思い付きで選んだモノほど「自分に合ってる」っていう。
今日、久しぶりに会った友人と話してて確信した。
◾︎本当に「何の気なしに選んだそれ」
友人とは、奇しくも「ハローワーク」で出会った。
んで、友人が受けようとしてる職業は絞られていた。
「なんでその業界選んだの?」って訊いたら「なんとなく」と。
話し聞いてると、明らかにそいつの特性と職業の特性が「マッチしてた」。
俺が12年やった接客販売もキッカケは「なんとなく」だった。
◾︎頭で決めたやり方は「上手くいかない」
金が稼げるからこれをやるとか、目的を達成するためにこれをやるとか。
やりたくない事を頑張ってる状態になる。
これを続けると「感性が濁っていく」。
これいいじゃん!っつって飛びつけなくなる。
結果「停滞する」。
◾︎ただ普通に決める
「あ、俺にも出来そうだな」って感じ。
職業選択ともなれば非常に難しいが、とりあえず生きていく上では「感覚」を大事にした方がいい。
むしろ「そこ」に、あなたの特性が眠っている。
*余談
ちなみに他の場所では「鳥が飛べるように当たり前にできることをする」と表現される。
実は、鳥が飛べるのは「当たり前じゃない」。
あれ、巣立つ時に半数くらい亡くなってるからね。
「飛べる鳥だけが生き残ってる」から、全ての鳥が飛べるように見えるだけ。
そうじゃなくて「もっと自然にできること」。
人に声をかけられるとか、楽しく会話できるとか、1人で行動できるとか、そういうレベルのモノ。
そこから「発想を広げていく」。
対人が得意なら接客業が向いてるし、1人で行動できるなら事務方で単独で動いたり、あまり人と関わらずに自由にやれる職業がある。
あくまでも「取っ掛かりとしての」自然にできること。
しかしながら、自分に深く根ざしてる部分だけに期待を裏切らない。
非常に重要なポイントだと感じてる。
◾︎まとめ
「なんとなく」に「答えがある」。
俺もブログを始めたキッカケは「俺のが上手く書けるだろ」だったし、12年やった接客販売は「とりあえずやってみよう」だった。
投資や不動産は試す前から気乗りしなかったし、今の就活もイマイチ気乗りしない。
気乗りしないモノは「それなりの理由があり」、なんとなくで気楽に始められるものは「それなりの理由がある」。
振りかぶってやらなきゃいけないのは「感性が死んでる証拠」。
もっともっと「気楽にできること」に、自分の可能性が眠ってる。
自分が「ごく自然に楽しんでる事」
自分が「ごく自然に始められる事」
これをしよう。
無理をしない。
「あなたが自然にできること」
これに意識を当てて生活をしよう。