研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

めちゃイケ最終回の「前」に感じた違和感の整理。

 

みなおか」や「バナナスクール」などの10年選手と同時に終わる番組。

めちゃイケとの「温度差」をば。

 

◾︎最終回の扱い

みなおか」も「バナナスクール」も「通常放送」だった。

みなおか野猿メンバーを招いての総まとめセッション。

バナナスクールも、歴代の講師を招いての総まとめセッション。

これらの軸は何だったか?

そう「見ている人」だ。

見ている人に対して「こういう場面もあったよね、色々あってここまで来たよ。ありがとう」。

という意味で「総集編」というのは作られる。

総集編は「視聴者に人気のあるシーン」だから「皆んなが見たいもの」と一致してる可能性が高い。

人気だから作るんじゃなくて、皆んなのためになるから作る。

みなおかが「敢えて内輪で終えた」のは、皆んなが「とんねるずを見たい」から。

バナナスクールも同じ。

バナナスクールを見てくれた歴代視聴者と共に、番組を終えたいからの構成。

 

◾︎めちゃイケは?

完全に「自分達のパーティ」。

みなおかで石橋が「めちゃイケみたいに5時間やれば良かったな」と言ったのを聞いた時に、びっくりしたと同時に戦慄した。

要は「みなおかも5時間やれた」んだよ。

普通に。

みなおかの「存在感」を考えれば「普通の1時間で終わるなんてあり得ない」。

それを「とんねるず側の判断で」「普通の1時間にしましょう」と言った可能性が濃厚。

大々的に華々しく「いいともグランドフィナーレ」のような終わり方をして欲しかったにも関わらず、だ。

 

めちゃイケは大々的に「5時間」。

冷静に客観的に見て、今そこまでの規模で、しかも全部撮り下ろしで、今までの番組の「軸」を持ったまま視聴者に届けられるか?

 

ごきげんよう」は、小堺一機の1人サイコロトークだった。

みなおか」は、開始当初のみなおかを彷彿とさせる形を持って、とんねるずで締めた。

*脇にバナナマンおぎやはぎがいた事はバナナムーンゴールド(ラジオ)で明かされている。

 

では、めちゃイケはどうか?

あくまでも「当初のめちゃイケ」として思うと、むしろこの「空気読まない感」は正しい。

そういや、めちゃイケって「空気を読まない番組」だった。

よくわかんない若手芸人がバーっと前に出て行って、同世代の空気感を共有できるやつにウケて進んでいった感じ。

ジャニーズ&岡村の伝説から始まり、めちゃイケ少年愚連隊、数取団など、まあ「パーティ芸」とも言うべきノリと勢いで真っ直ぐに進んできた。

コントとも違う、トークとも違う「新しいカタチ」。

 

最後に空気読まずにブッ込んで終わるのも一興か?

という事で、最終回です。

 

◾︎まとめ

自分に合ったカタチがある。

というか「それしか出来ない」んだろうな、と。

んで、それを見てる人も望んでるし、望んで「た」。

時代に合わなくなったから退場するんだけど、それまでには確かな軌跡があった。

 

そのままですな。

「時代の流れ」。

皆んなが好きなものを見てる今だからこそ、「残っても良いんじゃないか?」と思うけど、過去の栄光を背負ってる分厳しい。

今、成功してるのは、イッテQとかクレイジージャーニー。

ほぼ「ディスカバリーチャンネル」だろあれ?

そういう「皆んなが知らない何か」を紹介出来る番組。

それか「皆んなが参加できる番組」。

マツコ&有吉のとか、ダウンタウンの疑問に応える番組。

ある種、ネットやファッションも似たようなとこがあって。

「皆んなの質問に答えるやつ」か「皆んなが疑問に思う事に答えをくれるやつ」、「皆んなが知らない何かを提供出来る人」に人気が集中してる。

「大仰で革命的な何か」じゃなくて、「日常にあるそれ」を膨らませていった方が良いのかもね。

「そういう時代」。

 

次に向かいましょう。

つっても結局は「今を生きる」しかないんだけどさ。

 

ではまた♪