米津玄師のブログでも書いてあったが、「言葉にした時点で失われるモノがある」。
もっと言うと「言語化した時点で」。
何がどうってのは伝えにくいんだが、ニュアンスが失われる。
◾︎言語外の感覚
「ヒマだから何かしよう」とする。
そしたら、とりあえずスマホやネットが浮かんで、それを禁止してるから外に出る事が浮かんで、外に出るのも何処に行くか悩んで、とりあえず決めたそこに行って本当に楽しいのか悩む。
そうこうしてる内になんか面倒になって、家で雑用をしてたりする。
結局、俺は何がしたかったんだろう?的な。
今までならとりあえずスマホ見たり、これからの予定を書き出したり、気になることを書き出したりしてた。
…んだけど、結局それって自分の感情を正確に表してるとは言い難いなと。
◾︎こういうのが大量にある
言語化できない大量の情報が。
好みの女性を見た時に「楽しさ」「嬉しさ」「期待感」と同時に、「怖さ」「弱さ」「劣等感」も感じる。
どちらか一方だけじゃなくて、ほぼ必ず全てを感じる。
何回か話していくと、怖さや劣等感が消えていく事もあれば、強まる事もある。
明確に言い切れる事なんてほとんどなくて、必ず安心できる事もなくて、何かをすれば何かの感情が起きる。
これを正確に言語化する事は出来ない。
ほんとに膨大な情報量で、これを正確に把握しようとしたらパンクする。
◾︎不確実性を受け入れる
まあ恐ろしく不安定な存在だと。
恐怖はそこらじゅうにあって、期待感もそこらじゅうにある。
自分の体調次第でどっちに転ぶか分かんねーし、相手次第でどっちに転ぶかも分からない。
そういう薄氷の上を歩いてる。
じゃあせめて目に見える、確実に分かる確率が上がる方法を選択していこうって話になる。
◾︎そこすら不確実
自分の感情は制御できない。
確率の上がる方法が自分に取って怖い方法かもしれないし、自分に取って向いてる方法かもしれない。
これはもう言語化できるレベルじゃない。
各々に感じるモノがあって、各々の判断がある。
◾︎人に対してとやかく言えないという事がようやく分かった
その人が喋る言葉の裏に膨大な情報がある。
自分の思考を全て伝える事はできないし、相手の思考を全て理解することもできない。
ある意味では、言語化してるものは何かが抜け落ちてるとも言える。
正確にその人のその心情を表すものではなく、何かを伝えていて、何かを伝えていない。
もし、それすらも理解したいと感じる相手がいるのなら、それが相性と呼べるモノなんだろう。
◾︎まとめ
言語は正確に物事を表さない。
曲がりなりにも言語を操るブログをやってきたお陰で、言語の限界がわかった。
言語で伝えられるのは「表層」であり「文字で伝えられる程度の情報」。
その中で各々に発生する感情という膨大な情報は伝えきれない。
ファッションをカッコいいって感じる感覚とか、音楽を聴いて感じる感情とか、仲のいい友人といる時の感情とか。
そういうのは文字で伝えるのも無理だし、遠隔のコミュニケーションでも難しい。
対面のコミュニケーションでハイタッチしたり、組みあったり、殴り合ったりっていう行動を通した感情表現も含まれるから。
どのくらいの強さでハイタッチして、組み合って、殴り合うのかってのにも情報が乗る。
ネットは確かに便利だが、画面で伝えられる情報量 には限界がある。
そういうニュアンスでもって、気持ちいい、気持ち悪いってなってんのよね。
ま、色々やってみましょう。
合理性なんてクソくらえだし、感情はそんな簡単にコントロールしたり変えられたりしない。
覚悟を決めて、不確実な感情に振り回されながら生きていきましょう♪