昔っからそうだったっぽいが最近確信した。
社会怖え。
◾︎見知らぬモノを怖がる「怖がり」
とかく「怖がり」。
初めての場所、初めての人が怖え。
よっぽど「やらなきゃいけない事」があれば行くし、そこに知り合いがいれば足取りが軽くなる。
しかしながら、一人で行動する時は知らないモノを避ける。
怖えから色々分析しつつ(考えつつ)接するから、疲れちゃう。
◾︎何回か行けば平気だが、何ヶ月か行かないと振り出しに戻る
これが面白い所。
怖い怖いと言いつつ、3回くらい行けば「慣れる」。
ひと通り分析が終わって、とりあえず「ここは大丈夫だ」と自分で納得できれば平気になる。
しかしながら、何ヶ月も行かないと「また怖くなる」。
忘れてたり変わったりしてるから、またイチから分析し直しになる。
知ってるものがある分「多少は楽になる」が、警戒からの分析で疲れてしまう。
◾︎怖がりは怖がりなりの生き方をしよう
今まで「怖いのなんて甘えだ」と思ってきた。
…が、怖いモノは怖い。
新しい場所や人は須らく怖い。
自分一人でやれる事なんざ相当に限られてる。
その「限られた中からの選択」が重視であって、これが現実。
俺は皆んなみたいに「やれば出来るとは思わない」し、無限の可能性が自分にあるとは思わない。
ただ自分にできる事を少しずつやっていくしかなく、しかしながら夢を見る事が楽しい事でもない。
ひたすら「怖い現実」に向き合って、自分ができる事の中から選択していくしかない。
「選択肢なんざ初めから無かったんだ」と。
ある意味では「凄くスッキリした」。
まとめ‥は「ない」。
まだ抽象化できてなくて、独白に近い内容になった。
これと向き合ってればいずれは抽象化できて、上手に説明できる時が来るだろう。
ひとまずは「こんな感じ」で。