諸説出てる。
こんなのとか。
俺の基本的な考え方と、最も解説を見たい人を紹介しようと思う。
◾︎まず「天才」のご紹介
近年最高の才能をご紹介。
「読んで」。
マジで。
絶対に後悔しないから。
この人に最新刊の解説っつか、気が向いたモノを何でも書いて欲しいが、それはまた別のお話し。
とにかく「見て欲しい」。
んで、解説の基礎に。
◾︎俺の読み解き方
「自分が制作するとしたら?」という視点で考える。
例えば、ブログ記事を作るとする。
「ガチガチで作る」場合を考える。
1、タイトル出し
主題を何にするか「ふわっと」決める。
2、細かくネタを拾ってくる
関連のネタを幅広く拾ってくる。
実際に起こり得る事、実証性あるものを拾ってきて、現実準拠で考える。
ぶっ飛んだやつとかも拾ってみる場合もある。
3、整合性を取る
理論が通る形に直す。
「現実に起こり得るモノ」に直す。
4、反証する
「それが本当に正しいのか?」と考える。
その考えの「根元になってる部分が崩れたらどうなるか?」と反証する。
例えば、頭脳派のモテ解説は「進化心理学」と、「人間性心理学」が元になってる場合が多い。
だから、もし「これが嘘だったとしたら?」という視点で考える。
自分の感情を見ると自分が生きることが第1で、誰かと何かをするのって「その後じゃね?」とか。
で、オリジナル理論にして結論にする。
◾︎芸術家の作り方
「自分の感情を作品にする」。
自分がやって楽しかったこと、やったら楽しいこと、苦しかったこと、寂しかったこと、ふわりと心が温まったことなんかを「作品に落とし込む」。
その中で「こんなのあったらもっと面白い」とかのロジックを仕込む。
文章だと表現手法が限られてるし「そこまでやる気がない」ってのと、「今は寂しさをしかない」から、感情を出すとヤバイことになる。
本来は「こっち」をやってみたいところではある。
◾︎そういう作り方をしてると「推察するならば」
これが「考察」。
だから、俺なら無駄に捻った事はしないと「考察」する。
34巻のタイマンが「嘘でした」ってなったら「興醒め」。
あれはあくまでも「お互いのプライドにかけて」一対一だったと思いたい。
…まあ、これじゃ「面白くない」から、Googleさんには評価されない。
だからまあ「これはこれ」。
◾︎感情が動く事をしよう
自身が「楽しい」と思うことを書いてれば「楽しい」。
俺はしばらくメンタル状況が良くないから、書いててあんま楽しくない。
直近だとBUMP OF CHICKENのイノセント考察は楽しかったけど、あれくらい。
俺が楽しいのは、書いてる時よりも「人と話してる時」。
イラつく事もあるし、上手くいかない事も多いけど「人と目的を持って話してる時の楽しさ」ってのは、文章を書いてる100倍は楽しい。
とりあえず飲みに行って、色んな話聞いて、ダラダラと内容の濃い話をして、翌日から現実世界に戻る。
ままならねえ現実を愚痴りながら、もう一度現実に挑んでいく。
その中で、何か伝えたいことがあったら文章にする。
今みたいに「ダラダラと文章を書いてる」のは、全然楽しくない。
*現在の記事作成の方法
ざっとネット見て、気になる記事があったら反証と根拠を明示して1記事仕上げる感じ。
凄え何かを伝えたいわけでもないし、記事に熱量がない。
思ったことをツラツラ書くだけ。
外を駆けずり回って伝えたいことが溜まってから書いたら、さぞ素敵な文章になるんだろうなとは思う。
なもんで「熱量があることをする」方がいい。
今は「手間をかけるほどやりたい事がない」。
暇で金がなくて寂しい。
…が、それを打破するやる気もないというのが正直なところ。
毎日つまんねえんだわ。
何やると楽しいんだろうね?
とか考えつつ。
◾︎まとめ
考察は「自身の見方の反映」。
自分の考え方と、相手方の条件をどこまで入れ込んで作ってるのか?
そして「益はない」。
当たっても当たらなくてもどうでもいい。
だから「考察自体を楽しむ」のがベスト。
楽しい事をしましょうね。
それが自分のためであり、ひいては読者様のためにもなる。
ブログを書いてるなら、それは「あなたの場所」だ。
そしてこの世界も「あなたの場所」。
あなたが楽しい事をするための場所。
もし楽しくならないなら、場所を変えるか手法を変えよう。
楽しいことをしましょう♪