研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

転職(就活)うまくいかねえ。

 

見事に3社から落とされました。

確実に行ける、もしくはまず通るだろうと 思ってたらこれだよ。

*社員じゃなくアルバイトで受けた

現実は甘くない。

という事であと4社受ける予定。

その辺の転職っつーか中途採用の情報とか。

 

▪書類選考の通過率が30~50%

面接まで行けるのが1/3~半分程度。

とりあえず、3社以上出すところからが就活の始まり。

 

▪採用が決まるまでに応募するのは「平均6~20社」

情報が錯綜してる。

引き抜き一発で決まってるやつもカウントしてるサイト(リクルートとか)はおよそ6社。

それ以外(ドゥーダ、インディードビズリーチなど)が20社とみて良かろう。

とりあえず10社前後はかかるとみて間違いなさそう。

 

▪就活は10社は受ける覚悟で始めよう

ピンポイントで行きたい企業に受かると思うのは甘いらしい。

ちょっと行きたいくらいの企業もピックアップして、10社分は確保しておくべし。

 

▪よほどやりたいことがない限り、中途採用(社員)で動くほうが楽

バイトの方が受かんだろと思ってたが、そんなこともなかった。

*俺の30代後半という年齢もある

時間がかかってもこの業界でやりたい!という強い意志がない限り、バイトでの応募はオススメしない。

だって手間は変わんねえんだもん。

一発で社員になった方が楽。

 

▪まとめ

書類選考で1/3~半分。

受かるまでに6~20社。

面接も30%程度という事だろう。

*書類選考30%×面接30%=9社かかる

就活中の皆様、とりあえず「10社は受けましょう」。

心が折れるのはそれからだ。

あと職安(ハローワーク)は完全活用で。

リクルートとかの求人は真面目な社会人専用で、キャリアに穴がある人は対象外です。

んなクソ狭い世界の求人なんざ無視して、もっと幅広い人間を対象としたものに触れましょう。

ネット専用求人はクズと言って差し支えない。

現実で働くのだから、現実で仕事を探しましょう。

 

生理的に気持ち悪い人、気持ち良い人。

 

いくつかポイントがあるので記す。

 

◾︎生理的に気持ち悪いポイント

1、不健康

主に生活習慣病系。

デブや痩せすぎだと健康面で問題が起きやすい。

*今現在起きてる場合も含め

食生活がクソ、もしくは不規則だと、問題が起きやすい。

顔色が悪いのは何かの病気を抱えていたり、などなど。

とにかく、不健康である=魅力的ではない=気持ち悪い。

例外として、食生活がちゃんとしてて運動もしてる「動けるデブ」がある。

これが唯一の例外。

 

2、汚い

コロナ騒ぎで分かる通り、汚いのは病気に直結する。

*マスクを面倒がる人は手指消毒もしないし、人混みや三密も気にしない。

汚いにも色々パターンがあるので記す。

 

2-1、ガサツ

雑ともいう。

手洗いうがいをしないタイプの人。

酷い例だと、生肉に触った手でサラダ作ったり的なやつ。

こういう人は全般に渡って汚い。

 

2-2-1、服が汚い

当然「服も汚い」。

細かいコトを面倒がるやつが、服だけが綺麗ということはない。

 

2-2-2、部屋が汚い

掃除だけ完璧で他は汚いという人は稀。

 

◾︎連動してる

1つだけという事はまずない。

服が汚い人は手も汚いし、部屋が汚い人は生活態度全般が雑。

そういうのが可視化されているだけ。

 

◾︎姿、形からモロバレ

どんな体型をして、どんな服装をしているのか?

爪や眉毛だけでも情報になるし、ありとあらゆるモノが情報として表に出てる。

「その結果としての判断」なのである。

一朝一夕で誤魔化せるモノではなく、その本人の性格と能力が「見た目に出る」。

気持ち良い人はそれだけのことをしているし、気持ち悪い人はそういう生活が表に出ている。

ただそれだけ。

 

◾︎その結果

自分にも不利益がもたらされる可能性がある。

その人の作った料理があるとしよう。

ガサツで服が汚い人が作った料理がまともであると思うだろうか?

そんな人は当然ながら「深く自分に関わって欲しくない」。

一緒に生活をしたり、ましてやセック◯をしたりなど考えられない。

だから「嫌だ」となる。

 

◾︎綺麗=能力の証明

健康で、身の回りの物に配慮でき、自身を綺麗な状態にしておくことができる。

それは「自分以外のコトをする時にも活かされる」。

料理にしろ、掃除にしろ、洗濯にしろ、プレゼントにしろ、「生活全般」に関わる。

そういうのを引っくるめて、綺麗=能力の証明。

逆が嫌われるのは必然と言えるだろう。

 

◾︎余談

「性格的に気持ち悪い」は、健康面が改善されれば同時に改善されます。

不健康な時は認知能力が落ちてるので、相手の感情を上手く読む事はできない。

逆に、健康になれば相手の表情や態度から上手く読み取れるようになる。

本当に嫌なのか?

冗談なのか?

裏の意味は?

などなど、感情的なやりとりを正しく理解出来るようになります。

理解できれば、気持ち悪いコトをしなくなります。

それ即ち「気持ち良い人になる」という事。

 

◾︎まとめ

生理的に気持ち悪い人は「不健康」かつ「汚い」。

それは1つだけの話ではなく、大体において「連動してる」。

雑な人が作った料理は手順が間違ってたり、衛生面で問題を抱えたりする。

それは偶然ではない。

綺麗な人、気持ちの良い人は、単に見た目が良いからだけじゃない。

そういう人は細かいところにまで気を配り、安全に出来る「能力」がある。

そういうのが「見た目に現れる」。

もし生理的に気持ち悪がられたとしたら、それは自分に改めるモノがあるという事。

ちなみに筆者も毎日酒飲んでタバコ吸ってた時は毎日お菓子やマックやカップ麺を食ってたし、3日に一回くらいしか風呂に入らなかったし、着てる服もシーズンに一回しか洗わなかったりした。

*下着類は毎日洗ってたが、その他の衣類はほぼ洗わなかった。

当時は20代だったから何とかなったが、今もその生活をしていたらキモいおっさん確定。

 

綺麗であるという事は能力の証明です。

凄く綺麗にする必要はないが、それなりに生活に配慮し、健康面に配慮し、まともな生活を送りましょう。

それだけで、人から気持ち悪がられる事はなくなり、いい印象を持ってもらうコトすら可能になります。

健康って大事だよ。

 

 

幸せ=安定した生活。

 

局地的な幸せよりも、安定した生活こそが幸せを生むんじゃないか?と思うお話し。

 

◾︎幸せとは?

同じ事8割、新しい事2割で構成される生活。

全部同じ繰り返しの生活ではつまらないが、いつも刹那的な生活の繰り返しでも自分が安定しない。

基盤となる8割の生活を安定させ、残りの2割で刹那的な楽しみを作る。

ベースの生活がとても重要。

 

◾︎局地的な幸せは確かにある

旅行みたいなコト。

局地的な非日常を味わう。

しかしながら、それが刹那的で持続性のないモノだと「それが無かった状態に戻る」。

結婚すればずっと一緒にいるが、一晩の関係だとその瞬間しかないような感じ。

旅行などの「それを味わうため」なら構わない。

しかしながら、安定した幸せが欲しいなら、安定した生活がベースとなる。

生活の安定した(繰り返し)部分を変える事が幸せに繋がる。

 

◾︎ベース作りに全力をかける

本当に重要なのは「ベースとなる生活」。

刹那的な遊びとか、瞬間的な楽しみじゃない。

ちゃんとした仕事をして、キチンと生活をして、安定した毎日を回すコトが全てのベース。

そのベースとなる部分こそ全力を尽くして作り上げ、維持する。

ベースさえ安定すれば、他は後からついてくる。

基礎をしっかり作ろう。

全てはそれからだ。

 

◾︎まとめ

幸せは安定した生活から生まれる。

ちゃんと仕事して、キチンと生活して、安定した毎日を回すことに全力を尽くそう。

刹那的な遊びは確かに楽しい。

しかしながら、それに全力を尽くしても「何も残らない」。

それは枝葉の部分であり、真に重要な幹の部分ではない。

生活の幹となる部分を作り上げる事に全力を尽くそう。

それこそが、本当の幸せに繋がる。

 

運動は「走る」のが一番だと思う理由。

 

筋トレも良いけど、動けるのが最も良い。

ここで言う「走る」は、ランニング+40〜80%のダッシュを数本という意味。

走るってめちゃくちゃ筋力使う上に、身体の連動性もあって、完全なる全身運動。

プロ選手なら筋トレ+ダッシュをしないと筋力がつかないが、一般人はダッシュだけで充分。

走るのがオススメな理由を書いてみる。

 

◾︎走る推し

1、全身運動

脚はもちろんの事、腕を振り、姿勢を維持する。

全身を使い、全身の筋肉が付く。

筋トレだと部分的だったり、変なとこだけ鍛えられたりする。

*筋トレでもクイック系瞬発力メニューは全身運動だが、一般的なBIG3は特定の筋肉を効率良く使う事に特化している。

走るのはもれなく全身を使う。

さらに呼吸器系も鍛えられる。

身体に良いこと満載。

 

2、運動神経も鍛えられる

走るってのは当たり前そうだが、実は当たり前じゃない。

久しぶりに走ってみれば分かるが、全身が上手く連動しない。

ダッシュに近い方

上手く全身を連動させ、効率良く走るには「慣れ」と「習熟」が必要。

走る事でしか得られないモノがある。

 

3、自然な筋肉が付く

走るという事は「動くために必要なモノが身につく」という事。

筋トレだと「筋トレするために必要なモノが身につく」。

どちらが有用かは言うまでもないだろう。

 

4、疲れ方も自然

走る疲れは「歩き疲れた」疲れと同じ。

当然ながら全身運動で、無理のない疲れ。

無理をすればもちろん疲れるが、自然な範囲での調整が容易。

 

5、負荷調整が容易

筋トレだと「何キロ×10回×何セット」という単位になる。

しかしながら、走る場合はもっと細かく設定できる。

10〜100mダッシュ一本でも良いし、100mジョグ一回だけでもいい。

自分に合った距離と強度で、少しずつ負荷を上げていける。

 

◾︎総合的に運動は走るのがオススメ

全身が鍛えられて、使える身体になり、自然な疲れで、負荷調整が容易。

総合的に見て、これが最もオススメな運動。

 

 

◾︎筋トレと並行してやると?

他のことが出来なくなる。

全ての力を運動に注ぐなら構わない。

…が、人と遊んだり、新しい事したりするなら、運動の比率を上げすぎると良くない。

あくまでも「基礎体力アップ」「ストレス解消」のための運動であり、運動するための運動ではない。

プロ選手じゃないんだからほどほどに気持ちいい程度にして、他の重要なコトをやれる余裕を持っておこう。

 

◾︎まとめ

走るのがオススメ。

一個上がまとめみたいになったから繰り返さない。

使える身体と体力を手に入れるには、走るのが最もオススメです。

 

ローランド名言集から。「俺が一途になるには世の中の女性達が素敵すぎる」。

 

曰く「文春とかで何股とか報道されたら言ってやろうと思って」。

youtu.be

動画で文脈が分かるはず。

非常に思う所があったので、ちょっと書いてみる。

 

◾︎女好きなやつは「内面も含めて」女性が好き

話すほどハマるというか、経験を共有するほど好きになる。

ダメなところは甘やかされ、困ったときは話を聞いてくれて、かなりのお願いを叶えてくれる。

*そういう女性が一定数いる

そのどれもが男性にはないモノであり、女性といる事でしか味わえない感情。

優しさや温かさを感じ、ほわっと心に火が灯るような体験。

そんな体験をさせてくれる女性を大好きになる。

 

◾︎そういう体験をさせてくれる女性は一人じゃない

ここが怖いところ。

何人もいる。

目の前の大事な女性一人だけかと思いきや、その女性の他にも底なしの優しさをくれる人がいる。

女性ならではの感情で撫でてくれる人は幾人もいる。

女好きの沼にハマるというか、何人もの女性と関係を作ってしまう理由がここにある。

*作れる人限定ではあるが

ここで男性の度量というか「器が問われる」。

 

◾︎誰を大事にするか?

誰に最も世話になり、誰に借りを返す必要があるのか?

通常であれば、最も長い時間一緒にいる女性となる。

長い時間お世話になったその分を、敬意に乗せて大切にすることでお返しをする。

他の女性にお世話になる事がもしあったとしても、その人にも相応しい敬意を払い、嘘をつかず、キチンとそのままを話して、判断を相手に任せる。

責任を受け入れ、相手に敬意を払う。

それが男としての器と度量。

 

◾︎女性に感謝し敬意を払う

その感情をくれる事、そして一緒にいてくれる事に対して。

それはその女性がいなければ存在しない感情であり、感じる事のできないモノ。

そういう「自分にないモノをくれる人」に対して、敬意を払い、真っ直ぐにコミュニケーションする。

それは自己中な、モテるとか、経験人数とかいう指標とは「真逆のモノ」。

一人の女性に対して信頼と安心をベースとした誠実な関係を作る。

そういう女性が増えたら、その結果として何人もの女性と付き合ってるような形となる。

基本は、女性がくれるモノの対価として、敬意や信頼を表する。

それに対して、もし女性が抱かれたいと思ってくれるなら、ありがたく受け取る。

そして、その温もりに感謝する。

横にいるありがたさを感じながら関係性を築く。

そういうループで、相手との関係が作られていく。

その結果として「世の中の女性は素敵すぎる」となる。

 

◾︎まとめ

 女性の魅力は「内面」。

外見が良いとか、行為が良いとかで止まってるうちは「本質的な女性の魅力に触れてない」と言っていい。

相手を思いやったり、感謝を言い合ったり、甘やかされたり、ワガママを受け入れてもらったりして、ようやく気付く。

「あ~女ってすげえな」と。

*可愛い、優しい、包み込む母性ハンパない、などの総称。

心底そう思ってからがスタート。

敬意をもって相手と接するようになる。

そして改めて、近くにいてくれる事のありがたさを感じる。

 

素敵な経験をさせてくれる女性は確かにいて、しかもそれは一人じゃない。

「世の中の女性は素敵すぎる」ってのは真理だと思う。

過去にいい経験をさせてくれた女性、今いい経験をさせてくれてる女性。

「ありがとう」。

素敵な女性は確かにそこにいる。

 

結果のためにどこまで我慢するか?

 

「望まざる結果」というものがある。

結果は出てるんだけど、本来の自分とのリンク感がない。

なんか噛み合ってない感じというか。

それを追うかどうか?ってのが本題。

 

▪結果と納得感

その両方が満足してる状態が望ましい。

ちなみに当ブログ。

ごく一部のド初期から見てくれている人はご存じの通り、「特定のキーワード(下ネタ)で一度ハネたことがある」。

そのまま進めばその業界で教祖と言われるようなポジションになれたかもしれないような感じ。

*一日2000PVとかあった。

特定の記事に引っ張られてブログ全体の評価が上がってアクセスは右肩上がりだった。

しかしながら、俺はそれが嫌いで全く持って納得してなかった。

実効性が疑わしかったし、書いててつまんなかったし、皆にハッキリと顔向けできるような内容ではなかった。

正直言って、俺はそれを続けたくなかった。

そこから方向転換し、ある程度は胸を張って皆に顔向けできる内容にした。

それは間違いではなかったと思う。

今は一日50PV程度しかないが、内容には納得して書けているので非常に納得感はある。

 

▪結果はどこまで大事か?

自己犠牲することで結果は出る。

しかしながら、その自己犠牲の上に成り立つ結果は「どれほどの意味を持つのか?」。

「10万人が見てくれる納得してない仕事」と「10人が見てくれる納得できる仕事」。

生活出来る事を前提とした上で、満足感が高いのは当然「後者」。

結果は大事ではある。

しかしながら、自分の幸せに必要なのは結果じゃない。

自分が納得し、本来の自分の延長線上にあるモノを活かすこと。

適度な結果と、自分の満足感。

そのバランスをとる事が重要。

 

▪まとめ

ラファエルとか有吉とか、望まざる結果を得た代償に、自分を犠牲にする必要が出来てしまった。

「自分<結果」になってしまった。

しかしながら、本来は「自分>結果」。

自分の満足>求める結果。

もちろん、満足だけ求めて生活できないじゃ本末転倒。

ようは「バランス」。

生活できるだけの結果は出すけど、それ以上は自分を差し出さない。

自分にとって「もっとも快適なバランス」で過ごしましょう。

 

SNSの病まない使い方。

 

上手く使ってる人に共通点があったので、まとめ。

 

◾︎SNSの使い方

1、特定の人とだけ、やりとりする

どんだけフォロワーが多かろうがなんだろうが、自分が気に入った人中心に話す。

返信やリツイートも全て「自分が気になったやつだけ」に返事をする。

自分の中の順位付けをしっかりとする。

 

2、知らない人には基本的に絡まない

面倒そうだったり、どうでもよかったり、絡むの面倒だなと感じる人は無視していい。

なんせ自分のSNSなのだよ。

全員に何かをする必要はない。

 

3、知らない人に絡んだら、返事は期待しない

上記の理由から、当然の帰結

相手が気に入ったものだけ返事が来るとすれば、投げっぱなしが基本。

そうじゃない人もいるが、そうである人もいるため「返事は期待しない」。

 

4、人と繋がる「以外の理由で」使う

これが最も重要。

商用目的とか、自分のブログを広めたいとか、趣味情報が欲しいとか。

「人<それ以外のやりたい事」がある場合は有用。

趣味にしろなんにしろ、基本は「情報目的」。

顔も見えないし、どんな姿かも分からない。

それでもわざわざSNSを使うという事は「それなりの理由がある」。

逆に、それなりの理由がないなら、わざわざSNSを使う必要はない。

友達を探す(人と繋がる)なら、オフで遊んだ方が楽しいし気楽。

 

 ▪目的をもってSNSを使おう

人以外の目的がある場合が特に有用。

情報を得る、発信する場としてはいい。

…が、人と話すのは不向き。

そも姿形が見えないし、オープンなコミュニケーションで、返信してもしなくてもいいという気軽さがウリだから。

ただ「有用なモノを探す」という場としては機能している。

 

対人においては「返答しなくていい」という気軽さが、「責任を失わせる」。

要は「距離感が狂う」。

リアルコミュニケーションというか、1対1で他人と話す事が苦じゃないタイプには向かない。

そして、どちらにしろただ漫然と使うと、まさに無駄な時間。

リアルな友人となら、少人数、プライベートで話せる通信手段(ラインや音声通話など)で。

SNSなら情報交換を。

ただ見てると疲れるだけになってしまう。

目的をもって、短時間、集中して使うのが良い。

 

▪まとめ

SNSは「情報交換」。

人との繋がりを得る場所ではない。

人と話すなら、コミュニケーションの責任が発生する場所で行いましょう。

姿形が見え、無視したりされたりすると傷つくっていうごく普通の場所で。

ただ漫然とTwitterを見てると「疲れる」。

そして「距離感が狂う」。

人に返事しなくていいっていう気楽さが、リアルでは自然に発生するコミュニケーションの責任を負わなくてよくなる。

どちらにしろ、それが健全な状態だとは思えない。

SNSは目的を持って、短時間、集中して使う。

ダラダラ見て、なんとなく使うと、変な距離感と気楽さに飲まれて「病む」。

 

どっちみち、あれは自然なコミュニケーションじゃない。

*DMの方がまだ自然

 

SNSはほどほどにして、リアルを充実させましょう。

 

会社員と個人事業主はどちらが良いのか?

 

正直なところ「会社員の方がラク」。

主に「メンタル面で」。

以下に理由を。

 

◾︎会社員がラクな理由

1、固定給

安定してカネが入る。

これは存外に大きい。

個人事業だと、風の吹き方次第で簡単に収入が吹き飛ぶ。

10年後の仕事がどうなってるかって?

明日のメシすら安定しないんですけど。

10年後の心配ができる環境に感謝しろ。

 

2、仲間がいる

個人事業主は基本1人。

っつーのも「決断するのが自分」だから。

決めるのも自分、ケツを拭くのも自分。

それは一見良いことではあるが、常にこの状況に置かれるのはキツい。

会社員は上司、同僚、部下と、仲間がいる。

同じ方向を向いて同じ仕事しているため、同じ経験をしている。

話も合うし、悩みも共感しやすく、仲間になりやすい。

個人事業主っつってもやってることは微妙に違うんで共感は薄い。

っつか連携が取れないから個人事業主をやってるわけで、本質的な仲間という感覚は薄め。

 

3、仕事を自分で作る必要がない

個人事業主は「自分で行動しないとダメ」。

外から降ってこない。

行きゃ仕事が用意されてて、言われたことだけやってりゃカネが手に入る会社員は「超ラク」。

「会社に行きゃ必要な仕事がある」という素晴らしさ。

これは本当に1から事業をやらないと理解できないかも。

 

4、言われたことだけやってればそれなりに成長できる

自分で考えてスキルアップとかする必要がない。

ただ仕事で必要な事を覚えて、言われるがままに学んでいけばそれなりのスキルがある人になれる。

個人事業じゃそうはいかない。

学ぶ事も自分で決める必要があるし、仕事で必要とされるスキルも決まってない。

しかも「誰も教えてくれない」。

全て自主的にやる必要がある。

 

◾︎会社は合理的な箱

人が働くために、多くの人が働けるようにデザインされた場所。

行けばやる事があり、そのやる事はさほど難しくもなく、物凄く時間がかかるものでもない。

ただこれは、完全なるゼロからやったことがないと理解できないかもしれない。

ゼロから仕事を作るとしよう。

自分で仕事を作り、自分で仕事を決め、裁量を決める。

それがどれほど大変で、安定しなくて、多くのものを求められるのかが理解できるだろうか?

会社に行けば仲間がいて、仕事がある。

言われた通り頑張ってれば仕事を失うこともなく、もし失ったとしても、そこで学んだスキルを持って次の会社に行ける。

こんな安心安全でラクな働き方はあるだろうか?

 

◾︎やりたい仕事なんて「ない」

仕事で重要なのは「食えるかどうか?」だ。

やりがいなんざ趣味でやればいい。

まず「安定した生活」なくして、安定した精神状態は手に入らない。

仕事があり、生活できる収入があり、仲間がいる。

それ以上に必要なことはあるだろうか?

 

◾︎やりがい?そんなものは後で考えろ

仕事、収入、仲間。

この「必要条件を満たした上で」さらなる収入や生きがいを求めるならば構わない。

しかしながら、全てを投げ打って金銭や生きがいにかけるのであればオススメはしない。

そこにはあなたが本当に求めているものは「ない」。

金銭や生きがいの先には「自分一人しかいない」。

そんなものより重要な事は沢山ある。

まず「安定」ありき。

土台があって、その先がある。

 

◾︎まとめ

会社員は「固定給」「仲間がいる」「仕事がある」「スキルが勝手に身につく」。

自営業は「全て1人でやる必要がある」。

その上、不安定。

これが面白いかって?

若いうちならば面白いだろう。

しかしながら、様々な経験をし、様々な比較ができるようになると、途端に色あせて見える。

自分のやりがいや面白さを追うためには土台が必要になる。

安定した土台があれば、その上で遊んでいても痛くも痒くも無い。

しかしながら、安定しない土台の上で遊んでいたら、いつ崩れるか分からない。

それを楽しいと言うのならば止めない。

俺はエックスゲームのようなあえてリスキーな場所で、それ楽しむ事ができなかった。

安定した場所で、安定した仕事をもらい、同僚と愚痴りあい、安心した家族を持てる収入を毎月貰える方が遥かに良い。

 

あなたが何を選択するのも自由だ。

しかしながら、自営業はそんなユートピアではない。

会社員は実に合理的である事を知った上で、なおやりたいのであれば構わない。

両方の良さを比較し、自分に合った選択をして欲しい。

 

 

女はどうやって男を選ぶのか?

 

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を、久しぶりに読み直した。

そしたら、俺の経験と食い違う部分がいくつかあったので紹介する。

 

◾︎女がやりたいと思う男

有名なのは「経済的に優位にある人」、

そして「グループのリーダー」。

しかしながら、個人的な経験から言って「それよりも重要な事がある」。

それを書く。

 

1、遺伝的もしくは相性的に噛み合う男

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「匂い」や「雰囲気」など。

「この人と噛み合う!」と直感的に思う男がいる。

匂いは遺伝子的に噛み合う人。

つまりは「自分にない遺伝子を持っていて」、「子供が優れた免疫力を獲得できる」と判断できる人。

雰囲気は性格と能力を見抜く最も簡単なツール。

雑で汚いやつは、何事も適当なやつで、反面細かい事を気にしない人。

綺麗なやつは、何事もしっかりこなすが、細かくて神経質な人。

そういう「性格」が、自分が選んだ服装や髪型や綺麗さなどに表れる。

外見とは「結果」なのであり、「雰囲気」は総合されたモノを表す。

その総合で、「合いそうだな」と判断された男が選ばれる。

 

2、健康な男

物理的に健康な人。

しっかり食って、しっかり寝て、しっかり運動している人。

経済的にどうこうより、遥かに大きなウエイトを占める。

そもそもが、健康でなければ「女性を妊娠させられない」。

女性が男を選ぶのは「こいつの子供が産みたいと思うから」だ。

性格的に噛み合ってれば、性交なしでもお互いに支え合って生きていく事はできる。

しかしながら、セック◯はなんのためにするのか?という部分からすると「健康な男が選ばれる」と感じる。

 

3、高身長、筋肉質などの「人間的に優れてる人」

高身長な人ができなくて、低身長が人ができることは「ない」。

同様に、筋肉質な人ができなくて、ガリができる事は「ない」。

確かに、身長2メートルの人はバランスが悪いとか、筋肉がありすぎて小回りが効かないとかある。

だからこそモテる身長は「183cm前後(178〜186cm辺り)」だし、ゴリマッチョより細マッチョがモテる。

身体的に有利なラインで、平均より優れてる男が選ばれる。

 

◾︎女はなぜ「経済」や「リーダー」が好きだとされるのか?

分かりやすい指標だから。

どうやったらモテるのか?という設問に対し、16〜18歳の盛りの男達は考える。

イケメンでもない、身体能力もない、性格的に優れてるわけでもない。

その答えが「経済」と「リーダー」。

何もないやつでも「ここまで頑張れば女とセック◯できる」という「迷信」。

 

◾︎何もなくても、女に選ばれることは可能

健康な生活さえしていれば。

しっかり寝て、しっかり食べて、しっかり運動する。

適度に身体が締まり、脳はシャープになり、会話を楽しめる余裕ができる。

そんな健康で爽やかな貴方を見て、女性は思うだろう。

「あの人とやってみたい」と。

健康なあなたは女性を妊娠させ、子供がいる普通で幸せな生活に進む。

女に選ばれて幸せな生活を送るには、カネも地位もいらん。

 

◾︎まとめ

女が選ぶのは「相性」「健康」「優位性」。

経済やリーダーでモテるとされるのは、モテない男が作った「迷信」。

モテるためには、しっかり毎日を生きて「健康な生活」をしましょう。

 

ネットの「常識」は、一般社会では「非常識」。

 

一般社会とはちょっと違った場所。

 

例えば「ジム」。

筋肉が好きで、運動が好きで、鍛えるのが好きな人が行く場所。

しかしながら、一般社会には運動が苦手で、筋肉に興味がなくて、鍛えるのが面倒な人が大半。

ジムでの常識を一般社会に持ち込んだらどうなるだろうか?

そう。

「非常識な人」。

ネットでは常識とされる事も一緒。

ネットの意見を一般社会の意見だと思ってると「非常識な人」となる。

 

◾︎ネットはネット。主な使用者は「10〜20代」と「ヒマな大人だけ」

皆んなの意見を可視化したと思ったら大間違い。

ネットを見てる人は低年齢層か、ヒマな人だけ。

10〜20代の偏った狭い常識と、日常がヒマで経験値が低い人が主な使用者。

その結果どうなるか?

意見がめちゃくちゃ偏る。

 

◾︎ネットは「他人の意見を許容しない」「常識が狭い」「自分の意見がない」

これは「若い人の特徴」とも言える。

要は「経験値が低い」。

順に説明する。

 

1、他人の意見を許容しない

自分の意見より「正しい意見が全てだと思ってる」。

要するに「正論」もしくは「合理的な意見」。

しかしながら、自分がそうであるように、誰しも「真っ当に」かつ「合理的に」生きてるわけじゃない。

非合理でも感情的に助かるものはある。

真っ当な意見がまかり通るのであれば「学生は全て東大を目指せ」というのが「最も合理的」となる。

全力で勉強し、勉強したことを社会に還元する。

しかしながら「勉強なんてしたくねえ」わけだ。

あんなクソつまんねえことをするなら、友人と一緒に買い物行ったり、海行ったり、遊びまわってる方がずっと楽しい。

ではもう一度問おう。

「合理的」で「正しい意見」とは何か?

その答えは「あなたのもの」であり、「他人と論ずるものではない」。

どちらが正しいではないし、相手の意見を棄却していいものでもない。

 

2、常識が狭い

とにかく狭い。

他人が決めた常識に閉じこもってる。

不倫はダメとか、30代で転職がなくなるなどが最たる例。

不倫とまではいかないが、彼氏彼女持ちの友人が次の相手を探しているという状態になった事はないだろうか?

一緒にいてつまんない、意見が合わないなどなど。

対面で、よく知ってる相手がその状態で、ちゃんと意見を聞いた上で、「それはダメな事だよ」と言えるだろうか?

「あ〜分かる。しょうがないよね」とならなかっただろうか?

しかしながら、他人が同じ状態になったらどう思うだろうか?

そう。

「それはダメな事だよ」と言う。

さて、あなたは「正しいのだろうか?」。

そして「その常識は正しいのだろうか?」。

これ以上は言わなくても分かるだろう。

 

3、自分の意見がない

自分が経験し、その時に感じた感情や状態から「どう感じたか?」。

それは常識や一般論と「されている事」と一緒だったのか?

上記で挙げたように「違う事の方が多い」。

一般的にはこう言われているけど、自分が経験した感じからは違う。

それもさも自分の意見として振りかざす。

たとえ自分で経験したことであれ、他人に声高にそれを主張することは「正しい」のか?

確かに、俺がこれを書いているのは主張ではあり、エゴである。

そして気付いた。

もしあなたが対面にいたら「たぶん言わない」。

「あ〜、他人の意見に流される人なんだ」と思うだけで、わざわざ伝えようとはしない。

ネットとはつまり「そういう場所」。

普段言わない事も言っちゃうというか、相手が見えないから言わなくていい事も言う場所。

そういう自覚が大切。

 

◾︎人間は年齢と共に成長する

大らかに、許容量が大きく、様々な意見を踏まえた上で「優しい解決策」を考えられるようになる。

それは「自身の経験」から来る。

人間生きてりゃ誰しも「痛い経験」をする。

フラれたり、挫折したり、失敗したり、「思い通りにいかない事を知る」。

そして、そこから起き上がるのがどれだけ大変な事なのかも。

簡単に人を叩くという事は、キツかった自分に塩を塗るようなものだとも。

「あの時の自分に他人を叩くような言葉を使われたら立ち直れねえわこれ」と知る。

「自分が経験したからこそ分かる」事がある。

その時に必要なのは無味節操な常識や合理性ではなく、感情を支えてくれる非合理で優しい言葉。

若い人やヒマで失敗した事のない人は、この辺りの「痛みの感覚が鈍い」。

それはもちろん「自分が経験したことがない」から。

大人になるということは「痛みを知る」こと。

だからこそ器が大きくなり、他人に優しくすることができる。

その「器が大きい人」は、ネットでは少数派。

*40代以降のネット利用者。

成熟した意見を聞くにはネットは不向き。

 

◾︎まとめ

ネットの常識は一般社会では非常識。

そして、ネットは「許容しない」「常識が狭い」「自分の意見がない」。

それは、利用者が若いorヒマな人がメイン層だから。

だから簡単に相手を叩くし、人の意見を許容しない。

その上、ネットは余計な事を言うメディア。

対面じゃ絶対言わない事を言いたくなる。

 

そして、人は年齢と共に色々な経験をし、痛みを知るようになる。

痛みを知るからこそ相手を尊重し、同じ痛みを感じさせないように慎重に意見する。

そういう成熟した大人はネットでは少数派。

社会に出れば、皆んなそれなりの経験をしている大人ばかり。

だからこそ様々な意見があり、それをすり合わせる事ができる。

 

ネットの常識は非常識。

ネットはネット。

リアルはリアル。

ネットを使うなら、リアルな友人と、リアルなコミュニケーションを想定して使いましょう。

リアルで会ってもいいと思う人に、対面でも伝える事を伝えましょう。

 

俺にとってこのブログは「リアルじゃない」。

対面じゃ言わない事を言うし、リアルで会ってもいいと思う人や、リアルな友人にはこういう伝え方はしない。

要は、ネット用の人格。

 

ネットは「そういう場所」。

自覚的にやっていきましょう。