個人的にも、ネットの使用比率が上がってから「感情に対する配慮が薄くなった」。
何故か?
の答えがあったのでご紹介。
◾︎この動画
まずは「見て欲しい」。
んで、自分に起こった感情を感じて欲しい。
その上で、私見を述べよう。
◾︎感情の解釈
ポイントは、映像から「人を想像出来たか?」という事。
無機質な「映像としての面白さ」で言えば、川上氏が言うように「合理的」だろう。
気持ち悪いからこそゾンビに使えるし、もっと不快なモノに使える。
しかしながら宮崎駿氏が言うように、人には「痛み」があり「感情」がある。
人は「なぜその動きをしないのか?」。
もしそうなった場合「どんな不便があるのか?」という「想像が足りない」。
要は「その人に感情を入れて見る」ということ。
「人間として扱う」ということ。
◾︎殴られたら痛い
これが「真理」。
例えば、ツイッターやらなんやらで暴言を吐くやつがいる。
それを「直接言われたらどれほど痛いか?」っていう想像が足りないからそれが出来る。
人に無視されたら悲しいし、痛いし、辛い。
自分の意見を無視されるのは辛い。
逆に、聞いてくれたら嬉しいし、会話ができたら楽しい。
◾︎人は人とコミュニケーションをする
ネットは「目の前の人間と会話しない」。
「人間の基本」がない。
もしこの人に自分がネットで書いた暴言を吐かれたら「どういう気持ちになるのか?」。
自分が同じミスをしたとして、そう言われたら「どう感じるのか?」。
自分がもし芸能界にいて「もう終わった」「需要ねえよ」「バカじゃねえの」って延々言われたら「どう思うのか?」。
TOKIO山口氏のミスもそうだし、剛力のミスもそう。
相手の立場に立てば、ミスそれ自体は「しょうがないこと」だと分かる。
それをもし「自分がしたとしたら」どうか?
そして「何を言われたら嫌なのか?」。
とても嫌な気持ちになった事は「言わない」んだ普通は。
特に「相手を目の前にしていれば」。
相手を人と認識してれば、自分が嫌な気持ちになった事を相手にしようとは思わない。
◾︎相手は「人間」という前提に欠ける場所と起こる事
全てにおいてここに欠けてる。
戦争、人種差別、ホロコーストの系統は全てこれ。
「人を人として認識してない」。
だからこそ枠組みを取っ払って「非人間的な事」が出来る。
その部分が今は「ネットに移った」。
だから、人を簡単に破産させたり、騙したり、むしり取ったり出来る。
もし「自分の身内が騙されたら」どう感じるんだろうか?
⚫︎恋愛なんかが「最たるもの」
言うまでもないが「異性も同じ人間」という。
褒められると嬉しくて、親しくできると楽しくて、一緒にいると温かくなるし、人恋しい時もあって、寂しい時もある。
怠い日もあれば、活発な日もある。
どうしても触れ合いたい日もあるし、ただ寝たいだけの日もある。
気遣ってくれたら嬉しいし、邪険にされたら悲しい。
何も外見に気を使ってないやつは嫌だし、外見に優れてるやつには惹かれちゃう。
「自分と同じ感情を持ってる人」。
だからこそ、嫌なことは出来るだけしないし、嬉しいことは共有したくなる。
◾︎あの冒頭の映像は「楽しむためだけのもの」
エンタメのためのエンタメなんだよねあれ。
意味なんて何もなくて、ただなんとなく「面白そう」っていう。
そこに深い意味もなければ、作り手としての教示もない。
ただ「楽しければいい」「新しければいい」っていう。
■想像の枠組みを取っ払うのは「本当に意味があることなのか?」
俺たちは別に「普通に生きていける環境があって」「一緒にいたいと思う人がいれば」それだけでいいんじゃね?
あのシミュレーションを「車椅子介護の人のためのシミュレータとして使う」なら役に立つだろう。
しかしながら、単なるエンタメとして使う事に意味があるのか?
昔のフランス映画や哲学系の映画は「疑問を投げかけてきた」。
「もしこういう場面に出会ったら、あなたはどういう選択をしますか?」と。
しかしながら、今のハリウッド映画は「何の意味もない」。
人は人ですらなく「あり得ない環境」「あり得ない状況」で、「あり得ない解決策を取る」。
それは「本当に必要な事なのか?」。
◾︎人を人として見る基本を取り戻そう
この画面の向こうには「あなたがいる」。
あなたの表情も分からないし、あなたがどういう感情で読んでくれているかは分からない。
しかしながら、そこには確かに「あなたがいる」。
現実で言わない事は言わないほうがいいし、不都合でも伝えた方がいい事は伝えたほうがいい。
俺もあなたも「重要なのは現実」だ。
人に会おう。
それでこそ「正しい感覚」が取り戻せる。
◾︎まとめ
ネットは「感情が欠落してる」。
だから「合理的」なんていう号令がまかり通る。
その合理さで「失う感情があるのに」だ。
あなたは「他人を自分と同じ人」だと認識しているか?
自分が嫌なことは他人にせず、他人のミスは自分の気持ちに置き換えて捉える事が出来るだろうか?
「人は同じ」なんだ。
他人の痛みは跳ね返ってくるし、他人の幸せも返ってくる。
外には「人がいる」。
あなたと同じように頑張っている「人」が。
痛みも、悲しみも、嬉しさも、楽しさも、同じ様に感じている「人」が。
人と会話しよう。
それでこそ、あなたも「人になる」。