結局「発症前と同じだった」。
「どうやって逃げるか?」
これに全力を注ぐ。
◾︎嫌なことは嫌
筆者はパニック障害を克服した。
もう通常の日常生活で症状が出ることはないし、運動も遊びも特に問題はない。
…が、しかし。
パニック障害は「何度でも起きる」。
最近確信したのは「電車」。
理性では問題ないんだが、本能が嫌がる。
あんな密閉空間にすし詰めにされる事に人間は慣れてない。
というより、俺の場合「コントロールできないモノが嫌」らしい。
ジェットコースターとか、エレベーターとかもダメ。
飛行機なんざもってのほか。
「ごく短時間であれば問題ない」。
一回5分以内くらい。
ただ、それ以上身を任せないといけないものは無理。
これを「克服しよう」というよりも、「無理だからどうにかして回避しよう」のが建設的になる。
◾︎辛いものは辛い
ストレスはストレスなんだ。
筆者は「パニック障害を気にしていない」。
電車で症状が出た時も取り乱したりもしなかったし、自分の感情を受け入れられた。
その上で「やはり不快だった」。
満員電車が。
ただ「不快と認識してなかっただけ」だった。
⚫︎辛いのを「誤魔化してないか?」
通常、1時間も通勤時間を使うのは「ストレスになる」。
同じように、クソみたいにプレッシャーかけてくる会社にいたり、クソみたいな上司の下で働いてるとか、クソみたいな同僚と一緒にいるとかすると「破裂する」。
それはただ「破裂しただけ」。
ストレスは「ずっとそこにあった」。
だから「復帰しても一緒」。
◾︎パニック障害克服には、あれが「ストレスなんだ」と認識する事
身体反応が如実に物語る。
怖い、不安、行きたくない、やりたくない。
これらは「理由があってなってるもの」。
なんもなきゃそんなストレスは受けない。
なんでそうまでして「やらなければならないのか?」。
なぜ?
なんのために?
それほど金が欲しいのか?
期待してくれる同僚がいるからなのか?
「自分が楽しいからなのか?」。
楽しいならストレスにも耐えられるだろう。
自分が「何のために頑張るのか?」。
それはそれとして「ストレスを認識する事」。
「嫌だけど頑張ってる」なら構わない。
認識してるんだから回避もできるだろう。
「しなければならない」なら一考の価値あり。
お前、そのまま行くと「死ぬぞ?」。
それは「余裕で回避できる事」なんだ。
「ストレスと認識さえすれば」ね。
◾︎冒頭に戻る
やりたくないことは「しない」。
無理なもんは無理。
俺は「無理だった」。
どうにかして満員電車に乗るよりも、近くに家を借りるか、実家から数駅の場所に勤務するか、自宅で仕事ができる職種に行く。
ストレスは「極力回避する」。
そのために仕事を選ぶ。
仕事のために自分を切り売りするのはもう終わり。
自分のために仕事を選ぶ。
何事かを成すよりも、毎日を快適に過ごせる方が重要度が高い。
パニック障害は「この辺りを気付かせてくれる」。
自分の限界を知り、何を優先させるか決めよう。
俺は俺を快適にするべく動く。
あなたはあなたが優先する価値に従って生きて欲しい。
もし今だに「パニック症状が出る」なら、それを改めろという事。
それは「ストレス」なんだ。
もう「楽に生きよう」ぜ。
ちゃんと見直してみてくれ。