凄いね。
芸能って、求められるのは「人間性」。
「芸=芸術、芸能」。
システムの真逆。
◾︎85〜92年までの全盛期の方々
いやもう「めちゃくちゃ面白い」。
なんでか?って感じた事を少し。
◾︎人間臭い
人格そのまま。
全然無理してない。
そのおかげで観客との距離がめちゃくちゃ近い。
観客が自分の話を聞いてくれるのを嬉しがってる(さんまが明言してる)し、芸能界での仲間を大事にしてるし(ビートたけしの大橋巨泉のくだりとか)。
「売れたい」とか、「金が欲しい」とか、そういったモノは二の次。
「そこにいるのが楽しい」し、そのために頑張るというか、観客も自分も楽しむために楽しい事をしてる。
変な話、芸能界以外じゃハマらない(芸=芸術系ではハマるが)と思えるくらい、そこにハマってる。
◾︎目的が全然違う
自分が楽しむこと=観客が楽しむこと
この場所が楽しくて、そこに居場所がある。
サラリーマンなんて絶対にやれないだろうし、変な真面目さはむしろいらない。
バカやって楽しんで、人も楽しませる。
不純物が何も入ってない。
あの頃の芸能人は、皆んなそんな感じ。
凄えリラックスしてる。
◾︎今のテレビは不純物ばかり
なんのためにそこにいるのか?
有名になりたいからなのか?
金が欲しいからなのか?
「自分が楽しいからそこにいるんじゃないのか?」
「人を楽しませるためにそこにいるんじゃないのか?」。
別に芸能じゃなくていんじゃね?っていう。
◾︎閾値は「確実にある」
例えば、ニコ動。
最初は「純粋にコンテンツを作るのが楽しい人達」が集っていた。
2004年の「騒動」以後、名前が先行しだした。
そこから「生放送」開始後に「有名になろう」という人たちが現れた。
有名になろうとするやつと、それに集るやつが占拠し、一気に質が落ちた。
ユーチューブでも似たような系譜を辿ってる。
真のコンテンツホルダーが消え、ヒカキンやはじめ社長のような輩が現れた。
⚫︎純粋な動機がなくなった
amebaTVもそうだが「純粋に面白いことしよう」って気概が「ない」。
ここで言う純粋さは「採算度外視」という事。
金をかければいいってことではなく、「誰も見てくれなくてもいいから最高に面白いものを作ろう」って事。
指原や斎藤工が言及して有名になった「カメラを止めるな」という映画がある。
これは情熱だけで作った「低予算映画」。
なんと「200万で製作された」。
こういう「ただ純粋に良いものを作ろう」っていうモノがマジでなくなった。
どこに行っても「SNSが付いて回る」。
あげく「マーケティング重視」とか、頭でっかちな世界が広がり、そいつらが跋扈する事になった。
クソつまんねえ時代になったな〜。
◾︎テメーがいいと思うモノに「殉じよう」
「今だからこそ」自分の意思で決めよう。
情報が行き渡るようになって、自己判断するのがめちゃくちゃ難しくなってる。
他人の価値観は簡単に手に入り、他人の罵倒が目に入る。
「その上で」全部それを撥ね返そう。
自分が「純粋な意思を持てるもの」を大事にしよう。
金でも名前でもなく「楽しいこと」を。
こんな中だからこそ「純粋に生きよう」。