CUT(映画、音楽雑誌)って雑誌とか見てると、俳優が「作品の気持ちを想像して」的な事が書いてある。
んで、まあ「それに近い体験をする」事で、「リアルな感情表現が伝わる」っていう。
文章と音楽も同じ基準かと思ってたんだけど、どうやら違うらしい。
◾︎独立完結は「想像でいい」
俳優ってか「演技」って「他人と行うもの」なのよ。
だから「キッチリと自分の感情を作らないと伝わらない」。
例えば、俺がお前に敵意を持ってるけど敬意を持ってるとする。
そうすると、めちゃくちゃ嫌いな表現をしながら、一方で「何かに対して敬意を持ってる」という演技をしなくてはならない。
それは、ムカつくけど優先させなければならない「我慢」かもしれないし、ムカつくけど合理的だと思う「不精ながらの納得」かもしれないし、それでも納得できない「反抗」かもしれない。
その解釈が俳優ごとに異なるから面白い。
しかしながら、出てくる感情ってのは「現実に沿ったもの」になる。
要するに「嫉妬」を含んだ感情になる。
コイツどう考えてもムカつくんだけどこれ以上なく合理的っていう「感情」。
ライブドア事件で宮内氏が堀江氏を売ったのがそれとされる。
*宮内氏が堀江氏の才能を妬んでいたとされる。
そういう「実際その状態になったらどんな反応をするだろうか?」ってのを現実に起こすのが演技。
同じ芸術系ながら、文章と音楽が著しく異なる。
◾︎独創でいい「文」と「音」
変な話「現実じゃなくていい」。
米津のBlue Jasmineとか聴いてて思ったけど「それは現実に存在しない」。
そんな夢見たいに自分を愛してくれて、ただずっと愛し続けられて横にいる女性は存在しないし、「そんな閉じた世界は存在しない」。
西野カナの「トリセツ」も同じ。
そんな世界(それを過不足なく叶えてくれる男)は存在しない。
要は「相手が存在しない」という事。
文も同じ。
読んでくれる相手は見えない。
だから「一方的でいい」。
それを見てくれた人がどう感じるか?
それがコントロールできないし、それを受けてこちらのリアクションを変えることもできない。
◾︎決定的な差
「相手を必要とするかどうか?」
演技は「目の前の相手とその状況になったらどう感じるか?」に焦点が注がれている。
しかしながら、「文」や「音楽」は相手を必要としない。
自己完結出来る。
◾︎ごく個人的な意見
ブログは物足りない。
何処まで行っても「読者の温度を感じれない」。
あなたがこれを見て何を感じ、どういう表情で、どんな態度で、どんな息遣いでこれを見てくれているのか?
あなたが「何に納得し」「何に疑問を感じ」「何を楽しんでいて」「何をつまんないと感じているのか?」。
そういう「あなたの感情が感じれない」。
言い換えれば「温度」。
あなたの体温を感じれない。
あなたが生きてる温度を感じない。
それが俺に伝わってこない。
これがイマイチブログにハマれない要因であり、いくらPVが上がっても満足感を得られない理由。
「俺はあなたを必要としていて、あなたにもそうであって欲しい」。
それが伝わらないし、伝えきれない。
これがリアルを超える世界は存在しないと確信した理由。
◾︎まとめ
感情は「創作でもいい」。
中身に自分の想いがあれば伝わる。
しかしながら、それが現実にあるものかは分からない。
相手がいるものは、相手とともに感情を起こす。
異性絡みで重要なのは「相手がいるから感情が起きる」という事。
その空気感や雰囲気ってのは、見てる人にも伝わる。
だからこそ「感情に誤魔化しが効かない」。
その場の感情を取り繕わずに出すしかない。
まあそれが面白いんだけど。
単独で完結するモノは、ある種の「アヴァロン」。
そいつの「楽園」。
それは現実世界には存在しない。
だけど「それでいい」。
それはそれとして、心を打つモノになったりもする。
自分がどちらを体験したいのか?だ。
相手が必要な感情体験がしたいのか?
それとも、自己完結の楽園を追い求めるのか?
その辺は自分の判断でぜひ。
俺は「あなたを必要とし、あなたに必要とされたい」。
自己完結では嫌で、他人の体温を感じる事をしたい。
したい事をしましょう♪