一口に「コミュニケーション」と言われる。
しかしながら「二つの種類がある」。
同じコミュニケーションだが、求められるのは別モノ。
片方だけに焦点を当ててるから分かり難くなってる。
その辺を少し。
■コミュニケーションの役割
1、感情的交流
尺度は「喜怒哀楽」。
感情を揺り動かすコミュニケーション。
基本は「いい気持ちにさせる」。
恋人の「毛繕い会話」や、会社での飲み会の「愚痴」などがそれに当たる。
「気持ち良い」コミュニケーション。
ちなみに、「怒」を上手く使ってるやつもある。
そう。
「毒舌」。
聞いててスッキリする事を言うやつ人(有吉など)や、
「意味はないけど面白い」やつが感情的交流。
2、情報的交流
「知らない情報」や「改善」を主とした交流。
基本の尺度は「情報交換」。
こっちは、意味のないやり取りは嫌われる。
「知らない情報を与えられる」「改善出来る方法を知っている」
感情は一切関係ない。
「有益な情報を出せるかどうか?」
これが「情報的交流」。
◾︎コミュニケーションは「両方必要」
感情に配慮し、有益な情報を出す。
片方だけだと「偏る」。
有益な情報を出してるだけだと…誰とは言わないが、「ネットで有名なあの人」みたいになる。
しかしながら、感情に配慮するだけだと「役に立たない人」
実行性のある情報がない=実行力がなく、現実を前に進める事が出来ない。
有益な情報を出しつつも、他人に対する配慮を忘れない。
任天堂の故・岩田聡氏や、外山滋比古氏などのように、まず「
両方を使う。
コミュニケーションの上手い人は「感情」と「情報」の両方を持つ。
◾︎コミュニケーションが難しいのは「当たり前」
「自分が経験した感情と情報で構成する」から。
言われてムカついた事、嬉しかった事などがあるから「じゃあこういう風にしよう」という発想が生まれる。
自分が知っている情報があるから、それをどう構成して伝えるのかを考える事ができる。
知らないし、経験もしたことがない出来事は「自分の頭にはない」。
ないから言われても分からないし、伝える事もできない。
年齢が上がるほど話が上手くなり、伝え方が上手くなるのは「ごく当たり前」。
人とのコミュニケーションは、パターン化するモノではなく「自分の中から生まれるモノ」。
それだけ「難しい」。
■まとめ
コミュニケーション。
それは「感情的交流」と「情報的交流」。
慰めあって、愚痴を言ってるのは「気持ち良い」が、「前に進まない」。
しかしながら、感情を抜きに「じゃあ辞めれば良いじゃん」っていうのは「非人間的」。
愚痴に理解を示しながらも、同時に解決する方法を示すのが「最適なコミュニケーション」。
どれか1つではない。
全部必要。
コミュニケーションが難しいのは「当たり前」。
自分の経験した感情と情報で作り上げるから。
それでも自分の言葉で喋る事で、少しづつ上手くなっていく。
相手に合わせつつも、自分の言葉を喋りましょう。
相手の話を聞くだけじゃダメ。
自分の話をするだけじゃダメ。
両方必要。
そんな感じで。