結局のところ「自分一人で判断して決めるしかない」んだな、と。
■周りにどんだけ認められても持ち上げられても「自分が納得する事とは関係ない」
まず極端な例を出そう。
あなたが超絶イケメンだとする。
街を歩けば逆ナンされ、バレンタインには凄まじい個数のチョコをもらう。
しかしながら、好きな女とは何故か上手くいかないとする。
*現実的には経験値やらの面で「確実にあり得ない事」ではあるが。
その場合、見知らぬ数多の女からモテるよりも、ピンポイントで自分が好きな女と上手くやりたいと思うだろう。
こういう事が人生においても結構起きる。
次は「実例」。
■PVが上がっても「自分に納得しなかった」
このブログって1日の最大アクセス「2000PV」までいったのよ。
*月間約6万
これ、個人の雑記ブログとしては「かなり上の方」なのね。
しかも一回Googleクルーラーに評価されると、他の記事もアクセスが上がりやすくなる。
*特定のキーワードで上位表示されたり、ブログ全体の評価が上がって全体が上位表示されやすくなる
最大瞬間風速的なマックスも含めると。1日3000PVが1週間あったりした。
おそらくだが、そのままの方向性とやり方で書いてたらもっと伸びた。
確かに「一瞬だけは嬉しかった」。
しかしながら、そのブログの方向性は「凄く嫌だった」。
どんなにアクセスがあり、読者様に面白いと言ってもらえても「俺は俺のブログが嫌いでこれ以上その方向でやりたくなかった」。
最終的に、そんな嫌いな自分が書いたクソ記事を読みにくる読者様すらも嫌いになった。
結論を言うと「俺自身が全く納得できなかった」。
■現在は1日70PVだが「前よりも納得できてる」
方向転換後は「全く評価されなくなった」。
トップアクセス記事であろうとも自分が納得できない記事は削除して、色々と整理をした結果がこれ(1日70PV)。
しかしながら、「前よりも納得できるようになった」。
完全に自分の思う通りにやれていて大好きなわけではないが、前よりも納得して記事を更新できるようになった。
周囲には評価されないが、自分では納得できている。
個人的には「これがもの凄く重要なこと」で、これ以上に重要なことはないと思っている。
■自分の感覚で決断し行動すること
自分が納得できることは自分しか分からない。
周りからどんなに羨望の眼差しで見られる事があっても、自分が納得してないなら意味がない。
逆に、どんなに周囲から疎んじられても、自分が納得していれば「それでいい」。
同様に、あなたが納得することは「あなたにしか分からない」
それは俺が決める事ではなく、あなた以外の人が決める事でもない。
自分が納得することは他人に左右されるものではなく「自分で決める必要がある」。
自分の感覚と好き嫌いだけが頼り。
そこには確実に「孤独がつきまとう」。
自分だけを頼りに、自分一人で決めなきゃならんからね、
しかしまあ自分の人生なんだから、自分が納得できる事をしましょう。
■決断時は基本「孤独」だが、その向こうには「人がいる」
自分が納得できる事は、自分一人で決めて、自分一人で決断する必要がある。
しかしながら、「動き出した先には人がいる」。
例えば「このブログ」。
多数派を切り、自分が納得できる方向に舵を切った。
そんなこのブログにも少数ながら読者様がいらっしゃる。
自分で一人で決めて自分一人で決断した先には、「それいいね」と言ってくれる人がいた。
アクセスは少ない=一般ウケはしないけれど、自分が納得できることをしても「それを評価してくれる人はいる」。
この人たちには素直に「ありがとう」と伝えたい。
決断は孤独だが、その先には人がいる。
いつまでも孤独なわけではなく、「自分が納得できる決断をするときだけは孤独」だと覚えておいて欲しい。
あなたが納得できる決断をし、納得できる人生と、それを祝福してくれる人と出会う事を願っています。