かすのと変わらない。

 

そして「あなたの選択権はあなたにある」。

もし俺があなたを好きだったとしても、あなたが俺の事を好きではないのは「当たり前」。

「俺があなたを好きな事」と「あなたが俺を好きである事」は「イコールではない」。

あなたが俺を嫌いであるかもしれないし、俺があなたを嫌いかもしれない。

俺はその中から「俺の事を好きだと言ってくれる人を選ぶ」。

正直に言うと俺の中で、「俺が好きな人」と「俺を好んでくれる人」と、「その他の人」には「明確な扱いの差がある」。

嫌いなやつは見なくていいし、どうでもいい。

好きな人と一緒にいる方が楽しいし、ためになる時間が過ごせる。

それを選択するのも「俺」である。

 

他人にどれだけ明かすかを選択するのは「あなた」だ。

しかしながら、その本音を打ち明けられた相手がどう思うかは「相手の選択」。

 

「人を尊重する」とは「その人の選択を受け入れる」という事。

自分にできる事、出来ない事を理解し、選択していってくださいませ。