研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

文章を書くのって結構エネルギーを使う。

 

意外と大変。

他の事ができなくなるほどに。

 

◾︎キツいポイント

1、1人で言語化する

相手に「何を」「どう伝えるか?」って考えるのがめちゃくちゃ大変。

対面であれば、声質や態度、ジェスチャーなんかで伝えられる。

その上で、しかも相手の理解度も分かる。

分からない、伝わってない、興味がないなら「そういうリアクションになる」。

んで、対応(伝える内容)が変えられる。

文章で伝えようとすると、全てを自分で決めないといけない。

対面コミュニケーションなら、相手と一緒に作れる。

なもんで、文章を作った後は「思ったより疲れてる」。

 

2、言語の整理

伝え方を決めたら次は言葉を選ぶ。

どういう表現で、どういう感じで伝えるか?

これも対面であれば、相手の雰囲気に合わせられる。

相手がヤンキーっぽい人であれば「感情ベースでワザと雑な言葉を使った表現」をする。

頭が良さそうな人であれば「理論整然とした喋りと有名な本からの引用を多く」する。

女性であれば「優しい語句で褒め言葉を多くする」など。

このポイントは自然に行われるという事。

意識的に自分を観察すると分かるが、相手の空気に応じて自分の対応が変わる。

しかしながら、相手の空気感が分からないブログだと指針がない。

あなたは俺からは見えない。

だから、「だぶんこうだろう」という予想で書く。

…ぶっちゃけて言うとこれが超気持ち悪い。

「自分に語りかけるようでいて、他人に意識が向いていて、しかしながらあなたの姿は見えない」。

俺はどこの誰に向かってこれを書いてるのかが分からない。

完全に割り切って、頻繁にコメントをくれる方や、高頻度で星をくれる人向けに書けばいいと思う部分もあるが、今度はその方々が欲してる情報が分からない。

その結果、もう自分が思った通りに書くしかない。

対面なら一瞬で解決する事が、文章にするとわけ分かんない部分で迷うことになって整理するのに物凄く労力を使う。

終わった後で謎の興奮がある。

 

◾︎文章は文章用のエネルギーとコミュニケーションが必要

その労力は現実でコミュニケーションするのと同等かそれ以上の特殊なエネルギーを必要とする。

言語世界の表現力とでも言うべき能力。

これの表現に直すための労力がいる。

しかもそれは現実世界で求められるモノとは違う。

 

◾︎現実世界は「相手と作るもの」。文章は「自分で完結するモノ」

現実世界は相手がいる。

目の前の相手と一緒に意見を伝え合って目標に向かう。

それは決して一方的ではなく、自分と相手の意見を折衷で出来上がる。

ファジーな部分も大量にあるが、自分に無かった発想や楽しさがある。

文章の世界は「自分の頭で完結する」。

相手の姿は目の前にない。

自分の意見で世界の全てが構成される。

その世界での整合性が取れていればいい。

ファジーな部分はなく、完璧に自分の理想を表現できるが、自分の世界の発想しかない。

それ以上の楽しさはなく、自分の理想世界で全てが終わる。

どっちがいいか…は、もう分かるな?

俺はあなたに作家になって欲しくないし、ここで完結して欲しくない。

そして、俺はここで完結して終わるつもりはない。

ユートピアで遊ぶのはそろそろ終わりにして、相手がいる世界に戻りましょう。

 

◾︎まとめ

文章ってマジでエネルギーを使う。

エネルギーを使う理由は、文章用のモードになる必要があるから。

それは、現実世界で必要とされるものとはかけ離れてる。

文章は自己完結させなければならない。

自分1人で書き、自分の世界で物事を行わなくてはならないから。

それは非常に寂しい作業になる。

その上、めっちゃ疲れる。

現実のコミュニケーションは相手がいて、相手のリアクションがある。

それは必ずしも望ましいものではないかもしれないが、自分の発想を越えた面白さがある。

相手からエネルギーを貰えるし、相手に合わせた発想から出る自分にないものを貰う事ができる。

こっちにエネルギーを注ぐことで、自分の世界と発想が広がっていく。

ちなみに、これも俺の世界と発想から出てるモノだから注意な。

俺の表現するこの場所では整合性が取れてるが、実際に現実で同じ事が言えるかは分からない。

この辺の「メタっぷり」が分かると、非常に面白くなる。

俺はもうユートピアではやり尽くした。

ここで出来ることはもうない。

予想外が待つ現実へ出て行くタイミングが来た。

しっかりと目の前の出来事に集中していきましょう。

それこそが現実なのだから。