研究、独白ブログ。

思った事を書く、思い付きブログ。

藝大のミスコン中止ネタに突っ込んでみるテスト。

 

ミスコン中止なんだって。

結果は中止なんだが、「何が問題ないか」をまとめ。

 

◾︎問題ない理由

結局は「自分の基準が全て」だから。

最近「基準がおかしい」。

というのも「自分の基準」というモノが消し飛んでる。

 

⚫︎基準というのは「2種類ある」

1、世間一般の基準

分かりやすいのは「学校」。

「学校名」で実績を問われ、「部活動の成績」で能力を問われる。

イケメンや美人はモテるし、キャラクターに優れるやつはクラスの人気者になれる。

これらは、先天的に「認知能力が高い人」「身体能力が高い人」「見た目に優れる人」「優れた対人能力(笑いは文脈、タイミングなどの総合的なコミュ力がいる)」活躍できるようになってる。

これらを「どれだけ頑張ったか?」の「客観的な指標」としては非常に優れている。

「多数決で決まる美人」は「この指標の中の1つ」。

 

2、自分の基準

あなたが「可愛い(カッコいい)と思う異性」がいるだろう。

それは「世間一般の価値基準に沿った人間なのか?」。

そう「違う」。

「自分にとって最高の異性」は「自分で決める」。

自分が「こいついい女(男)だ」と思えば、そいつが世界一になる。

別に「世間一般がどう思っていようと関係ない」。

 

◾︎これらが「混ざってる」から問題になる

「世間一般の価値基準で」

「最もいい女を選ぼう」

ってのが「ミスコン」。

別に俺の意見を押し付けてるわけでも、お前の意見を押し付けてるわけでもない。

ぱっと見で「あ〜、可愛いよねあいつ」ってやつを選ぶだけ。

学校名で「あいつは優秀だ」ってのと、「甲子園出場してる凄いやつ」ってのと「同じ尺度」。

ただこれだけの事。

 

⚫︎無名でも一緒にいて面白いやつもいれば、東大出身でもつまんないやつもいる

これが「自分の基準」。

「俺が一緒にいて面白いやつ」といる。

「俺がやってて面白い仕事をする」。

しかしながら、「あまりにもかけ離れてると問題になる」から、そのバランスを取るってだけ。

 

⚫︎空気を読まなすぎても問題になる

結婚してる女がいるとする。

でも「お前にとって世界一いい女だった」としよう。

そして見事「奪い取った」とする。

世間一般の基準だと「問題になる」。

しかしながら「当人達にしてみれば幸せになる」。

イカルディとか矢口真里とか。

その結婚生活は破綻寸前だったのかもしれないし、熱烈に惹かれあったのかもしれない。

「それは外からは分からない」。

しかしながら「当人達の基準では」プラスになる。

「芸人を目指す」とか「俳優を目指す」、「ホストで稼ぐ」なんかも同じ。

世間一般の基準で言えば「無理だから止めろ」となる。

しかしながら、当人達は「その道に行く方が幸せになる」。

「世間一般の価値基準は、個人に取っては正しくない」

これらを理解しない事が問題を発生させる根源となる。

 

*余談

もしミスコンで自分が投票した女が人気なかったら?

「むしろ喜べ」。

「競争率が低い」んだから。

お前のライバルは少ないんだから、お前が勝ち上がる可能性は高くなる。

むしろ超人気物件の方がリスキー。

恋愛は「無差別級」だぞ。

ライバルはイケメンの同年代だけじゃない。

ゾゾタウンの前澤友作みたいなやつと戦う事にもなる。

高身長、高年収、イケメン、コミュ強と、その女を争う事になる。

無名で「自分が最高だと思う女」に行く方がいいと思わないか?

 

◾︎まとめ

「世間一般の基準」での良し悪しを決めようってのが「ミスコン」。

そっから外れても価値が増減するわけじゃない。

真に重要なのは「自分の基準」。

「あなたがいいと思う事や友人」

「あなたが楽しいと思う出来事」

「あなたが美しいと思う感覚」

これらが最も重要であり、それ以外は気にしなくていい。

芸術系やってりゃ分かる(ブログ含む)けど、「自分の価値基準を示せないと誰も見てくれない」。

俺が美しいと思う出来事や描写、俺が楽しいと感じるモノやコト、これらを表現する事で「初めて他人から興味を示される」。

いわゆる「キャラが立ってる」ってやつ。

この辺りの矛盾を経験すると、世間一般の価値基準なんて「大したことない」と分かる。

ミスコンなんて「そんなもん」なんだよ。

これに目くじら立てる事が「どういう事か?」ってのを、自分の胸に問いただしてみるといい。

 

「あなたの基準はなんだ?」

これをぜひ考えて欲しい。