研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

なんかちょっと橘玲氏に似てきた気がする。「天才」のお話し。

 

作家であり投資家であり、資産1億円突破した「マルチな活動家」。

最も有名な著書は「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方」。

これは「マジで読んどけ」。

思わず太字で書くくらいの「名書」。

特に、わざわざこのブログのトップを見てるくらい「俺の感性に近い方」は、100%役に立つ上に楽しく読める。

 

んで、まあ去年出た「残酷すぎる成功法則 9割間違える「その常識」を科学する」って本が非常に面白いと同時に、似たような事思ってるな、と。

 

◾︎成功は「普通じゃないから」成功する

普通の人は「普通」。

一般的に言われる「優れてる人」は、いわゆる「普通の尺度で優れてる人」。

少し勉強が出来るとか、少し仕事が出来るとかその程度。

真の成功者は違う。

「完全に異能」。

それは一般社会から弾かれるほど。

例えば、明石家さんまにしろ、ビートたけしにしろ、「普通の社会には適応できない」。

「うるさい人」「おかしい人」ってレッテルを貼られるのは「火を見るよりも明らか」。

あんなに話を聞いてくれる人はいないし、ぶっ飛んだ面白いことをしても冷笑を喰らいかねない。

リクルートの誰かが言ってたが、「普通に会社で働ける人間は社長になれない」っていう。

堀江にしろ、ジョブズにしろ、「誰かの下で使われてる」って絵が想像できない。

東大生だって「特殊さの1つ」。

勉強が出来るという頭脳的な特殊性と、「強迫(観念)的に勉強に打ち込める」っていう事。

普通の人は「あんなに勉強できない」。

1日3時間以上も勉強してたら「頭がおかしくなる」。

1年間…どころか、それ以前から「ある程度の勉強時間を取ってる」。

1日数時間も「全く興味のない事」に取り組めるという凄さ」。

こういう「特殊な部分」に「真の強みがある」。

 

◾︎弱点でも良い

東大に受かるようなやつが「強迫症傾向がある」事は先に述べた。

こういうやつは「融通が利かない」。

ブログ界だと「イケハヤ」とか「はあちゅう」なんかは完璧にそれ。

自分が「これだ!」と思った事「以外の結果を受け付けない」。

例えば「学校で一番可愛いやつと付き合いたい」とする。

その場合、普通の人であれば「無理じゃん」っつか「そこまでやんのめんどくせえ」と思う。

競争すんの面倒くせえし、その辺にいる女で「充分可愛い」。

しかしながら、強迫症のやつは違う。

「一番可愛い子」に行く。

こいつが「どんなに性格が悪くても」行く。

そこから「目標が修正できない」。

例えばだが、「男と出会いがない3大職業」というのがある。

「看護師」「保育士」「女性美容系(整形、エステ、ネイルなど)」。

これはもう「ガチで出会いがない」。

実際、出会い系で会えた女の子も「看護師」。

普通に性格良くて、しかしながらダメな男と付き合ってて、俺に乗り換え希望だった。

*話し聞いてたらホントに情けねえ男(女性どうこうじゃなく「人と上手にコミュニケーションを取れないタイプ」だった)で、「女性側に共感しちまった」ため不問とする。

そういう「目標を変える柔軟性」がない。

逆に言えば「ない事によって」真っ直ぐ目標に向かっていける。

同じように「神経症傾向がある人」は「創造性に優れる」という事も分かってる。

最近で言えば「米津玄師」。

米津は「高機能自閉症」だという事が分かってる。

特徴は…

・人に興味を示さない

・特定の範囲に対して強いこだわりがある

・言語能力の発達が遅い

・自分とは違う価値観の人に対する理解が遅い

・空気を読むことができない(暗黙のルールが守れない)

簡単に言えば「コミュニケーションが取れない」。

「だからこそ」自分の色を獲得出来る。

他人から影響を受けず、特定分野に強い興味を持ち、暗黙のルールを守らない。

それ即ち「オリジナリティ」。

もちろん「本人は苦しい」。

なんせ「他人とコミュニケーションが取れない」んだ。

「あれ面白くね!?」「超面白かった!」っていう「ザ・共感トークができない」。

しかもその上で、自分の興味・関心がある分野で「同じ視点の人がいない」。

いないからこそ「オリジナル」なのであり、それは「会話ができない」という事。

実際どのレベルで他人とコミュニケーションが取れないのかは分からないが、俺らが普通に友達と会う感覚とはまた違う感覚だろう。

 

◾︎成功は「必ずしもいい事ではない」

成功は「異端である」という事。

ある種の異端でなければ「突き抜けられない」。

逆に、日常を快適に過ごせるのなら「普通」だという事。

「普通に恋愛して」「普通に結婚して」「普通に子育てして」「普通に家を買って」「普通に老いていく」。

その「普通」は、凄く幸せじゃないだろうか?

あなたは「世界を動かすような事がしたいのか?」。

名を残すような偉業を達成したいのか?

それよりも、目の前の大事な女と一緒に大事な子供を育てて、普通な日常の中に大事な温かさによって「芯がある人生」の方が幸せではないか?

最近気付いたんだけど、俺が好きな人って「凄まじい柔軟性を持つ人」なんだわ。

これは特に「異性において当てはまる」。

自分の意見なんてないんじゃないか?ってくらい、「あらゆる視点を持ち」

「物事にまじめに取り組み」

「人に対して丁寧に接する」

こういう「日常を大切にしてる人」ってのが物凄く魅力的に見える。

優れているのはもちろん大事ではある。

しかしながら、それによって「得られたはずの平穏すらなくなってしまう」のなら、あなたはどちらを選ぶだろうか?

ある程度は両立できる。

しかしながらそれは「上位30%までの世界」。

*年収500〜800万くらいのライン。

それ以上は「天才が住む世界」。

その扉は重く、もし開いているとしたら「帰ってこれない」。

あなたは「どちら側にいるだろうか?」。

 

◾︎まとめ

成功者は「先天的要素が強い」。

あなたの強みは「弱点の中にある」。

そういう一般の尺度で測れないから「天才」。

それ故に「幸せとは限らない」。

自分のイメージする「幸せ」はどういうものなのか?

そのイメージに向かって「強迫的に頑張れるのか?」。

それとも「柔軟性を持って取り組めるのか?」。

答えは「自分の中にある」。

自分の特性は「活かす」。

望む人生を生きていきましょう。