色々動いてみて、殊更にこの感覚の意味が分かった。
〇〇を達成するために頑張んなきゃ!って「自分の感情を切り捨ててると」これは起きる。
◾︎気持ちいい場所=合う場所
基準を「他人に投げない」。
結果を出してるからと言って「そこが気持ちいい場所とは限らない」。
例えば「金を稼ぎたい」とする。
その場合、結果を出してる人の手法をパクっても「それが快適かは分からない」。
それ以前に、何か「モヤっとした感覚」があったら、そっちを大事にする。
もしくは、一般的にはハマらなくても、自分にとって気持ちいいと感じるなら、それを大事にする。
動いてて気持ちいい方向に動き出す。
◾︎結果はあくまでも「結果」
そいつが偉いわけじゃない。
一度基準を思い切り下げると、それがよく分かる。
⚫︎自分が「ハマる場所」が「いい場所」
世間的な「いい学校」「いい企業」「いい給与」「いい女」って基準を「壊す」。
んで自分がハマる場所ってのを「完全に1から見直す」。
クソみたいな給与でアホほど働かされても、自分がそこで快適であれば問題ない。
…いや、あるんだって。
長時間労働でも内容的に問題ないってやつが。
俺は今の「クソブログ生活」で、自由すぎる時間を持て余してる。
今の生活って「超つまんねえ」んだわ。
誰の役に立ってるかも分からず、読まれる記事を書くのが面倒。
それよりも対面で連携しながら物事を前に進める方が楽しい。
逆に「ブログの自由生活が楽しくてしょうがない」って人もいる。
っつか、通常ブログを書いてる人は「そっち」。
1人で考えて、自由に行動できて、自分の裁量で好き勝手決められる。
働く時間も、遊ぶ時間も、交流する時間も「全て自分で決められる」。
これが楽しいかどうか?
俺はブログで指示されたくねーが、自由裁量で情熱を持つほど楽しくもない。
◾︎結局は「自分に合うかどうか?」
とにかく基準を引き下げて「全て受け入れろ」。
安月給でも快適なら「そこが居場所」だし、見た目はブスでも自分にとって最高に可愛いなら「それが最愛の女」。
正解はない。
誰もが羨む仕事をし、誰もが羨む女を従えていたとしても「自分が快適とは限らない」。
自分の感覚を信じ、自分に合った場所へ行く決意を決めよう。