久しぶりにFGOを5時間やったんだけど、充実感よりも何やってんだろ感が強い。
これはネットでくだらない2ちゃん系記事を数時間読みこんだ読後感に近い。
この感覚を言語化してみる。
◾︎現実に使えないモノは「お菓子」
例えば「ゲームの動画を見る」としよう。
そのゲームを実際に自分でやるために見るのは無駄じゃない。
しかしながら、ただ見るために見るのであれば無駄な時間。
なんつーか、前者は自分の体験として楽しみたいのに対し、後者はただ知りたいだけ。
本を読むってのも似た部分があって、ただ知る事が楽しいってのは結果的に無意味な時間になる。
◾︎体験しよう
自分が楽しむためにそれを使う。
意味のある情報と、ない情報を分ける。
俺がNBAの動画が好きなのは、実際にバスケをプレーするから。
同じプレーはできないとしても、「あれやってみたい」とか、「ああいうやり方をすると有効なのか」ってのを学んで、実際にやってみるために活かしてるから観ていて楽しい。
これがただ「解説するために見てる」とか、「プレーの内容が分かんないけど見てる」ってんなら、ここまで長時間楽しく見る事はできない。
ゲーム動画でも同じ。
現役の頃はギルティの動画を鬼のように見てたが、それは実際のプレーに活かせるから。
昨今、全くやった事ないのにコメントしてるやつがいる。
こういうやつは楽しむ機会を失ってる。
実際に自分でやった方が楽しいし、それがあるから見てても楽しい。
◾︎実際にやらない情報はいらない情報
だってやらないんだから。
その知識必要ないでしょ?
そういうのが薄っすら分かってるから、ネットで無駄に時間を使った後の徒労感がすごい。
◾︎高尚な事が書いてある本も同じ
試したくなる情報がない本の読後感も全く同じ。
例えば、「脳を鍛えるには運動はしかない!」って名書がある。
これは、10分運動すると気分が良くなって、長期的にも頭が良くなる(体脂肪や炎症やらの関係で)よ、ってのが書いてある。
しかしながら、これを見て運動をしたくなるかは別。
頭でっかちなタイプは「そうか!運動で頭が良くなるから運動しよう!」と思うだろう。
でも、普通の感性を持ってる人は「メンドくせえ…」と思うのよ。
それよりも「楽しそうにランニングしてる動画」とか、「気持ち良さそうにヨガをしてる動画」を見る。
すると、「あれ楽しそうだからやってみたい」となる。
◾︎「楽しそうだから体験してみたい」のであって、「役に立つから体験したいわけじゃない」
俺含む頭でっかちは「役に立ちそうだから」ってんで体験を選択する。
結果、役に立つけど超つまんないのよ。
望む結果は手に入ってるんだけど、感情が全然満足してない。
それじゃないんだ。
自分が求めてるのは。
そんな事よりも、楽しい事がしたい。
役に立たなくても、不完全でも、不健康でも。
そういう自分の感情の動きに忠実になる事で物事を動かす。
すると、「感覚が動くモノ」と「徒労感が勝るもの」の区別が明確になる。
◾︎ネットはマジで味がしない
FGO5時間だぞ?
5時間も外で全力で遊んだら超疲れるし、かなり遠くまで行ける。
ゲームであれば、上達を感じれるくらいの時間をかけてる。
しかしながら、 ネットや読書では「何一つ上達しない」。
ただ頭が疲れるだけ。
超無駄。
そんな時間は減らして、自分が楽しい体験をするための時間を使おう。
◾︎まとめ
無駄な時間は極力減らそう。
「徒労感」だわマジで。
深夜2時まで超無駄な時間を過ごしたあげく、睡眠時間も減り、概日リズムも狂い、頭だけ超疲れてる。
んで、ハンパに興奮して「寝付けない」から、さらに無駄にブログ書いてるっていう。
何重にも無駄。
明日起きたら10時過ぎだろうし、怠くて出かける気もしないだろうし、頭のキレも鈍いだろうから、大事な考え事をする事もできない。
その上、これを戻すために、少しきつめの運動を「嫌だけど調整のためにやらなくちゃいけない」。
リズムが乱れたままだとさらに寝れないんで、明日クッソ怠くても無理して動いて、疲労で寝つきを良くする必要がある。
そうしないとまた繰り返す可能性が高い。
たった1日徒労感しかないネットをしただけで、これほどまでの調整が必要になる。
なにこれ?
無駄にもほどがある。
皆さまにおかれましては、日々「体験」に重きを置き、それ以外の事は極力減らすのをオススメ致します。
さあ寝るか。
*只今2018/11/25午前3:30
明日の調整メンドくせえええぇぇ〜。