ごく当たり前のお話し。
「何を言ってるか?」は大体分かるよね?
とりあえず「対人コミュニケーション」は「自分が発した感情が返ってくる」。
◾︎まず自分がキッカケ
例えば「あなたに感謝をする」とする。
実際、こんな駄文をわざわざ読んでくれて非常にありがたい。
もしこれを読んで批判的な意見が出たとしても、それは「1つの意見」として「非常に貴重なモノ」。
過去に筆者は「読みにくい」という意見をいただいたが、それは非常に参考になってる。
もし意見をくれたら嬉しいし、意見がなくても見てくれるだけで嬉しいし、感謝してる。
⚫︎もし「あなたを批判した」とすればどうなるか?
「こんなの見にきてる時間があったらもっとリアルで頑張れよ」とか「お前みたいなモテないやつはクソだな」とか。
それは「それが返ってくる」。
「お前の方がクソじゃねーか」
「◯ねよ」
ってなる事うけあい。
そりゃそうだ。
「こっちから喧嘩を売ってる」んだから。
◾︎こちらがどういうボールを投げるか?で決まる
「痛ましい事件が起きた」とする。
それが「通り魔であれば」100%事故と言えるだろう。
しかしながら、もし「誰かに喧嘩を売っている場合」。
これは「自分の責任」だ。
「社会を正すため」的な大義名分は「エゴでしかない」。
なんであれ「批判されたらムカつく」し、「自分の権利を侵害されたら戦う」のが人間。
本来、人を批判するという事は「それほどの意味を持つ」。
ネットで手軽に意見を言えるようになってから「おかしくなってる」。
実際にヤクザめいた人と交渉するなら、意見対立した瞬間に「何が起こってもおかしくない」。
ヤンキーやヤクザを「真っ向から否定したらどうなるか?」。
そう。「そうなる」。
誰もが分かってる。
警察が守る守らない以前の問題で、まず「人と人のやり取り」なんだ。
相手を批判すれば批判されるし、相手を肯定すれば肯定される。
意見が違う事を伝えるには、「肯定を示した上で」個人的な解釈は違いますけども、と伝える。
無配慮に相手を批判すればどうなるか?
目の前の黒人に「F◯CK」と言えばどうなるか?
「同じこと」。
相手に配慮できないなら相手も配慮してくれないし、相手の事が好きじゃなければ相手も好きになってくれない。
相手に何をしてもいいと思ってれば、相手から何をされても文句を言えない。
単純なお話し。
◾︎まとめ
自分が発した感情が返ってくる。
相手を好きだと発すれば好意が返ってくるし、相手を嫌いだと発すれば悪意が返ってくる。
否定すれば否定が、肯定すれば肯定が来る。
「あなたはどういう感情を発しているだろうか?」
改めて問うてみて欲しい。