凄い人は誰が見ても凄い。
どこ行っても丁重に扱われてすぐに馴染んじゃうやつもいれば、どこ行ってもイジられるやつもいる。
そしてその扱いは、概ね「その人の能力を表す」。
あなたがこのブログの事(及び筆者の事)をどう思ってるかは分からない。
…が、「その判断」は「概ね俺の能力を表している」。
あなたが「大したことない」と感じるならその通りだし、もし「それなりにできるやつ」と感じるならその通り。
*文面や内容から受けるイメージは概ね正しい。
ここまでは良くある話しだ。
重要なのはここから。
◾︎本人は全く分からない
ここ。
自覚症状が薄い。
見上げられるやつはどこ行っても見上げられるし、イジられるやつはどこ行ってもイジられる。
当人にとってはそれがごく普通で、改めてそれを特性だとは感じていない。
ごく普通すぎて、そう振る舞うことすら普通になってる。
ここで「二択が生まれる」。
◾︎自分を変えるか否か?
例えば「どこに行っても見上げられる」としよう。
それが嫌で、イジられるように皆んなと親しくしたいとする。
…大まかに分かると思うが、とても難しい。
人は理由もなく舐める事もなければ、理由もなく見上げる事もない。
舐められるなら舐められるだけの「何か」があるし、見上げられるなら見上げられる「理由」がある。
バナナマン日村とか、野呂佳代とか、鈴木拓とか、毎日がネタの宝庫みたいな人は必然的にイジられる。
それは見下されてるんじゃなくて、突っ込まれてる。
そういう愛され方。
むしろそれは「特性」。
その特性を活かす事を考えたほうがいい。
◾︎他人の判断を「受け入れる」
自分の持ち物はどうやったって変わらない。
むしろ変わろうとする時間が無駄。
頭がいい人は学問を納めれば簡単に結果が出るが、お笑い芸人になろうとすれば膨大な努力を必要とするだろう。
周りからの扱いはそれほど正しいし、その特性をむしろ「教えてもらってる」と言っていい。
そこで無理な事をしようとするから苦しいんであって、「そんなもんか」と受け入れれば前に進む。
◾︎自分の特性に気付こう
自分は何を褒められる事があり、どういう扱いを受けることが多いのか?
それはどこで何をすれば活きるのか?
自分がやりたい事よりも、他人からどう判断される事が多いのかの方が重要。
それほど自分を客観視できてないという事。
他人が絶対に正しいわけじゃないが、自分で自分の事を分かってると思うのも早計。
他人と関わる事でそれを教えてもらう。
自分が思ってるよりも他人が評価してる事もあるし、自分が思ってるほどには他人は評価していない事もある。
それは他人と関わらなければ分からない。
◾︎自分の事は自分だけじゃ絶対に分からない
自分は「自分が知ってる事しか分からない」。
他人から「なんか良い」とされる事は、他人の経験から見て「良い」とされるモノ。
例えば「モテそう」と言われるとしよう。
*お世辞かどうかの判断は置いておく。
その発想は、他人が思う「モテそうな感じ」と合致してるという事。
上記の通りこれが自分では分からない。
自分ではごく普通の振る舞いをしているのに他人からはそう見えるのであれば、それは「モテる振る舞い」。
自分じゃ全然モテないと思ってるやつでも、女と良く遊んでるようなやつから見ると「モテそうだなあいつ」と感じるような事はある。
それはその人の経験からそう感じる。
この「自分じゃ自分の事は分からない」のを分かった上で、他人の批評に晒されてみよう。
自分じゃ辿り着けない違った角度からの評価が必ずある。
*ちなみに
この意味が分からない人には全然分からない。
それはもう「そういうもん」。
これを読んだあなたがどう感じるか分からないし、伝わるかも分からん。
それはある意味では「その人の特性」であって、合わせる必要はない。
気にしなきゃ気にしないでも生きていけるし、困る事も少ない。
ただ…まあ「今よりちょっとでも気分良く過ごしたい」ってんなら、視点を一個捻ってみるのをオススメする。
まあ「そんなもん」よ。
よく分からんけど読んでて面白かった程度でいいし、なんかの足しになれば幸い。