ただすら「自分を信じている事」。
これだけ。
◾︎宗教家と占い師と精神障害
宗教は「誰かが言ったことを信じる」こと。
占い(命、卜、相)も「誰かが言った事を信じる」こと。
ベースと「なっているのは」何か?
そう「経典がある」。
◾︎勉強して「独自の解釈にたどり着く」
占い師は分かりやすいだろう。
詳細に決められたモノがあり、そこから引っ張ってくる「純粋な占い師」と、統一性障害を起点とする「支離滅裂な占い師」と2パターンある。
主に占い師と呼ばれるのは「前者」。
易者が由来。
宗教は、有名なので言えば麻原の「ポア」。
殺人を肯定する教えは何個かあり、それらを自分流に組み合わせて解釈して伝えた。
これらのポイントは「自分が信じている事」。
◾︎カリスマ足らんとするならば「自分を信じる」こと
占い師は「自分が正しいと思っている」。
占いの方法や解釈を「正しい」と思い、占いの結果も「正しい」と思うからこそ、「真っ直ぐに主張できる」。
宗教も同じ。
「自分が正しいと思うからこそ」人に説いて回れる。
◾︎頭脳明晰な人はカリスマになれない
常にどこかで「もしかしたら違うんじゃないか?」と思ってるから。
実際に、自分がモテたからといって「その方法が正しいとは限らない」し、自分が成功したからと言って「それが正しいとは限らない」。
それでも「自分が成功した方法は絶対に正しい」と思って主張したとしよう。
そうすると、見てる人が信じ始める。
「あれ?もしかしたらそうなのかもしれない」と。
実際に「結果は出てる」わけだから。
それが一定数を超えると「カリスマ」になる。
◾︎結果は「偶然」
芸能界に入ろう!っつったって、受けなきゃ始まらない。
顔がよくてもそれを活かす職業を選ばないこともあるし、天然で演技が上手くても役者の道に進まないかもしれない。
たまたま学校で上手くいったらそれが好きになるし、たまたまイジメられたら学校が嫌いになる。
「その程度のもの」。
結果を出してる=偉いわけでもないし、結果を出してる=優れてるわけでもない。
「たまたま上手くいっただけ」。
話を聞く価値はあるが、それを自分の意見より正しいと思うのは「間違い」。
◾︎自分がしたい事をしよう
なんにせよ「したい事をしよう」。
自分の意見を最優先で行動できれば、ただそれだけであなたは「一人前」。
信じるのは「自分」と「それを支持してくれる人」だけでいい。
否定は何処いってもあるし、どの角度からでも飛んでくる。
それが「改善に繋がる」なら、受け入れてもいい。
…が、それであなたが「つまらなくなる」なら、突っぱねればいい。
あなたを「楽しくしてくれる人」がいるはずだ。
そっちを向いて生きていこう。
◾︎まとめ
カリスマは「自分を信じる事」。
なんか「それっぽい理論」ってのは何処にでも転がってる。
これらを「上手に繋ぎ合わせて、独自の意見に仕上げる」。
これをあなたが「自分を信じて主張すれば」、ついてくる人が現れる。
その人と一緒に「楽しい方向に進めば」ハッピーエンド。
「つまんない方向に進めば」バッドエンド。
「楽しいことをしよう」