精神と健康と女とテストステロン

健康は全てに通ず。

欲しいモノはちゃんと欲しがろう。

 

微妙にハッキリと欲しがってないんだよね。

なんかこう身の丈に合わせてるっつーか。

欲しいモノは現実に欲しがらないと、実現しない。

 

◾︎現実で買う

例えば「家を買う」。

今、この状態で、本気で「買う」と仮定してみて欲しい。

借金背負って買う気満々だ、と。

この「怖さ」と「期待感」ってのが「現実の重さ」。

この現実の重さをもってして、その上で「欲しい」と言い切り、行動する。

 

◾︎言葉と空想には重さがない

言葉をいくら捻っても現実は変わらないし、空想をいかに練っても現実は変わらない。

現実に、今この状態で突っ込むと決める事でしか「重さが生まれない」。

この重さが現実であり、やる人とやらない人の差。

 

◾︎明確な言葉には価値がない

なんかこう、言葉を紡いでる中で「感情が抜け落ちる」のよ。

ニュアンス的に、欲しいモノ買って、借金背負ってでも行動すれば働く気になんだろって感じ。

…なんだけど、この「ワクワク感」とか「怖さ」とか「踏み出せないところを無理に一歩行く感じ」とか「今の場所から一歩進むために良さそう」とか、色々なニュアンスが入ってるのよ。

その上で「欲しいモノを欲しがろう」っつってるんだけど、なんかそれだけ伝えると「いや、無理だから」って終わっちゃうんだよね。

なんかこう「モヤっとしたものも含めて前に出よう」って感じであって、明確に言葉で言い切れる感じじゃない。

言葉って分かりやすくすると「何かが削ぎ落とされる」のよ。

実際ばもっと「緩く」て、「曖昧な表現も大量に入ってる」。

そういう「割り切れないモノ」こそが、温かさっつーか「人情味」を感じれるモノになる。

文章としてはつまんなくなるけど。

 

◾︎余談

ブログ書いてると気分が悪くなる。

言語能力と不安症は相関関係にあるらしい。

実感としても、感情を明確に言語化しようとするほど気持ち悪くなる。

逆に、ある程度「曖昧」で、緩さを許容した状態で過ごすと気分が良くなる。

なもんで、現実世界での活動が増えるほど「ブログの更新頻度が減る」。

なんか文字読むのも面倒になるし、文字を書くのも面倒になる。

気分が悪くなるのよ。

文書に触れる頻度が多いほど。

逆に、何も考えずに行動してると気分爽快になる。

適度なバランスが重要。

 

◾︎まとめ

欲しいモノは欲しがろう。

そして現実の質量を受け止めよう。

言葉と空想で遊んでたって何の質量も発生しない。

現実に欲しいモノは手に入らないし、行動も伴わない。

行動する「怖さ」と「期待感」やら、色々混ざった感情を抱えて前に出る。

それでしか「今ある場所を広げていけない」。

ま、なんのこっちゃだわ。

明確に表現すると気持ち悪くなるから、敢えてぼかしておく。

んで、ある程度アンニュイな部分を許容する事でメンタルの調子が良くなる。

ま、色々やってみましょ〜。

…あ、ブログの更新頻度落とすかも。

文書書いて不安になって無理してまでカネをもらうよりも、外でしたい事やった方がいい。

 

ちょっと現実で欲しがってきますわ〜。